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心を病みながら海に潜り捜し続けた「妻」。震災から12年後、取材をきっかけに明らかになった衝撃の事実

47NEWS / 2023年6月10日 11時0分

 妻の面影を求め、岩手県陸前高田市の海岸を訪れた男性=4月

 「東日本大震災直前に結婚した妻の行方が今も分からない」。今年3月、岩手県の海岸で出会った40代の男性は私につらい記憶を語ってくれた。津波に流されたと考え、ダイビングの資格を取って何度も海中を捜したが見つからず、苦しみで心を病んだという。そして今年4月、取材をきっかけに新たな事実が判明する。震災直前に彼女へ提出を託した婚姻届は出されておらず、2人は「夫婦」になっていなかった。(共同通信=森清太朗)

 ▽2度目のプロポーズ
 震災12年目に当たる3月11日、私は津波で壊滅した陸前高田市の景勝地・高田松原の海岸で、取材に応じてくれる人を捜していた。ふと目に入ったのが、リュックに花を差して海に向かう男性だ。地震発生時刻の午後2時46分、黙とうした後に声をかけていた。

 「妻とは2011年3月8日に結婚しました。その後、陸前高田の実家に荷物を取りに帰ったきり、今も見つかっていないんです」。波間に花束を投げ入れた男性はそう語った。海岸は2人でデートした思い出の場所だという。2度目のプロポーズのつもりで「いつか生まれ変わったら、また一緒になろう」と海に語りかけた。


 地震発生時刻に合わせ、リュックに花を差し込んで海岸に向かう男性(左端)=2023年3月11日午後、岩手県陸前高田市

 ▽託した婚姻届
 彼女は、趣味で参加したサイクリング大会のスタッフだった。知人の紹介をきっかけに約1年の交際を経て、2011年3月上旬、男性はドライブデートの車内で「一緒に住もうか」と勇気を出してプロポーズした。指輪は用意していなかったが、明るく天然で、気が強い彼女は笑顔で「仕方ない。一緒になってあげるよ」と返事をくれた。

 数日も置かず、2人は婚姻届を記入。男性は年度末の仕事に忙殺されており、提出は「頼む」と軽い気持ちで彼女に任せた。3月8日、彼女は同居を始めるため陸前高田の実家へ一時帰宅した。住んでいた地域の市役所へ婚姻届を出してから向かったとばかり思っていたという。

 ▽借金して海へ
 3日後の3月11日に震災が発生し、男性は内陸の勤め先で被災した。はいつくばらなければ動けないほどの揺れで、彼女とも連絡が取れず安否が分からない。「考えるより動け」と、1週間後には陸前高田まで車を走らせた。直感的に津波に流されたと考え、がれきの街を横目に海へ。だがとても浜辺を探せる状況ではなく、余震も相次いだため内陸に引き返せざるを得なかった。

 「一刻も早く、一刻も」。休日のたびに往復数時間の道のりを陸前高田に通って捜したが、一人では限界がある。何とか手掛かりを見つけたいと思ってがれき撤去のボランティアに加わり、20回近く活動に参加した。


 岩手県陸前高田市

 2012年秋、海中のがれきを片付けるボランティア団体の記事を読み、自分も潜って捜したいと思った。もちろんダイビングの経験はない。だが望みを託して銀行で約百万円を借り、スーツや器材を購入。仙台市でライセンスも取得した。

 「妻の手掛かりを探す」という私的な目的のためボランティア活動に参加することに後ろめたさを感じていた。ダイバー仲間には言えぬまま、時には1人で、40回以上潜って海底を捜索した。だが彼女は見つからない。数年かけて見つかったのは、泥にまみれた男物のセーターだけだった。この時は「少しだけ誰かの役に立てたかな」と思ったという。


 男性のダイビング器材

 ▽心の病
 男性はもはや平常心ではいられなかった。手元が震え、アルコール度数の高い焼酎を無理やり飲んで眠る毎日。精神科では「不安症」と診断された。それでも「どこかで妻が生きているかも」と信じ続けることで、自分も生きなければと思った。「何とか手掛かりを見つけたいという一心だったと思う」と振り返る。薬を服用しながら海に潜り続けた。

 身も心も行き詰まり、潜水服を脱いだのは約3年後だった。区切りを付けなきゃだめだと自分に言い聞かせて海中捜索こそやめたが、その後も年2、3回は砂浜を歩き、彼女の手掛かりを捜している。


 妻の面影を求め、岩手県陸前高田市の海岸を訪れた男性=4月

 ▽12年越しの事実
 「俺、結婚してなかったです」。浜辺で出会った今年3月11日の約1カ月後、男性から私に震えた声で電話がかかってきた。取材を機にふと「婚姻届は出ているよな?」との疑問が頭をよぎり、市役所で自分の戸籍謄本を確認した。すると婚姻歴も離婚歴も記載されておらず、震災直前、彼女に託した婚姻届は提出されていなかったという。

 思い返せば確かに、提出日を細かく打ち合わせていたわけではなかった。彼女は2011年3月8日、市役所に寄ってから陸前高田の実家に帰ったのだろうと12年間思い込んでいた。「ショックで…。俺、本当にばかだな」と電話口で言葉を絞り出した。出向いた市役所では静かに涙を流した。

 ▽妻であり大切な人
 その数日後、私は男性と一緒に陸前高田の海岸を訪問した。男性は仕事が忙しかったとはいえ「1人で提出に行かせようとしたことを後悔している」とうつむいた。彼女がいつ婚姻届を出すつもりだったのか、今となっては分からない。

 彼女の両親にも、付き合っていた頃に一度あいさつをしたきり再会できていない。実家がどこにあったのかも分からなくなるほど陸前高田の街並みは変わってしまった。今は足跡をたどる手段がない。


 妻の面影を求め、岩手県陸前高田市の海岸を訪れた男性=4月

 「彼女はきっと天国にいる。俺は地獄に行くんですよ」とつぶやいた。約7万本の松が流失した高田松原は、植樹でかつての姿を取り戻しつつある。空は晴れていたが、男性の心を映すように波は荒々しく打ち寄せていた。浜辺を歩いては時折足を止め、謝罪の言葉を口にした。

 ただ、許されるとは思っていないが、これで本当の一区切りにしようと決心しているという。愛情が途切れるわけではないが、自分自身の未来を見つめなければいけない。法律上の婚姻関係がなくても、心の中ではいつまでも「妻」であり、大切な人。来世こそ夫婦になりたいとの願いを込め、海に向かって語りかけた。「またね」


 高田松原の海岸に男性が投げ入れた花=2023年3月11日午後、岩手県陸前高田市(男性提供)

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