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統一教会と自民党の「本当の関係」 教祖が残した全20万ページの発言録、読み解いて分かった半世紀を超える歴史 「安倍3代」が手を出した「禁断の果実」

47NEWS / 2023年7月9日 11時0分

「文鮮明先生マルスム選集」451巻264ページで「岸総理から私が手を出した」と語る部分

 安倍晋三元首相が銃撃された事件から7月8日で1年。山上徹也被告(42)は捜査機関の取り調べに、母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)信者で、家庭の崩壊に苦しんだと動機を語り、こんな内容も供述した。「(韓国から教団を)招き入れたのが岸信介元首相。だから(孫の)安倍氏を殺した」
 岸氏から安倍氏にいたる「安倍3代」と旧統一教会の歴史を解明しようと、私たちは教団創設者・文鮮明氏の発言録「マルスム選集」(全615巻約20万ページ)をはじめとする教団関係の資料を手分けして分析し、同時に関係者にも取材した。
 そこで分かったのは、教団が日本上陸後すぐの1960年代から、岸氏ら自民党有力政治家と関係を結んでいたこと、そして「安倍3代」を軸に、その影響が今も続いていることだった。教団はなぜ自民党を必要としたのか。政治家の側も、なぜ教団に近づいたのか。“禁断の果実”と知っての上だったのだろうか。(共同通信大阪社会部「マルスム」取材班)


世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の本部が入るビル=2022年10月、東京都渋谷区松濤1丁目

 ▽岸家の隣に教団本部
 JR渋谷駅を出て、緩やかな坂を南西方向に登っていくと、10分ほどで大使館や洋風の豪邸が並ぶ高級住宅地が現れる。東京・渋谷区の南平台町だ。この地区にはかつて、安倍氏の祖父・岸信介元首相の邸宅が立ち、旧統一教会本部の施設が隣り合っていた。跡地は現在、マンションとなっており、往時の面影を思わせるものはない。


東京・渋谷区南平台町の自宅でカナリアを見る岸信介首相=1958年

 岸氏の孫で、安倍氏の弟に当たる岸信夫前防衛相は昨年7月、記者会見で当時のことを問われ、次のように語っている。
 「南平台に住んでいたのは小学校の低学年の時でございますから、もしかしたら(教団関係者と)お会いしてるかもしれません」
 教団系出版社「光言社」の書籍「日本統一運動史」によると、教団は1954年、韓国で創設され、4年後に宣教師を密航させて日本での布教を開始した。1964年に宗教法人として認証され、本部は世田谷区から渋谷区南平台町に移転した。翌65年、渋谷区松濤に再移転し、現在に至る。
 教団創設者の文鮮明氏は、自らをメシア(救世主)と称した。そして、日韓両国についてこう説いた。かつて朝鮮半島を植民地支配した日本はエバ国家であり、「日本はすべての物質を収拾して、本然(自然)の夫であるアダム国家の韓国に捧げなければならないのです」
 教義を解説する「原理講論」によると、「あらゆる民族はこの祖国語(韓国語)を使用せざるを得なくなるであろう」としている。さらに、共産主義諸国を「サタン(悪魔)側」であると敵視した。
 そんな教団と岸元首相が関係を持ち始めたきっかけは、右翼の大立者として知られ、反共産主義運動に関わっていた故笹川良一氏と岸氏との親交だった。「運動史」によると、笹川氏は岸氏に対し、こう力説したという。
 「君の隣にこういう者(信者ら)が来ているんだけれども、あれは私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君で、将来、日本のこの混乱の中に、それを救うべき大きな使命を持っている青年だと私は期待している」


「写真で見る統一教会40年史」に掲載された、故・文鮮明氏(左)と岸信介元首相の写真(全国霊感商法対策弁護士連絡会提供)

 ▽「岸先生のおかげで飛躍」
 1967年6月には文鮮明氏が来日し、山梨県の本栖湖で笹川氏らと反共組織の設立を話し合った。翌年、国際勝共連合が発足し、過熱する学生運動に対抗した。勝共連合を率いた日本統一教会初代会長の久保木修己氏の著書「愛天 愛国 愛人―母性国家日本のゆくえ」(世界日報社)によると、発起人に名を連ねたのが笹川氏と岸氏だった。
 ただ、当時から既に、統一教会の学生信者が親を「サタン」と呼んだり、家出したりすることが社会問題化しており、1967年には「親泣かせの原理運動」などと報道されている。それにもかかわらず、岸氏は教団との関係を深めていく。1970年には信者らの前で講演し、1973年には文氏との会談を果たした。


本部が入るビルに付けられた「世界平和統一家庭連合」の文字=2022年9月、東京都渋谷区

 久保木氏は著書で、そんな岸氏への感謝の念を隠さない。
 「岸先生は、しばしば統一教会の本部や勝共連合の本部に足を運んでくださいました」
 「岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになった」
 岸氏と教団との関係は、アメリカ当局も注目していた。連邦捜査局(FBI)が公表している文氏に関する調査報告書(1975年)は、岸氏が日本の国際勝共連合の“ヘッド”であると名指ししている。
 教団はこの関係を足掛かりに、自民党を中心に時の政治権力者たちと密接な関係を築いていく。政治家側もまた、選挙協力を得ようと教団に近づいた。


安倍晋太郎氏(左)と中曽根康弘氏(右)

 ▽選挙介し自民党と一体化
 文鮮明氏が1956~2009年に信者に説教した言葉を、韓国語で収録したものが、「文鮮明先生マルスム(御言)選集」全615巻だ。約20万ページに及ぶ膨大な量で、文氏が死去した2012年まで発行された。
 現在は絶版となっているが、ウェブサイトで全編公開されていた(現在は削除されている)。日本の教団広報部は「御言選集で間違いないが、不法転載されている」とする。これを韓国語が分かる記者4人で翻訳・分析した。
 たとえば、こんな記述があった。
 「261人の国会議員を304人にしたのが私です。勝共議員が自民党内に180人います」(173巻225ページ)
 「岸総理(の時代)から私が手を出した」(451巻264ページ)
 選集の中で文氏は、自らが自民党を操っているという自負を隠さず、岸信介元首相と結んだ関係が連綿と続いたことを誇っていた。自民党本部に事実関係を尋ねると「発言録を把握しておらず、回答できない」との回答だったため、発言内容の真偽は不明だ。


1986年7月、衆参同日選で自民党が圧勝した日の中曽根康弘首相

 とりわけ目立つのは、選挙での“実績”に触れた部分だ。中曽根康弘政権下で衆参同日選となった1986年7月、衆院で自民党は追加公認を含め304議席を獲得し圧勝している。前述の記述は、文氏が88年2月に選挙を振り返った言葉だ。
 選集には、多くの信者を選挙活動に従事させていたとも取れる、次のような発言もある。
 「一昨年の選挙当時、日本のお金で60億円以上使いました」「統一教会は怖いです。40人なら1人を当選させられます。この人たちはいわば訓練された精鋭部隊です。(信者)1人が何軒訪問できるかと言えば、最低300軒、最高記録が1300軒です」(173巻226ページ)
 教団の政治団体「国際勝共連合」の機関紙「思想新聞」は衆参同日選のあったこの年の7月、「勝共推進議員130人が当選」と題する記事を掲載している。紙面を見ると、当選した自民党や民社党の衆参両院議員計118人の氏名が並んでいる。
 国際勝共連合の設立と岸元首相、笹川良一氏についての記述もある。文氏は次のように語っている。
 「日本の政治、政界の有力者である岸信介という人が日本で信望が良いので、笹川のじいさんと組ませて、私たちの計画通り踊らせておいたのです」(160巻161ページ)


「勝共推進議員130人が当選」の見出しが躍る「思想新聞」

 ▽安倍晋太郎元外相とは「契約」
 文氏の選集によると、自民党との関係は後任の首相たちに受け継がれていったことになっている。
 「中曽根を首相にしたのは私です。福田(赳夫)を首相にしたのも私です」(538巻271ページ)
 あたかも首相人事を掌握したかのような発言だ。さらに、「次期首相」と見込まれた岸信介氏の娘婿・安倍晋太郎元外相を巡っては次のような主張をしている。
 「安倍晋太郎は私と契約書まで書いたのです。これを発表したら、世の中がひっくり返ります。その約束が何かというと、自分が首相になったら80人から120人の国会議員を連れて漢南洞(文氏の自宅)を訪問するというものです」(273巻117ページ)


竹下登氏を自民党新総裁に選んだ党臨時大会で握手する(左から)安倍晋太郎氏、中曽根康弘氏、竹下氏ら=1987年

 ところが、1987年10月の自民党総裁選で、中曽根氏は竹下登氏を後継に指名した。安倍晋太郎氏の首相就任を切望していた文氏は激怒する。
 「中曽根は私を裏切りました」
 「安倍が5分もあれば首相に当選できたのに、200億で売られたんです」(212巻185ページ)
 元信者で金沢大の仲正昌樹教授(政治思想史)は、選集にある文氏の発言内容について、こう指摘する。
「教団幹部から『お父さま(文氏)はこうおっしゃった』と伝えられた内容と一致しています」
 仲正教授は、教団の狙いを次のように分析した。
 「勝共連合の活動を自民党と一体化して拡大し、最終的に日本の協力を得て南北朝鮮統一を果たすためだったのでしょう」
 そして2006年、安倍晋太郎氏の次男・晋三氏が首相に就任。文氏の発言はこう続く。
 「安倍晋三が首相ですよね。それは先生(文氏が自身を呼ぶ言葉)と近いですよ」(545巻321ページ)


「文鮮明先生マルスム選集」451巻表紙のコピー

 ▽教会の人たちは近づいてきませんか?
 ただ、安倍晋三元首相は当初、教団との距離の取り方について慎重になっていたとみられる。旧統一教会の問題に詳しいジャーナリストの有田芳生元参院議員によると、教団による霊感商法などが問題となった1990年代以降、自民党の政治家は教団と表立った関係を結ばないようになったという。
 有田氏は2000年代初頭、テレビ番組で一緒になった安倍氏と、CM中にこんな会話をかわしたと明かす。
 有田氏 「統一教会の人たちは近づいてきませんか?」
 安倍氏 「しょっちゅう来るよ」
 有田氏 「お会いになるんですか?」
 安倍氏 「会わないようにしてる」


取材に応じるジャーナリストの有田芳生・元参院議員

 ▽「先生なくして成就できず」
 風向きが変わったのが、2009年からの自民党の下野時代だ。安倍氏は一転して、教団関連の団体で講演するなど、表立った関係を持つようになった。有田氏はこう分析する。「選挙での勝利こそ、権力の源泉です。再起のため、教団の協力を必要としたのではないでしょうか」
 協力の一端をうかがわせるのが、有田氏が2010年7月の参院選の際に入手した教団内部資料とされる文書だ。文書は、安倍派の山谷えり子参院議員(比例)の支援を呼びかける内容だった。
 「ジェンダーフリー問題、青少年問題にとってなくてはならない先生」「山谷先生、安倍先生なくして私たちのみ旨は成就できません」
 この文書にもあるように、教団が近年、矛先を向けてきたのが「性や家族の多様性を認める価値観」だ。昨年6月、東京都が性的少数者のカップルを公的に認める「都パートナーシップ宣誓制度」の条例案を議会に提出すると、教団関連メディア「世界日報」は「社会秩序の根幹をなす一夫一婦の婚姻制度を崩壊させてしまう」と社説で猛反発。ただその後、条例は可決されている。


「天宙平和連合」のイベントに寄せられた、安倍元首相のビデオメッセージ(公式サイトより)

 2021年、安倍晋三氏は、教団の関連団体「天宙平和連合」(UPF)の行事にビデオメッセージを寄せた。内容は、教団トップの韓氏をたたえるものだ。
 「韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」
 これが、銃撃事件の引き金になった可能性がある。山上被告の供述の中に次のような内容があったためだ。「当初は韓氏を狙ったが、新型コロナウイルス禍で来日しないので安倍元首相に狙いを変えた」


2005年6月、米ニューヨークで演説する文鮮明氏(AP=共同)

 ▽文鮮明機関(ムン・オーガニゼーション)
 銃撃事件を機に、教団と政治家との接点が次々と報じられた結果、自民党も内部調査を公表した。だが今春の統一地方選では、共同通信のアンケートに教団との接点を認めた現職のうち、41道府県議選に立候補した9割超の240人が当選。現役信者だと公言する徳島市議も再選した。
 政界への影響はなくなっていない。日本国内で、教団と政治の関係への検証は未だ不十分だといえる。教団と政治との関係は今後、どうなっていくのだろうか。
 それを検証する上で参考になるものがアメリカにある。教団が関係したアメリカ政界の工作が発覚したのを機に、下院でまとめられたフレーザー委員会報告書(1978年)だ。


韓国にある教団本部

 「1563件のインタビューが行われ、123件の召喚状が出され、政府機関、民間団体、個人からの数千の文書が調査され、20の公聴会が開かれ、37人の証人が宣誓して証言した」末に、447ページにまとめられた調査報告書だ。
 報告書は教団と関連団体について、こんな指摘をしている。
 「数多くの教会、企業、委員会、財団などは、文鮮明の中央集権的な指示と制御の下で、本質的に一体の、世界的な組織の一部として浮かび上がった」
 報告書は、教団など関連組織の総称として「文鮮明機関(ムン・オーガニゼーション)」と表現した。そして「M16自動小銃の製造に文機関が関わった確かな証拠があった」などと、軍需産業まで関わった工作の数々まで明らかにしている。
 有田氏は力説する。
 「銃撃事件後、教団の問題はある程度、報じられるようになったものの、統一教会とは何かという全体像は伝わっていません。詳細な報告書を残した米下院のように日本でも、国会が権限を使って調査を主導し、戦後史を覆う闇を解明すべきです」

 ※取材・執筆は武田惇志、禹誠美、伊藤怜奈、小林知史、角南圭祐が担当しました。

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