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「漢字が読めない」日本の識字率ほぼ100%は幻想か 見過ごされてきた「形式卒業者」の存在、注目集める夜間中学

47NEWS / 2023年6月15日 11時0分

石尾彰さんが勉強に使っている漢字ドリルとノート。現在は小4レベルを学んでいる

 日本では憲法で教育を受ける権利が保障されていて、ほぼ全ての人が中学校を卒業している。「文部科学統計要覧」によると、統計が始まった1948年から義務教育の就学率は99%台で推移し、2022年も99・96%だった。
 しかし、学校関係者の間で長年認識されながらも見過ごされてきた「形式卒業者」の存在が近年、クローズアップされている。病欠や不登校などで学校に十分通えず形式的に中学を卒業した人を指す。自身に卒業したとの認識がない人ですら一定数いるとされる。
 今や中学生の二十数人に1人が不登校と言われる時代。義務教育が十分に受けられなかったことで基礎学力が足りず、抱えることになる生活上の不便は想像以上に深刻だ。読み書きに不安を持つ人々が学び直す場としての夜間中学が、今再び注目されている。(共同通信=浦郷遼太郎)


香川県三豊市の夜間中学の授業風景。5月末時点で10~80代の18人が学んでいる=2022年10月

 ▽切符が買えない
 岡山市の井上健司さん(38)は今も読み書きに不安がある。漢字が読めず、電車の切符が買えない。住所の漢字も覚えられず、30歳過ぎまでメモを持ち歩いていた。
 「5の段」が覚えられなかった。小学3年の時、九九が覚えられずに先生に怒られ、友人と2人で居残りさせられたことを今も鮮明に覚えている。同じ時期に友人トラブルも重なって学校が嫌になり、不登校になった。遺伝性の糖尿病も発症し、退院した後も学校にはほとんど行けなかった。かといって家で勉強を教えてくれる人もいない。入退院を繰り返し、テレビアニメを見て過ごす日々が卒業まで続いた。
 中学入学後も不登校は続いたが、友人に誘われ3年の1年間は通った。ただ、1年ごとの学習の積み上げがないままでは、授業の内容はちんぷんかんぷんだった。友人とたわいもない話をして過ごす学校生活は楽しく、そのまま通い続けたが、受け取った卒業証書に実感は湧かなかった。


岡山市の自主夜間中学に通う井上健司さん

 卒業後、読み書きができず困り始めることになる。就職するにも、まず履歴書の書き方が分からない。説明書きにある漢字が読めなかった。土木作業員や警備員の仕事を始めたものの、派遣先の地名が漢字で理解できない。日報には平仮名ばかりが並んだ。「漢字が書けないのか?」と上司に言われても適当にごまかした。「なかなか理由は言えず、ただ謝っていた」と振り返る。
 その後は持病が悪化し、20代はほとんど働けず生活保護を受けながら生活した。車の運転免許の取得も試みたが、学科試験対策の引っかけ問題に苦戦し、挫折した。
 読み書きが難しいと、外出にも支障をきたす。行ったことがない場所へ足を運ぼうとしても不安やストレスから腹痛が起きる。買い物で街中に出ても、用が済めばすぐ家に帰る始末だ。海外へ旅行や留学する人を見ると、「不安じゃないのかな。僕だったらあり得ない」とこぼす。
 井上さんは、かかりつけ医の紹介で5年ほど前から「岡山自主夜間中学校」(岡山市)に通っている。週3日開校しているが、糖尿病の人工透析を受けながら福祉施設で働く日々なので、通って机に向かえるのは土曜日だけだ。現在は漢字検定8級(小3修了程度)の合格に向け勉強に励んでいる。
 「学校に通えなかった後悔がある。自分を変えたい。全力で学び直していきたい」と話す。


香川県三豊市の夜間中学に通う石尾彰さん。授業で分からないところがあれば、左にある「HELP」の札を立て意思表示する=2023年5月30日

 ▽授業では「いない存在」に
 50歳を過ぎて学び直す人もいる。香川県三豊市の石尾彰さん(55)は幼い頃から体が弱く、入退院を繰り返してきた。小学校でも腹痛で欠席することが多く、小4の時に精神的な不調から半年ほど入院したことがきっかけで本格的に勉強が分からなくなった。
 中学でも状況は変わらない。本当は小学校の勉強からやり直したかったが、先生はそこまで面倒をみてくれなかった。授業では他の生徒が順番に当てられていく中、石尾さんは飛ばされた。勉強ができない子とレッテルを貼られ、授業では「いない存在」にされたと感じた。「気分は悪かった」と振り返る。小学生の頃より体調は良かったため、学校には通い続けた。


香川県三豊市で開かれた夜間中学の開設式で、新入生に祝辞を述べる山下昭史市長=2022年4月

 卒業後は職業安定所の紹介で、車の整備工として働いてきた。だが車検項目のチェックリストに書いてあることが読めない。漢字も書けない。仕事は見て覚えたが、上司にメモを取るように言われることは苦痛だった。
 心の中でもう一度学びたいと強く願ってきた石尾さん。その思いは家族にすら伝えられず、どうすればいいのか分からなかった。そんな中、三豊市の夜間中学(市立高瀬中夜間学級)が設置されることをニュースで知り、すぐに市の教育委員会に電話で問い合わせた。
 2022年4月にスタートした三豊市の夜間中学は5月末時点で10~80代の18人が在籍する。石尾さんは小4の漢字ドリルを使って読み書きを中心に学び直しを続ける。今の目標は高校に進学し、電気工事士の資格を取ることだ。


石尾彰さんが漢字練習に使っているノート。ページの右端まで書けるだけ反復して書いて覚えるようにしているという=2023年5月30日

 ▽小卒80万人の衝撃
 小中学校での義務教育の内容を理解していることは、人生をよりよく生きるための土台として必要不可欠だ。文部科学省は義務教育の目的の一つに「国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成」を挙げている。
 2020年の国勢調査では、約80万人が最終学歴を「小卒」と回答した。戦中、戦後の混乱期で教育を受けられなかった人が多いため、80歳以上は約74万人。一方、50代以下でも約2万人いた。中卒と回答した人は約1126万人。既卒者の全体に占める割合は約11%となる。


夜間中学の意義について講演する城之内庸仁教諭

 ただ、中学を卒業したとしても、十分に義務教育を受けたことを示すとは限らない。不登校を含め、年間30日以上登校しなかった長期欠席者は小中学生で約41万人に上るとのデータがある。
 昼間の中学校でも勤務経験があり、今は三豊市の夜間中学で教える城之内庸仁教諭が明かす。「公立の学校現場では、明らかに出席日数や学力が足りないと分かっていても、教育的配慮の名のもと、年齢に応じて進級あるいは卒業させている実情がある。この考え方自体を見直さないといけない時期に来ている」。事実、小中学校の卒業に出席日数は必須ではない。こうした人が形式卒業者となって“無学”のまま社会に押し出されている。


夜間中学を併設している香川県三豊市立高瀬中学校

 ▽不登校にフォーカスする夜間中学
 夜間中学は戦後の混乱期に、さまざまな事情で義務教育が十分に受けられなかった人たちを対象に誕生したが、近年は高齢者に加え、外国人労働者の受け皿としても期待される。
 夜間中学は自治体が設置する「公立夜間中学」と、民間で運営される「自主夜間中学」の二つに分けられる。公立は教員免許を持った教員が指導。授業は週5日で学費は無料。全課程を修了すれば、中学卒業資格が得られる。これまでは中学を卒業していない15歳以上が入学するのが一般的だった。だが、文部科学省は2015年、形式卒業者の受け入れを認める通知を出している。
 一方、井上さんが通うような自主夜間中学は民間のボランティアで運営される。公立と違って入学要件はない。授業は週に2~3回。学校としての認可を受けていないため、中学の卒業資格は得られない。
 公立夜間中学の中には、特殊な位置づけの学校もある。香川県三豊市の夜間中学は不登校中の“現役”中学生を受け入れる。文科省から「不登校特例校」に指定された、全国で唯一の夜間中学だ。不登校生の実態に配慮した授業時間の削減や、習熟度に応じた柔軟な教育プログラムを実施し、現在2人の生徒が在籍する。形式卒業者予備軍の生徒にとって社会に出る前の“最後のセーフティーネット”かもしれない。
 新たな役割を担い、重要性がクローズアップされつつある夜間中学。文科省は都道府県と政令指定都市にそれぞれ1校以上の公立夜間中学の設置を促す。文科省によると、今年4月現在、17都道府県44校まで広がった。2025年度までに28都道府県に拡大し、新たに14校が設置される見通しだ。


香川県三豊市の夜間中学で実施された識字調査

 ▽識字率の実態は?
 基礎学力を測る最もベーシックな尺度は「読み書き」で、識字率として数値化することができる。しかし、識字率の現状を把握する全国規模の識字調査は、実は1948年以来行われていない。
 戦後、連合国総司令部(GHQ)の占領下で約1万7千人を対象に「日本人の読み書き能力調査」として一度実施されただけだ。その結果、読み書きが全くできない「非識字者」は1・7%で、読み書き能力の水準は極めて高いとされた。この結果や、戦後も義務教育の就学率が高水準のまま維持されてきたことを背景に、国内の識字率は「ほぼ100%」と認識され、識字問題は「終わった課題」とされてきた。
 しかし近年、小・中卒が一定数いることや外国人労働者が増加していること、また形式卒業者の存在にも光が当たり始め、全国的な識字調査を目指す動きも出ている。


取材に応じる国立国語研究所の野山広准教授

 日本語学などの研究機関である「国立国語研究所」(東京)が、一部の夜間中学で試行調査を進めている。その結果、井上さんが通う岡山市の自主夜間中学では約2割、石尾さんが学ぶ香川県三豊市の夜間中学では、ほぼ全ての生徒が「識字に問題を抱えている可能性」があった。 

 国語研究所は、調査対象を日本語教室などにも拡大する方針。将来的な全国規模の調査につなげたい考えだ。
 調査チームの野山広准教授はこう指摘する。「実際にどれくらいの人が日本語の読み書きに生活上困っているかを計る基礎的な資料を提供したい。調査を通じて識字率がほぼ100%とされてきたことが『共同幻想』だったと世の中に知ってもらい、必要な施策を取らなければならない」

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