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「一緒になれないなら死ぬ」知的障害の2人は、反対を乗り越え62歳で結婚した 障害は重度だが「幸せ」な夫婦も

47NEWS / 2023年4月20日 10時0分

結婚を前にした記念撮影に納まる度會俊介さん(左)と菊代さん=2022年6月、愛知県犬山市(本人提供)

 北海道の障害者グループホームで、結婚や同棲を希望する知的障害者16人が運営法人から求められ、不妊手術や処置を受けていたという問題が昨年、明らかになった。だが、全国には周囲の反対や重い障害があっても結婚した当事者カップルたちがいる。どうやって暮らしているのか。いろいろ大丈夫なのか。訪ねてみると、それぞれの事情と決断があった。(共同通信=市川亨、沢田和樹)

※この記事は、記者が音声でも解説しています。共同通信Podcast「きくリポ」をお聞きください。
https://omny.fm/shows/news-2/29


今年2月に開いた結婚報告会で度會さん夫婦が出席者に配ったあいさつ文

 ▽言えなかった「結婚したい」


 名古屋市の度會(わたらい)俊介さんと菊代さん夫婦は、お互い62歳で昨年秋に結婚した。障害者手帳(療育手帳)の4段階の等級で俊介さんは4番目(軽度)、菊代さんは3番目(中度)だ。
 2人が知人を通じて知り合ったのは、30年ほど前のこと。菊代さんが「優しくて頼りがいがある」と俊介さんに好意を寄せ、デートするようになった。
 その後、知的障害者の親らでつくる「名古屋手をつなぐ育成会」で、障害のある本人たちによる「青年の会」が結成され、一緒に活動。仲間同士で旅行や学習会を催した。俊介さんは「会の活動でいろいろなことを知り、自分たちにもできることがあると自信がついた」と振り返る。
 菊代さんは「昔から心の中では『結婚したい』と思っていたけど、周りに反対されるだろうと言えなかった」と打ち明けた。


仲むつまじく話す度會さん夫婦=2月25日、名古屋市

 ▽「いい夫婦の日」に入籍
 2人が結婚を現実的に考え始めたのは50歳前後になってからだ。当時、菊代さんはグループホームで生活。俊介さんも福祉事業所の支援を受けていたが、お互いの親が亡くなったり介護が必要になったりして、2人で支え合って暮らせないかと思うようになった。
 ところが、家族やホームの職員ら支援者に結婚の希望を伝えると、「『2人で生活するのは無理だ』と猛反対された」(俊介さん)。
 「一緒になれないんだったら、死んでもいい」とまで思った俊介さん。菊代さんの母親の認知症が徐々に重くなり、俊介さんが介護を手伝うようになると、自然と3人で一緒に生活する時間が長くなった。
 周囲が結婚の条件として提案した「成年後見制度」の利用も俊介さんは受け入れた。この制度でお互いに弁護士が付いたこともあり、家族らが折れる形に。俊介さんの誕生日で、「いい夫婦の日」でもある昨年11月22日、晴れて入籍した。今年2月には支援者ら30人余りを前に報告会を開き、祝福を受けた。
 名古屋手をつなぐ育成会の元役員、永田尚子さん(68)は10年以上前から相談を受けていた。「頑固なくらい2人の思いが変わらず、周りに訴え続けたことが家族や支援者の気持ちを変えたのだと思う」と話す。

 

 


結婚報告会で花束を手にする度會さん夫婦=2月12日、名古屋市(本人提供)

 ▽「私たちの存在を多くの人に」
 2人は現在、名古屋市内のマンションで菊代さんの母親と一緒に暮らす。障害福祉サービスでヘルパーが週1回訪問。俊介さんは市の水道局で清掃職員として働き、菊代さんが通う作業所の工賃、障害年金を合わせて生活をやりくりする。
 共同通信の全国調査では、知的障害者約5人に1人は恋愛や結婚、出産を周囲から制限されていた。俊介さんはこう訴える。「私たちも、やってみればできることは結構ある。『だめ』と一方的に決めつけるのではなく、できないことは教えてほしい」
 菊代さんが「私はずーっと、俊ちゃん一筋」と言う約30年越しの恋愛を実らせた2人。「私たちのような存在がいることを多くの人に知ってほしい」。俊介さんはひときわ言葉に力を込めた。


思い出の写真を手にする佐野泰治さん(右)と真奈美さん夫婦=2月17日、徳島県松茂町

 ▽「最初はけんか、でも楽しい」
 重度の知的障害があっても27年間、結婚生活を続けてきたのは、徳島県松茂町の佐野泰治(やすじ)さん(66)と真奈美さん(51)の夫婦。泰治さんの障害等級は4番目(軽度)だが、真奈美さんは2番目(重度)だ。
 一戸建てのグループホームで暮らし、世話人に食事の準備などをしてもらう。日中は、泰治さんが企業の社員寮を掃除する仕事。真奈美さんは障害者の創作・生産活動の場である「地域活動支援センター」に通う。
 2人は松茂町の社会福祉法人「愛育会」が運営する施設で出会い、1996年に結婚。計4組で合同結婚式を開き、百人を超える人がお祝いに集まった。2人の支援に当たる愛育会職員の内田良子さんによると、当時から既に結婚してグループホームで暮らしたり、地域で子育てしたりしている利用者たちがいて「結婚は普通のことだった」という。
 結婚生活について泰治さんは「最初の2、3年はけんかばかりしよった。でも、楽しい。夕食の後も2人でずっとおれるけん」と語る。

 


佐野さん夫婦が結婚したときの記念写真

 ▽パイプカットを自ら選択
 実は泰治さんは結婚前、周囲も驚く決断をした。精子が通る管を切断する「パイプカット」を受けると言い出したのだ。愛育会で男女の体の違いなどについて勉強したり、周囲で子育てする人の様子を見たりし、決めたという。 
 赤ちゃんを欲しいと思ったことはある。「自分の親と一緒に暮らせたら育てられるかもと思ったけど…」と泰治さん。ただ、親と暮らせない事情があった上、グループホームは障害者らが支援を受けながら少人数で共同生活を送る制度で、親や子どもの同居は想定されていない。真奈美さんも「よう育てんです」と、同じ気持ちだったと明かす。
 内田さんは「子どもをどうするかは夫婦で考えること。『つくったらだめ』とか『つくれ』と周りが言うのはおかしい。自分たちで考えて決められることが大事」と話す。


佐野さん夫婦が結婚前に交際の仕方などを学んだ資料=2月17日、徳島県松茂町

 ▽妻はにやりと笑い…
 2人の結婚生活は24年前、新聞で取り上げられたことがある。内田さんは言う。「知的障害者の結婚は珍しかったんでしょうね。今も珍しいというのは、社会が変わっていないということ。支援さえあれば、十分成り立つのに」
 真奈美さんは結婚式のアルバムを眺めて「かつらが重かった」「黄色の着物が好き」と懐かしんだ。内田さんが「『結婚してよかった』って話が出てこんけど…」と振ると、にやりと笑い、つぶやいた。「幸せです」

 【取材を終えて】
 名古屋の度會さん夫婦が仲むつまじく話している様子を見ていたら、障害があるとかないとか、生産性がどうとかはどうでもよくて、好き合う2人が一緒にいられたら、それ以上何も言うことはないんじゃないか。シンプルにそんな気持ちになった。私も知的障害がある子どもを持つ親。心を揺り動かされた。(市川亨)
 佐野さんがパイプカットを受けたと知り、とっさに「自分の意思で決められたのだろうか」と疑ってしまった。話を聞けば聞くほど本人の思いの強さが分かり、同時に私の中に偏見があったと気付いた。それは「知的障害者が自己決定するのは難しい」という思い込みだ。佐野さんは「結婚にはいろいろあります」と言った。子どもがいるかどうかに関係なく「結婚で実現する幸せの形は多様なんだ」と訴えているように思えた。「障害者には無理」という決めつけで、どれだけの「いろいろ」が排除されてきたか。2人の幸せそうな姿を見て、考えさせられた。(沢田和樹)

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