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「僕を見て2千本を打った選手だと思いますか?」球界随一の守備力を誇った中日の二遊間、荒木雅博さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(23)

47NEWS / 2023年7月19日 10時0分

現役最終年の2018年9月、代打で二塁打を放つ荒木雅博さん。23年間、中日一筋で2045安打を積み重ねた=ナゴヤドーム

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第23回は荒木雅博さん。中日が誇った井端弘和さんとの二遊間「アライバ」コンビは12球団随一の守備力で、4度のリーグ優勝に貢献しました。渋いプレーぶり同様、派手さを好まない謙虚な人柄が言葉にもにじみ出ました。(共同通信=中西利夫)

 ▽ヒットが打てなくても、バントを一つ決めれば満足

 落合博満さんが監督で来られた2003年秋、これで僕のレギュラーはないだろうと思いました。三冠王を3度も取られている方ですから、打てない人間を使うわけがないと。打つ方は「カス」のようなバッティングをしていました。本当ですよ、これ。僕はプライドも何もないです。素質は間違いなく、ない。昔から見よう見まねで、この人はこうやっているとまねしたら守備とかはできました。ただ、バッティングに関しては、まねができなかった。本当に何ともならない。練習していても何が良いのか悪いのか分からない感じでした。


1995年のドラフト会議で中日に1位指名された熊本工高時代の荒木雅博さん=熊本日日新聞社提供

 落合さんは「とにかく自分の能力を10%上げてくれ。それだけでいい」と言われました。足が速いんであれば、それを磨いてくれと。だったら自分の生きる道は足。そこしかないと思いました。レギュラーはちょっと諦めた感はありましたね。走塁要員でも守備要員でもいいから、そこを極めて、いいところを伸ばして1軍で長いこと野球をやっていこうと思ったんです。それまでは、とにかく打ちたい、打率を残したいと常に思いながらやっていました。不思議なことに「もういいや、守備と走塁」って思った瞬間に何かがはじけたのか、次の年からレギュラーが取れたんです。きっかけは分からないんですよ。全部を一緒にやろうとすると、伸び率というのはそんなにないんでしょうね。短所は短所で、長所を伸ばしてカバーしようとか、長所だけで勝負していこうとした方が良いことがあるのかも。全てがそうじゃないんでしょうけど、僕の場合は長所を伸ばそうとして、短所の方にあまり目が向かなくなりました。あの年、それが一番の基点です。練習の割合はそれまでの打撃が6~7割、守備が3~4割から守備7~8割、打撃が2~3割と逆になった感じです。
 落合さんは、あんまり難しいことを言われる方ではなかったです。野球って9番まで打順があって、そこにみんな意味があり、打てないんだったら守る、守れるんだったら試合に出続け、打てなくていいから守りなさいと。そのために野球があるんだと再認識しました。チームスポーツは1点でも勝っていれば、それがその日の仕事ですから。打てなかろうが、バント一つでも決めれば、ファインプレーでもできれば、もうその日は満足ですね。


2004年6月の巨人戦で適時二塁打を放つ荒木雅博さん=札幌ドーム

 ▽「アライバ」で守り勝つ野球を体現

 2千安打を打てたのは内野手だったから。外野手だったら、僕の打撃ではとっくに終わっているでしょう。ちょっと調子が悪くても二遊間を守っているから外せないというところにいたので。それで出続けられたことによって2千本が打てました。体が強かったというのが一番の持ち味です。通算打率も最後は2割7分を切っていて、それでも出させてもらいました。球団に対しての感謝は常に持っています。1800本ぐらいになって、もうちょっと打ちたいなとなりましたね。それまでは本当に考えてなかったです。レギュラーを張ることすら無理だろうと思いながら始まったプロ野球人生ですから。
 スイッチヒッターは3年目の頭から始めました。左の方がバントもうまかったです。たぶん、5年目のファームの成績は左で結構打っていますよ。3割は超えていました。もしかすると(1軍で)スイッチだったら、もっと良かったかもしれません。でも何か一つ自分のものにしようと思ったら、そう簡単にはできないということですよね。3年やってやめましたけど、やるんであれば、5、6年やるべきだったのかなと思うし、逆にもう終わっていたかなとも思います。あの頃の僕はプロ野球のやり始めの時期でしたから、やれと言われたら、はい、やりますと言う世界。がむしゃらにやるしかなかった。がむしゃらにやってきて23年。うまく上の人(指導陣)が引っ張り上げてくれました。不思議だと思いませんか、僕を見て。2千本を打った人じゃないみたいと、よく言われます。


2007年9月の阪神戦で二盗を決める荒木雅博さん。このシーズンは31盗塁で盗塁王に輝いた=甲子園

 「アライバ」コンビには何の企業秘密もありません。経験ですよね。(打球がどこに飛ぶか)分かることはありませんが、反応は良かったと思います。考えるというより体で覚えていくしかないです。最初のうちはミスもたくさんしますよね。見えないミスを。守る位置はそこじゃなかったなとか、結構あります。そういうのを覚えて次の機会に生かしていきます。井端さんが横にいたので、どこらへんを守りますか、どういう考えで守りますかというのは、よく話していました。
 サインが出て動くのがあまり好きじゃなかったので、サインが出る前に、だいたい次はこれを投げるだろうというので、捕手が投手へ返球する時には次の所に移動しています。谷繁元信さんが、ほぼ一人でマスクをかぶられていたので、予測予測で。出だしの頃は守っている位置が違うと言われて「井端さん、どこですかね」と話を聞きながら、いろいろ迷惑をかけましたけど、一つずつ勉強していきました。最後はある程度のところに守れたのではないですか。
 (定位置から)大きくは動かないです。右側なら右側に気持ちを持っていっていれば、それだけで広く動けるわけです。動いても1メートルですね。打者によって思い切り2、3メートル動いたことはあります。ピッチャーが良かったからですね、あの時は。守りもしっかり守れていたと思います。野球っていろんな作戦がありますけど、守り勝つというのを体現できた期間でした。


2012年4月のDeNA戦で併殺を決める荒木雅博さん。後ろは遊撃手の井端弘和さん=ナゴヤドーム

 ▽ノーヒットノーランは、まだいい。エラーOKだから

 落合監督から、自信を持ってやれば、もっといい選手になるのにと言われたことを覚えています。守備だけにかかわらず、毎日試合に行くのが嫌なぐらいのプレッシャーでした。やっぱり注目された中で、優勝争いをしている中で毎日結果を出さないといけない、ミスすることができないという中でやっていくのはしんどかったです。楽しくやりたいなって思っている時に、ヤクルトの宮本慎也さんが引退した際の「楽しんで野球をやったことは一度もない」という言葉を耳にしました。みんなそうやって野球をやっているんですね。
 2007年の日本シリーズ第5戦で、最後の打球を捕ったのは僕ですけど、あの時だけは飛んでくるなと思いましたよね、真剣に。日本一を(継投の)完全試合でやっていますよね。飛んでくるなと思いながら、どうせ、こういうとき飛んでくるのって俺なんだよな、俺ってこういう人生だもんなと思ったら、やっぱり来たという感じでした。あの時ばっかりは、ここだけは勘弁してくれ、何でもいいから三振して、と思っていました。ノーヒットノーランなら、まだいいです。エラーOKなんで。完全で来られた時には、もうどうしようもない。ドキドキしましたね。他でドキドキは、現役を終わってみて、一つ挙げてくれと言われても出てきません。もう全部平たんですね。良いことも悪いことも。ドキドキしたことも普通にやったことも。特にこのプレーだとか、バッティングだとか、ないんですよね。初安打や2千安打とか、記憶としては残っているんですけども。涙が出てきたとか? ないですね。淡々と野球をやりすぎましたね。


2017年6月の楽天戦で通算2千安打を達成し、声援に応える荒木雅博さん=ナゴヤドーム

    ×    ×    ×
 荒木 雅博氏(あらき・まさひろ)熊本工高からドラフト1位で1996年に中日入団。堅守と俊足の二塁手で、2004年から6年連続でセ・リーグのゴールデングラブ賞。07年は盗塁王に輝き、チームの日本一にも貢献した。08年北京五輪出場。17年6月に通算2千安打を達成して名球会入り。18年に現役引退し、19年から中日コーチ。77年9月13日生まれの45歳。熊本県出身。

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