元首相の命を奪った銃弾で、胸の議員バッジは粉々に砕け散った 拾い集めた捜査員、受け取った昭恵さんは何を思ったか。「弔い合戦」の最中、突然の取材に語ったこととは
47NEWS / 2023年7月21日 11時0分
奈良市の近鉄大和西大寺駅前の路上で安倍晋三元首相=当時(67)=が応援演説中に銃撃され、亡くなった事件から1年が経過した。殺人未遂容疑で現行犯逮捕された山上徹也被告(42)は、3月までに殺人など五つの罪で起訴され、今は大阪拘置所で裁判の開始を待つ。その山上被告が撃った1発の銃弾が、安倍氏の胸にあった国会議員バッジに命中していたことはほとんど知られていない。政治家の象徴ともいえるバッジが砕け散った事実は、取材の過程で知るまでは表には出ていなかった。衝撃を端的に物語る情報の真相を確かめられないか。安倍氏の妻昭恵さんに渡されたと聞き、当時奈良支局員だった私は悩んだ末、山口県に向かった。遺族としての昭恵さんの心情を考えれば、歓迎されざる訪問であることは明らかだった。突然の取材にもかかわらず、昭恵さんが語ってくれたこととは。(共同通信=安部日向子)
安倍元首相の国葬会場=22年9月、東京都千代田区の日本武道館
▽遺骨の傍らに安置されたバッジ
事件が起きたのは、参院選の投開票日を2日後に控えた昨年7月8日だった。そこから2カ月余りが経過した9月27日。戦後の首相経験者として吉田茂以来2人目となる国葬が東京・日本武道館で営まれた。
会場には富士山の裾野や山頂の雪化粧をイメージした大きな式壇がしつらえられ、安倍氏の遺骨はその中央に安置された。衆院議員であることを示す円形のバッジや、北朝鮮による日本人拉致問題の解決を願うシンボル「ブルーリボンバッジ」は箱に収められ、中身が見えるようにふたを開けた形で、遺骨に寄り添うように右隣に置かれた。
私は当時、奈良市内で国葬のテレビ中継を見ていた。事件の捜査状況を取材するのが主な担当で、安倍氏が亡くなったことに関する情報に日々接していたが、国葬の映像を見ても、亡くなったという実感は正直、全く湧いてこなかった。
国葬で式壇に置かれる遺骨。議員バッジの入った木箱は脇に安置された=22年9月、東京都千代田区の日本武道館
▽バッジは撃ち抜かれていた
箱に入っていた議員バッジが事件当日、安倍氏の上着に着けられていたものだと私が知ったのは昨年11月のことだ。直径2センチのバッジが撃ち抜かれていたのを知ったのもこのとき。安倍氏に致命傷を与えた2発の銃弾と同じタイミングに発射された1発が、真横から当たったとみられる。
弾が命中したバッジはバラバラになったが、奈良県警の捜査員が拾い集めて昭恵さんに手渡した、という情報にも接した。ブルーリボンバッジも割れていたのだという。国葬で飾られたバッジは復元されたものだったのか―。「ウラ取り」と呼ばれる確認取材を進めたい思いもありつつ、当時は奈良県警による捜査の行方を追うので手いっぱいの状態が続いていた。
安倍元首相の事務所から看板を外す妻昭恵さん(左)=22年12月、山口県下関市
▽表に出る昭恵さん
昭恵さんは9月の国葬に参列した後も、多くの場面で表に出てきていた。10月は安倍氏の選挙区があった山口県での県民葬であいさつし、立憲民主党の野田佳彦元首相による国会での追悼演説は、議場内で遺影を抱えて聞き入った。政権を争った相手からの心のこもった言葉に、昭恵さんは「野田先生にお願いして良かった」と目に涙を浮かべた。
12月には山口県下関市にあった安倍氏の事務所閉鎖に立ち会い、涙ぐんで看板を取り外す様子がテレビに映し出された。安倍氏の後継者として、当時の下関市議に立候補を打診したとも報じられた。しかし、記者とテレビに囲まれる機会がありながらも、事件について口を開く場面はなかった。
安倍氏が亡くなった後も、元宰相の妻として務めを果たす姿を見て、昭恵さんの声を直接聞きたいという思いは強まっていった。
衆院山口4区補欠選挙で当選を決めた吉田真次氏(中央)。右は喜ぶ安倍昭恵さん=4月23日、山口県下関市
▽一度きりのチャンス
バッジの真相に近づけないまま時だけが過ぎ、今年4月に入って衆参両院の補欠選挙が告示された。安倍氏の死去に伴って空白区となっていた山口4区も対象の一つ。後継として自民党から立候補した吉田真次氏は、昭恵氏が打診したその人だった。「弔い合戦」に連日のように同行して吉田氏への支持を訴えていると聞き、接触を試みることにした。
大切な人を事件で失った遺族としての昭恵さんに、こうした取材が余計な負担をかけるであろうことは容易に想像がついた。他方、日本社会に衝撃を与えたあの事件をあらゆる角度から報じる上で、割れたバッジのことを語れる唯一の関係者として、取材をお願いすることには意味があるのではないか、とも考えた。選挙期間中、唯一の機会となった2日間を使い、奈良から山口へと向かった。
4月中旬の午後。日本海を望む喫茶店の駐車場で昭恵さんを待った。JR新下関駅から車で1時間ほどの長門市内にある場所だった。昭恵さんはこの日も、吉田陣営が車で移動しながら支持を訴える活動に朝から付き添っていた。
休憩に立ち寄るとあらかじめ聞いていた通り、2時すぎに陣営の車が到着した。車から降りてきた昭恵さんに声をかけた。奈良支局から来たことを伝えると、複雑そうな固い表情を浮かべた。取材意図を伝えるための手紙を用意していたので、これだけでも、と思って手渡した。昭恵さんは受け取って会釈すると、陣営の輪に戻っていった。
その後の遊説には、地元の記者に混ざって同行した。街頭でマイクを握る昭恵さんは、支持者にこんなふうに語りかけていた。「主人が亡くなったのは本当に残念ですが、吉田さんという立派な候補が後を継いで出馬の決意をしてくださいました。主人も本当に信頼して、楽しみにしていた吉田さんです。どうぞ皆さまのお力を貸してください」
昭恵さんは安倍氏に触れながら支援を呼びかけた。声はかすかに揺れ、目は潤んでいるように見えた。人けのない山道を越え、漁港や住宅地を回った。集まった支持者には笑顔で握手に応じていた。
安倍元首相をしのぶ会で、あいさつする妻昭恵さん=8日、東京都港区
▽「今はまだ…」
翌朝、長門市内の駐車場に集まった吉田氏の陣営を訪ねると、昭恵さんが声をかけてきた。「お手紙読みました。今はまだお話しできないんです」。前日の固い表情とは異なり、穏やかで優しい顔をしていた。昭恵さんからは「必ず連絡します」という言葉もあった。選挙戦は終盤に差しかかっていた。疲労が溜まる中、手紙を読んでくれたことだけでも目的は果たせたと思った。
夜には奈良で取材があり、昼過ぎには現地を離れなければならなかった。昼食休憩に集まった陣営の面々にあいさつし、昭恵さんにも帰路に就く旨と、同行取材許可への謝意を伝えた。すると思いがけず言葉が返ってきた。「今は主人に関する取材は受けていないから、答えられないんです」。申し訳なさそうに話してくれた後、昭恵さんは付け加えた。「でも、バッジは県警の方が一つ一つ丁寧に集めてくれたんです」
昭恵さんの言葉は続いた。国葬の数週間前、奈良県警の鬼塚友章前本部長や県警捜査員らが東京の自宅を訪れ、木製の箱に入ったバッジを持ってきてくれたこと。バッジに銃弾が当たり、割れてしまっていたと説明を受けたこと。昭恵さんは鬼塚氏らに「ありがとうございます」と感謝を伝えて木箱を受け取り、国葬で飾られた後は自宅で大切に保管していること…。
砕け散った議員バッジは結局、元の形には戻らなかったのだという。奈良へと向かう新幹線で、私は昭恵さんの言葉を何度も反すうしていた。
2021年の衆院選を受けた第206特別国会を前に、用意された議員バッジ=21年11月10日、国会
▽取材を終えて
安倍氏は、私が小学校に通った頃から大学生になるまで首相だった。「安倍政権下で育った」という感覚があるからか、さまざまな事象の中心にいた安倍氏の象徴とも言える議員バッジが割れたという事実は、本人が亡くなったということと同じくらい印象に残った。ファーストレディーとして安倍氏を支えた昭恵さんが、割れたバッジを受け取ったときに何を感じたのかについても、取材したいと思った。
とはいえ昭恵さんも一人の遺族であり、これまで全く面識もなかった。取材は正直ためらわれたが、「話を聞かせてほしい」という思いだけでも伝えたいと考え、手紙を書いて渡した。
山口で聞けたのは結局、バッジにまつわる事実関係だけだった。胸の内に迫るにはまだ早すぎるかもしれないし、言葉になる日は来ないのかもしれない。事件から1年を迎えて、昭恵さんがかけてくれた「今はまだお話しできないんです」「必ず連絡します」という言葉を改めて思い起こしている。
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