焦点:五輪延期の包囲網、日本とIOCが読み誤った国際世論
ロイター / 2020年3月28日 8時35分
7月の東京五輪開催延期という日本とIOCの歴史的な決断から一夜明けた25日、東京駅に設置されたオリンピック時計は開催までの日数表示をやめた。3月25日、東京駅前で撮影(2020年 ロイター/Issei Kato)
竹本能文 Karolos Grohmann
[東京/ローザンヌ 27日 ロイター] - 24日午後8時前、要人を乗せた黒塗りの車が次々と首相公邸に到着した。ドアが開いて出てきたのは、東京都の小池百合子都知事と東京五輪大会組織委員会(組織委)の森喜朗会長。間もなく行われる安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長のトップ電話会談に同席するためだ。
オリンピックの開催を延期するという過去にない決断が下る瞬間が近づいていた。
しかし、実は安倍首相とバッハ会長が東京大会の延期を申し合わせる前に、日本側とIOCは水面下の協議を進めていた。安倍・バッハ会談の約1時間前、組織委の武藤敏郎事務総長がジョン・コーツIOC調整委員長に電話で首相の意向を伝達。両氏による地ならしの話し合いで、東京での開催を約1年延期するとの立場を互いに確認した。
ある組織委員会の関係者は「開催を1年延期したいという安倍首相の希望は、武藤事務総長からコーツ氏に伝えられ、両者の考えをすり合わせることができた」と話した。
治安の良さと経済力を誇る日本で滞りなく開かれると思われていた東京五輪は、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、開催4カ月前の延期という想定外の変転を余儀なくされた。
ロイターは関係者10人以上に取材し、延期が決まるまでの混乱の舞台裏に迫った。そこで明らかになったのは、ウイルス被害の深刻化とともに変化する国際世論を読み誤り、右往左往する日本とIOCの姿だった。
予定通りの7月開催に向けて結束を強めようとする日本の五輪関係者、選手の安全を心配する各競技団体、最新情報を求めるスポンサー企業──。延期決定までの数日間、日本側やIOCには7月開催の是非を巡って内外からさまざまな声が強まっていた。
7月開催の希望を最終的に打ち砕いたのは、複数の関係者によると、世界的なアスリートたちや都市封鎖(ロックダウン)に踏み切った国々によるウイルス禍の脅威と安全軽視への警告のうねりだった。
<首相の発言に「がっくり」>
中国でまん延していた新型コロナウイルスが世界的な問題になりかねないとの見方が出始めたのは2月に入ってからだ。中国国外でも感染が拡大の兆候を示していた。
2月14日、中国における感染者の増加と緊急時の対応策について記者から聞かれたIOCのコーツ調整委員長は、懸念を打ち消すかのように質問をはぐらかした。中国は「(感染発生の)1日目」からアスリートをモニターできている。選手の多くは東京大会に向け国外で準備しており、訪日後に隔離の必要はない。コーツ氏はそう語った。
それから2週間後、安倍首相は全国の学校休校という異例の措置を打ち出したが、組織委の森会長は強気の姿勢を変えなかった。
「神様じゃないんだから、そんなこと分からない」。3月4日の記者会見で、五輪開催までに感染が終息しなかった場合の対応を聞かれた森会長は、いつになく無愛想だった。その前々週、森氏は「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」などと発言していた。
しかしこうした要人発言の裏で、関係者によると、日本の政府・中央銀行の当局者は3月初旬、今年の経済見通しの素案をまとめるに当たり、東京五輪の計画変更リスクをすでに視野に入れていた。
30億ドルという史上最高額のスポンサー料を支払った日本企業も、不安を募らせていた。各社はすでに主催者側と定期的に会合を開き、変化する状況について議論はしていたが、メディアなどで主催者側の主要幹部が個人の意見をたびたび発言していたため、混乱していた。
企業関係者によると、五輪が中止、あるいは延期された場合に支払ったスポンサー料がどうなるのか、何ら確証を得ることができないでいたという。
開催延期の可能性が濃厚になる中、ある主要スポンサー企業の関係者は「すでに五輪関連のキャンペーンや大会前の節目のイベントに結構な額を費やしている。そのお金は戻ってこない」と嘆いた。そして、バッハ会長に延期を提案したと語った安倍首相の発表には「がっくりした」 と語った。
別の主要スポンサー企業の社員は、延期によって東京大会がどう変わるのか、まだ何も情報がない、と不安を隠さない。まるで「ブラックボックス」の中で延期が決められたようだ、と話すスポンサー関係者もいる。
大会組織委員会の広報はロイターの取材に対し、秘密保持契約上、各スポンサーとの契約内容ややり取りは開示できないとコメントした。大会延期についてあらゆる側面から見直しており、できるかぎり速やかに情報を発表するとした。
<潮目が変わった>
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、東京オリンピック・パラリンピックを完全な形で実現するということについて、G7の支持を得た」。安倍首相は3月16日夜に行われた主要7カ国(G7)首脳との緊急テレビ電話会議の後、記者団にこう明言した。この数日前、トランプ米大統領は「1年間延期した方がいいかもしれない」と述べていた。
安倍首相が語った「完全な形」とは何を意味していたのか。首相に近い関係者は、G7後の首相発言は、実は完全な形での開催を実現するための延期に向け、世論の地ならしをするためだったと明かした。
ある組織委員会関係者によると、そのころには予定通りの7月開催は不可能であるとの認識がすでに組織委内にあったが、それを公言することはできなかったという。
G7首脳のテレビ電話会議から2日後、日本オリンピック委員会(JOC)の田嶋幸三副会長がコロナウイルスに感染したことが発表された。日本サッカー協会会長も務める田嶋氏はその前週に、森組織委員会会長を始めとするオリンピック関連の重要人物と会議で同席していたことが明らかになった。
「まさにコロナウイルスの危険を実感した瞬間だった」と、ある関係者は振り返る。
3月半ばまでに、全世界のコロナウイルスによる死者数は1カ月前から4倍の7980人に増えていた。今では2万2000人を超えている。
<IOCも決断に遅れ>
東京五輪の7月開催に向けて強気を押し通していたのはIOCも同様だ。組織内の議論を良く知る関係者によると、IOCは、つい先週まで、当初の批判を乗り切ることができると信じていたという。
ドイツやスペインが国境を封鎖し、北米でも大規模な都市のロックダウンが行われている最中に、IOCは複数の国のオリンピック委員会に対し、アスリートが東京大会に備えて練習ができるよう、週末にもトレーニングセンターを開けるよう要請していた。
各国の委員らは移動制限や外出禁止令の下で、アスリートが練習することは不可能だとの懸念が相次いだ。一方、IOCは17日の臨時理事会で東京大会を予定通り7月24日から行う方針を確認、バッハ会長は3月19日、ニューヨークタイムズ紙とのインタビューで、大会までまだ4カ月半あり、代替案について憶測するのは拙速だ、と開催変更の可能性には言及しなかった。
ロイターはIOCの広報を通じてバッハ会長に複数の質問を送付したが、具体的な回答は得られず、すでに会長が行った発言を参照するよう求められた。その中には、「感染が大きく拡大する新型コロナウイルスの事態の進展」をもとに大会の延期を決めたなどのコメントが含まれていた。
しかし、各国の著名アスリートから感染拡大を懸念し開催延期を求める声が高まる中で、IOCは軌道修正に動く。22日、IOCは緊急理事会を開き、4週間をめどに大会の延期を含めた結論を出すことを決めた。
関係筋によると、IOCは当初、22日の理事会を開くことで「少し時間を稼ぐ」ことができるかもしれないと期待していた。
IOCのディック・パウンド委員(カナダ)は、中国や日本で感染の状況が沈静化の方向に向かう中、IOCと日本は米国などで起こった感染者数の「対数的な増加」を目の当たりにするまで、決断をすることができなかったのだ、と指摘した。
「たとえ日本が(ウイルスを)制御できている状況であっても、世界のその他の国ではそうではない、ということに、ようやく彼ら(日本とIOC)は気づいたんだと思う」とパウンド氏はロイターに語った。
同氏は、感染拡大が止まらない現状では、アスリートが適正な形で練習を行うことはできないことが明らかになったとし、とりわけチームスポーツや格闘技では他選手と「安全な距離」を保つことは困難だと述べた。
<カウントダウンは止まった>
五輪準備に関わる日本ウエイトリフティング協会理事の知念令子氏は、カナダやオーストラリアが2020年大会への不参加を表明する中、東京に決断を迫るプレッシャーが強まっていったと語る。
聖火リレーは、2011年の震災で被災した福島からスタートするはずだったが、聖火ランナーに選ばれていた女子サッカーの川澄奈穂美選手は、所属する米プロリーグから帰国する際のリスクが高いとして、辞退を表明した。
ある組織委員会関係者は、開催延期がもはや避けられないことはわかっていたという。「聖火リレーの準備は続けざるを得なかった。もし中止したら、それはオリンピックを延期を意味してしまうから」と同関係者は打ち明けた。
五輪開催の延期という日本とIOCの歴史的な決断から一夜明けた25日、東京駅に設置されたオリンピック時計は開催までの日数表示をやめた。いま、その時計に新たな開催日へのカウントダウンはない。
(取材協力:梅川崇、山崎牧子、白木真紀、田実直美、新田裕貴、宮崎亜巳、安藤律子、Antoni Slodkowski、木原麗花、斎藤真理、村上さくら、Ju-min Park、山光瑛美、Nathan Layne 英文記事編集:Philip McClellan 日本語記事編集:北松克朗、久保信博)
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