オレンジ色の閃光、爆発音、白煙と突き刺さる金属片…岸田首相襲撃事件は、一歩間違えれば非常に危うい状況だった 間近にいた記者は「惨事ストレス」に
47NEWS / 2023年6月2日 11時0分
鈍い銀色の爆発物は、緩い放物線を描いて現職首相の足元に投げ込まれた。4月15日、土曜の昼。選挙応援のため和歌山市を訪れた岸田文雄首相を狙ったとみられる襲撃事件。白煙を噴き出した凶器は、直後に爆発する。深刻なけが人は出なかったものの、「あわや」の事態だった。
私は、内閣総理大臣に密着する「総理番」として、その現場にいた。今回の事件は結果的に被害が少なかったため、昨年7月の安倍晋三元首相銃撃事件に比べて人々の印象は薄いかもしれない。ただ、改めて振り返ると非常に危うい状況だった。悲惨な現場に直面した人が受ける精神的ショック「惨事ストレス」の存在は、これまでの事件取材で知っていたが、この事件で自分も実際になるとは思わなかった。(共同通信=広山哲男)
岸田首相が居住する首相公邸=2022年8月
▽2分前、エビ試食パフォーマンスで上機嫌の首相
【AM 08:02】
首相は居住する公邸の車寄せで、足早に総理車に乗り込んだ。東京・永田町に、そぼ降る雨。前夜、自民党関係者は「明日は雨ですかねえ」と、聴衆の集まり具合を心配していた。願いむなしい天候の中、SP(警護官)車両を含む総理車列は羽田空港へ向けて滑り出した。
最初の目的地は和歌山市。衆院和歌山1区補欠選挙で、首相率いる自民党の公認候補は、日本維新の会の候補と競り合う情勢が伝えられていた。
【AM 10:03】
首相一行が乗った民間機は、小雨の関西空港に到着した。私は自民党職員らとワゴン車に乗り込み、首相の車を追う。
現地で待ち受けるのは、首相の選挙演説をICレコーダーで録音し、パソコンで文字に起こす作業だ。風雨はノイズとなり、録音の声が聞き取りにくい。車窓に打ち付ける雨粒を見て「今日は起こしが大変だな」と、のんきなことを考えていた。
選挙応援に訪れた和歌山市・雑賀崎漁港で、地場産のエビ、タイを試食する岸田首相
【AM 11:17】
車列は和歌山市南部の雑賀崎漁港に到着した。200人ほど集まった聴衆は、生で見る首相の姿に拍手と歓声で沸き立ち、思い思いにスマートフォンのカメラを向けた。
首相は、出迎えた漁業関係者や尾花正啓市長と一言、二言会話し、地場の海産物PRのための試食場所へと歩いた。
【AM 11:22】
用意されたのはエビやタイ。刺し身や焼き物が皿に並んだ。エビは地元で「足赤エビ」と呼ばれているクマエビだ。首相は箸を取り、プリプリとした身を頰張ると「ボリューム、歯ごたえ。おいしい」と顔をほころばせた。あいにくの天気を吹き飛ばすような笑いを誘い、秘書官らもにんまり。手応えありの表情だと感じた。
【AM 11:25】
試食パフォーマンスを終えた首相は、記念撮影の写真に笑顔で収まる。支持者らと握手して、高さ数十センチの小さな演台へ近づいていった。間もなく演説が始まる。私はICレコーダーを片手に用意しながら、聴衆の熱気が最高潮に達するのを感じた。空を仰ぐと、降り続いていた雨は、ほぼやんでいた。
▽煙吐く爆発物が会場をパニックに陥れた10分間
【AM 11:26】
首相は演説台のそばで、自民党候補らと言葉を交わしていた。聴衆に背を向けた首相の会話は、演説内容の打ち合わせか、選挙情勢の分析か―。私は少しでも声を拾おうと、2~3メートルの距離まで近づき、耳をそばだてた。
その時だった。
岸田首相(右から3人目、背中)の演説会場に爆発物(左上)が投げ込まれた瞬間(目撃者提供)
【AM 11:27】
聴衆側から何かが投げられ、その影が視界に飛び込んできた。カラン、カラン―。硬いアスファルトの地面に落ちた物体は乾いた金属音を発し、首相の方へ転がっていく。私の目には、大きさや形状から発煙筒のように映った。
ほんの一瞬だが、その場にいた全員、何が起きたか理解できず、時間が止まったように感じられた。
直後、首相の至近距離にいた和歌山県警の警護担当が異変に気付き、防御用のかばんで物体を振り払う。さらに蹴り飛ばすと、銀色の物体は私の足元を通り過ぎていった。既に煙が噴き出しており、焦げ臭いにおいが瞬く間に鼻を突く。危険物だと直感した。
「たいひー」。退避を促す怒声が会場に響く。首相は、体を張った警護担当の警察官に押し出され、数十メートル先の車の陰まで移動していた。
私は無我夢中でスマホの動画ボタンを押すと、首相を追って20メートル程の距離まで小走りに離れた。
会場の方にスマホを向けつつ、首相の姿を確認すると、目を丸くし、ぼうぜんと口を開けている。事態を整理し切れずに戸惑っているような顔だ。普段、感情を露骨に表すことが少ない首相。驚きを隠せない素の表情を見たのは初めてだった。
岸田首相が衆院和歌山1区補欠選挙の応援演説に訪れた和歌山市の雑賀崎漁港で、筒状のものが投げ込まれ取り押さえられる男=4月15日
私の位置からは見えなかったが、人垣の向こうでは男が漁師らに羽交い締めにされていた。聴衆は騒然とした。
「ドーン」。演説会場で大きな爆発音が響き、わずかな風圧に襲われた。危ない―。演台周辺は既に煙が立ち込め、視界を遮る。「キャー」。飛び交う悲鳴、近づかないよう静止する怒号―。警察車両のけたたましいサイレンも加わり、会場はパニック状態に陥った。爆発は、金属の筒が投げ込まれてから約50秒後のことだった。
「ただ事じゃない」。昨年夏の安倍元首相銃撃事件が脳裏をかすめる。もしも、さっきの場所にとどまっていたら―。体がこわばり、心拍数が高まるのを感じた。
投げ込まれた金属の筒が爆発し、白煙が上がった
▽記者が抱えた一瞬の迷い
【AM 11:28】
「すぐに速報しなくては」と思った私は、目の前の事態を整理できないまま、本社政治部に電話をかけた。だが、うまくつながらない。焦りが募り、動揺する。プルルルル―。電話に出たデスクから落ち着くように言われ、ようやく報告を始めた。
「総理が、補欠選挙の応援で入った、和歌山の演説会場で、発煙筒のような物を投げ込まれて、その後、爆発しました。総理は、車で避難して、無事です」
11時37分に速報が流れ、首相襲撃のニュースを世間に伝えた。
共同通信速報を伝えるスマホ画面
【AM 11:36】
首相の車は既に現場を後にし、記者らが乗った車列も急発進した。この直前、実は迷いがあった。首相を追いかけるべきか、事件現場に残るべきか。
私のほかに共同通信で現場にいたのはカメラマン1人だけだ。聴衆の混乱、組み伏せられた容疑者、けが人の有無…。確認しなきゃいけないことが頭を巡る。自分がここを離れたら、誰が取材するのか。
それでも結局、「デスウオッチャー」の本分を通すことを選択した。デスウオッチャーとは耳慣れないと思うが、私が政治部に着任した昨年、先輩から言われた言葉だ。「総理番はデスウオッチャーだから」。その意味はこういうことらしい。「首相にもし事があれば、一番間近にそれを見聞きし、報道していく責務がある」
実際には考える暇などなく、車列の方へ移動する一行の姿を反射的に追っていた。
【AM 11:50】
和歌山市内中心部へ走った車列は、和歌山県警本部に到着した。一行は3階へ。この後の演説を続行するか中止するか検討に入った。記者は1階で待機するよう伝えられる。
じりじりと経過する時間。40分近く待っただろうか、スマホが鳴った。自民党職員からだ。「岸田総裁の判断で、安全対策を取って、JR和歌山駅や千葉の演説は予定通り行う」
電話を切った直後、首相らが1階に姿を見せ、次々と車列に乗り込む。午後0時31分、和歌山駅に向けて発車した。
事件後、JR和歌山駅前で応援演説をする岸田首相。左は自民党の二階元幹事長=4月15日
▽あえて平静に振る舞った首相の思いとは
【PM 00:42】
事件から1時間余り。首相は和歌山駅前で、千人を超える聴衆の前に再び姿を現した。すぐに街宣車の上に立ち、マイクを握る。
「先ほど雑賀崎の演説会場で大きな爆発音が発生した。多くの皆さんにご心配、ご迷惑をおかけし、おわび申し上げる。しかし今、私たちの国にとって大切な選挙を行っている。皆さんと力を合わせ、最後までやり通さなければならない。この国の主役である皆さんの思いを、選挙で示していただかなければならない。そうした思いで、私はこの会場に駆けつけました」
この日、衆院千葉5区補選を含めて3カ所で演説した首相が事件に触れたのは、この1回、この冒頭発言だけだった。
事件後に千葉県浦安市で行われた衆院補欠選挙の応援演説を終え、聴衆に手を振りながら引き揚げる岸田首相(左から3人目)=4月15日
参院選遊説中に安倍元首相が銃撃された事件では安倍氏が死去しており、比ぶべくもないかもしれない。それでも私には、爆発物を投げ込まれた首相自身、事件にほとんど触れない姿勢が、逆に印象に残った。
首相一行は和歌山の演説を終えると、関西空港から空路羽田へ飛び、千葉県で選挙応援。私は記事を書くため、羽田空港で総理番を同僚と交代したが、首相は千葉の演説会場で聴衆と次々グータッチを交わし、元気な姿を見せたという。
【PM 06:54】
首相は、東京・JR神田駅に近い行きつけの理髪店へ。周囲を固めるSPの険しい顔つきと対照的に、あえて平静に振る舞うよう努めたようだ。
【PM 08:38】
首相は公邸に帰った。長い一日が終わった。
総理番が担当する仕事の一つに、「首相動静」がある。日々の新聞紙面の片隅に掲載される短い記事で、首相の動きを記録するものだ。私はこの日、事件の一連の動きをこう記した。
「午前11時17分、和歌山市の雑賀崎漁港。地元漁業関係者と意見交換。爆発物が投げ込まれ、街頭演説を中止。退避」
大阪・北新地の放火殺人事件があったビル近くで救助活動する消防隊員ら=2021年12月17日(共同通信社ヘリから)
▽よみがえる事件の情景、「惨事ストレス」の入り口をのぞき見た
事件後の首相の行動に対し、交流サイト(SNS)では受け止めが分かれた。「良い意味で卓越した鈍感力」「国家指導者はかくあるべし」と好意的な声が上がった一方で、「無神経な人」という批判もあった。官邸の関係者に尋ねると、彼は首相の思い代弁するように語った。「事件を政治利用しないというのが首相の価値観。むしろ淡々とすることが、暴力に屈しないという最大のメッセージになる」
首相や秘書官らは翌日以降も選挙応援や官邸の公務をこなした。一方、私は心身の変調をじわじわと感じていた。
事件の話を、どうしても同僚や取材先から聞かれる。そこで何度も事件の情景を思い起こしたり、報道を見たりしたせいだろうか。仕事中もふと、爆発物が投げ込まれた記憶がよみがえってしまう。事件のことを人に話すたび、落ち着きがなくなっていくのが自覚できた。
2日後の17日、気が付くと発熱していた。39度を超える高熱。仕事を休んだ。
自宅で療養している間、2021年12月に大阪の繁華街・北新地のビルで起きた放火殺人事件が頭をぐるぐると巡った。心療内科クリニックの医師や患者ら27人が死亡。私は当時、大阪社会部の記者だった。悲惨な現場に直面した消防隊員らが事件、事故のことを繰り返し思い出す「惨事ストレス」を取材している。首相襲撃に遭遇した今回の体験と重なった。
熱は数日で下がり、惨事ストレス特有の過呼吸やフラッシュバックといった深刻な症状は出てない。それでも、消防隊員らが襲われた心身状態の「入り口」をのぞき見たように思う。現場にいたほかの人々の精神状態は大丈夫だろうか、と心配になった。
▽オレンジの閃光、突き刺さった破片、見えてきた爆発の威力
事件発生から1週間後、体調が戻ってきた私は、自分のスマホにある動画を確認した。
動画は約1分間あった。爆発物が投げ込まれた直後から始まっている。大きな破裂音とともに、オレンジ色の閃光(せんこう)が走る。あっという間に噴き出す大量の白い煙。警護担当の複数の警察官が防御用かばんを広げたまま、現場から離れるため駆け出す様子が分かる。聴衆の悲鳴や警察車両のサイレンも収められていた。
手ぶれはひどかったが、事件の様子をこれほど鮮明に撮れていたとは―。あっけに取られ、すぐ上司に電話し、事情を説明。一連の動画やこま落としの写真、記事を配信した。
記者が動画撮影した爆発の瞬間のこま落とし写真
【配信された動画】
https://www.youtube.com/watch?v=oNWupwmcsp8
和歌山県警の捜査などからは、爆発の強さも分かってきた。金属製の筒は、爆発地点から約40メートル離れた、いけすにかかる網の上で見つかる。同じく約60メートル離れたコンテナの壁には、筒のふたとみられる破片が突き刺さっていた。
こうした報道に触れるたび、恐ろしさが増す。もし避難するのが遅れていたら。事件翌日、家族に「今度から防弾チョッキを着ていったら」と心配され、大げさだなと笑ったが、爆発物の威力を知り、一歩間違えば本当に命に関わっていたんだと、背筋が凍る思いがした。
爆発地点から約60メートル離れたコンテナの壁に開いた穴=4月18日
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