「ウルトラクイズ」伝説の大会、激闘の末に優勝者が手に入れたものは…「青春の全てをささげた」
読売新聞 / 2025年2月10日 10時20分
上空から砂漠に問題をばらまき、ジャンケンで予選通過者を決める。「知力、体力、時の運」をかけて世界を回り、ニューヨークを目指す。
1977~92年に日本テレビが放送した「アメリカ横断ウルトラクイズ」。壮大なスケールと破天荒な演出で視聴者をくぎ付けにし、16回で延べ21万人超が挑んだ。
89年の第13回は特に名作とされる。「自由の女神は灯台だった。○か×か」。8月の1次予選の第1問は新聞広告で公表され、過去最多の2万4115人が前年に完成した東京ドームに集った。
その中には立命館大4年の長戸勇人さん(59)=当時24歳=がいた。「青春の全てをささげた」。翌月、摩天楼を背にした決勝で頂点に立つことになる。福留功男アナウンサー(83)の絶叫に心を震わせた。
「ニューヨークへ行きたいかー!」(社会部 畑武尊)
準決勝「最高の戦い」、準備した問題も底をつき
「13年のウルトラの歴史で最高の戦いだ!」。1989年9月27日、米東部ボルティモア。芝生が広がる公園に日本テレビアナウンサー(当時)・福留
「アメリカ横断ウルトラクイズ」第13回大会の準決勝。解答席では長戸
3ポイント先取で「通過席」に進み、次のクイズを解けば決勝進出だが、他の人に正解されると持ち点がゼロに戻る「通せんぼクイズ」。4人がそれぞれ通過席に立つものの、「通せんぼ」が繰り返される。40分が経過しても勝者は出ず、スタッフは底をついたクイズを作り足した。
ニューヨークまで約300キロ。最終決戦の地は、その距離以上に遠く感じられたが、1時間の休憩が流れを変えた。コーヒーを飲んで「攻めまくる」と心に決め、一気にたたみかけた。
「シーザーが記した著書は?」。通過席でボタンを押すと、シルクハットを模した「ウルトラハット」が「ピンポン」と鳴る。「ガリア戦記」と答えると、福留さんが叫んだ。「イチ抜け、ニューヨーク」
6度目の挑戦、夢見たニューヨークへ
クイズサークルの名門「立命館大学クイズソサエティー(
2日後の決勝。ヘリコプターに乗り込み、快晴の大空からマンハッタンの高層ビル群を見下ろす。別のヘリコプターには対戦相手の永田喜彰さん(62)がいた。RUQSのメンバーで
自由の女神が視界に入ると、この1か月半を思い起こした。「自由の女神は灯台だったか否か」。東京ドームの1次予選では第1問が分からず、知人の助けで正解の「○」にたどり着いた。グアムの「泥んこクイズ」では不正解で泥のプールにダイブ。敗者復活で豪州に進み、罰ゲームのバンジージャンプにおびえる敗者を横目にニュージーランドを勝ち抜いた。
「2万4115人の頂点に立つ男が決まる」。福留さんの宣言でイースト川を航行する豪華客船での決戦が始まった。準決勝とは打って変わり、終始、長戸さん優勢。「男性が女性をあれこれ批評し合うことを、源氏物語の……」との問いに「雨夜の品定め」。
「チャンピオン決定!」。永田さんと握手を交わし、美しいニューヨークの夜景を見上げると、クイズにささげた青春の日々が脳裏を駆け巡った。福留さんの肩に顔をうずめ、泣いた。
小6で見た第1回に衝撃、早押し機自作・録画相手に特訓
小6だった77年、京都の自宅のテレビで偶然見た「ウルトラ」の第1回が全ての始まりだった。
「なんや、これは」。米大陸を横断するという発想に驚き、「この番組に出てみたい」と思った。出場資格を得るのは7年後だったが、「十分な準備期間がある」と前向きに捉え、「運動選手がオリンピックを目指すように、自分はウルトラクイズを目指す」と子どもながらに誓った。
中学に進むと新聞配達をしてお金をため、ビデオデッキを購入。クイズ番組を録画し、問題や解答を頭に入れた。「口頭で出された問題を口で答えるのだから」とノートに書き留めることはしなかった。電器街で買ったボタンをかまぼこ板に打ち付けて「早押し機」を自作し、録画の中の解答者と競った。
京都の高校に進み、「アップダウンクイズ」(毎日放送)で優勝。受験では希望がかなわず、浪人のため上京したが、勉強よりクイズに没頭し、念願のウルトラクイズ(第8回)への初出場を果たした。再度受験に失敗し、京都に戻って2浪目を送っている時にRUQSから声をかけられ、86年、立命館を受験して合格した。
「すべてはウルトラのために」がRUQSの合言葉だった。毎回現れる新たなクイズ形式に即応できるよう、「スナック菓子を食べきらないと解答できない」といった独自の設定を考え、練習を繰り返した。「知識だけでなく、人間の対応力そのものを試すのがウルトラだ」。87、88年とメンバーが相次いでチャンピオンになるのを見て、ますます闘志を燃やした。
回追うごとに挑戦者増、視聴率は30%に
「アジアをバスで横断し、クイズで敗者を落としながら行けるところまで行く」。76年に番組制作会社から持ち込まれた企画書がウルトラクイズの原点だ。若手社員が「どうせなら飛行機で」「行き先はアメリカだ」とアイデアを出し合い、ゴールデンタイムの「木曜スペシャル」で年1回の放送が決まった。
当時はオイルショックによる不況のまっただ中。「こんな企画に参加する人はいるのか」と局内で不安視された通り、後楽園球場に集まった第1回の挑戦者は404人。それでも、「クイズをしにアメリカまで連れて行ってもらえる」と回を追うごとに挑戦者は増え、視聴率が30%を超す名物番組へと成長した。
第13回の総合演出を担ったテレビディレクターの加藤就一さん(67)は、大学時代にテレビで見たウルトラに「脳みそが破壊されるような衝撃を受けた」。80年に日テレに入り、翌年にウルトラクイズのアシスタント・ディレクターとなった。
「バラエティーではなく、人間ドキュメンタリー」と番組の精神をたたき込まれた。制作費は数億円規模で、総勢約300人のスタッフが半年以上かけて問題を作り、下準備を含めると撮影期間は3か月に及んだ。「誇張も『やらせ』もない。厳しい罰ゲームを覚悟で難問に挑む挑戦者のありのままの姿が、視聴者の心を捉えた」と語る。
ユニークな優勝賞品も話題になった。第1回はラスベガスの砂漠の土地で、長戸さんが得た第13回は「冷凍人間の会員証」。凍結され、将来医学が発達したときに生き返る可能性がある――。「冗談のようなもの」と笑う長戸さんは「クイズツアー自体が賞品だった」。
「今となっては幻のような番組だ」と振り返るのは、91年の第15回から司会を務めたフリーアナウンサーの福澤朗さん(61)だ。当時は日テレ入社4年目だった。
初登場は東京ドームの1次予選で、福留さんが番組から去ると発表すると泣きだす挑戦者までいた。第1問の正解発表の直後、真っ赤なジャケットに身を包み、福留さんの待つ二塁ベースまで全力疾走し、「ニューヨークへ、ジャストミート」。万雷の拍手が待っていた。
そこから始まったニューヨークまでの旅で「肉体的、精神的に極限まで追い込まれた」が、全てを終えた時の充実感は忘れられない。「テレビに夢があった時代。挑戦者にも『これで人生を変えたい』という夢があった。色んなドリームが詰まっていた」
「ウルトラ」の成功に刺激されるように、他局も相次いでクイズ番組をスタートさせ、視聴者参加型のクイズブームが巻き起こった。
そんなウルトラクイズも徐々に新鮮味が薄れ、視聴率も落ちていった。巨額の制作費の捻出も難しくなり、92年の第16回を最後に打ち切られた。98年に特番として復活したものの、その後は制作されていない。
クイズに形作られた自分の人生
だが、終了から30年以上がたった今も、「ウルトラ」を愛した人たちの心に強い印象を残している。
「幼い頃から憧れた番組で優勝し、自分に自信を持つことができた」。第15回大会を制した能勢一幸さん(56)は語る。
埼玉県庁の職員1年目で快挙を果たした能勢さんは2001年、フジテレビの「クイズ$ミリオネア」で全問正解し、賞金1000万円を獲得。県主催の「埼玉クイズ王決定戦」(12~20年)では地域の知識を問う問題の作成に携わり、毎回、1000人前後の参加者を集めた。「クイズには老若男女を問わず、人を引きつける力がある」と思う。
「ピロロローン」とチャイムが鳴り、「はい、正解」と長戸さんの声。先月29日、東京都内で開かれたクイズイベント。長戸さんが主催して司会も務め、参加者5人が「通せんぼクイズ」などで得点を競った。
第13回を制した後、クイズ本を次々と出版した。大学中退後に塾講師になったが、テレビ局からの問題作成の依頼に応えるうちに「原点」であるクイズの世界に戻った。現在はクイズイベンターとして後進の指導にもあたる。
先月20日にはニューヨークでの決勝を争った永田さんと東京ドーム前で会った。「私はウルトラという壮大な映画の準主役。主役は長戸君」と永田さんは言った。
永田さんもクイズ大会に出るなど、関西で活動を続けている。2人の交流はもう40年近くになるが、この間、視聴者参加型のクイズ番組がほぼ見られなくなる一方、近年は「クイズプレーヤー」としてテレビやネットで活動する若手が注目を集めるようになった。
「誰でも参加でき、勝ち負けで喜怒哀楽が素直に表れる。時代が変わってもクイズが人の心を捉えるのは、こんな魅力があるからだ」と長戸さん。「自分の人生もクイズに形作られた。これからもその
はた・みこと 2005年入社。モスクワ支局や北海道支社を経て、現在は東京社会部で災害取材を担当。高校3年生の時、福澤朗さんが司会を務めた「全国高等学校クイズ選手権」の予選に挑戦したが、1問目で敗退した。46歳。
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