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自分の応援演説に来てくれた安倍元総理が撃たれた 真横にいた佐藤参院議員が明かす「申し訳ない気持ちで過ごした1年」

47NEWS / 2023年7月27日 10時0分

参院奈良選挙区で当選を決め、記者会見する佐藤氏=2022年7月10日、奈良市

 安倍晋三元首相が昨年7月8日に奈良市で銃撃されてから1年。当時、真横にいた自民党の佐藤啓参院議員がインタビューに応じた。「すぐに駆け寄って『総理、総理』と声をかけたが、返答はなかった」―。自分の応援のための選挙遊説が事件現場となった。昭恵夫人をはじめ安倍氏を慕う多くの人々に「大変申し訳ない気持ちで過ごした1年だった」と振り返りつつ、恩に報いるため安倍氏が情熱を傾けた政策を引き継ぐことに努力していると語った。(共同通信=高松亜也子)


インタビューに答える自民党の佐藤啓参院議員=7月5日、国会

 ▽慰霊碑建立、最低限の思いに応えられた
 ―これまで断っていた取材を受けたのは心境に変化があったのですか。
 「昭恵夫人をはじめご遺族や山口県の皆さん、安倍先生を慕う多くの皆さんに大変申し訳ない気持ちで過ごした1年でした。ご恩に報いるため、安倍先生が情熱を持って取り組んだ政策を引き継ぐことに努力して活動した1年でもありました」


 「一周忌を迎えるに当たり、静かに手を合わせて花を手向ける場所を作らなければならないと思っていました。7月1日、地元有志のご厚意で慰霊碑を建てることができました。安倍先生を慕う多くの皆さんの思いに最低限、応えられたのではないかと思い、取材を受けることにしました」


安倍元首相銃撃事件から1年となり、慰霊碑の前で手を合わせる人=7月8日、奈良市

 ▽強烈な怒りと同時に流れた涙
 ―安倍氏が参院選の応援に入るのは2回目でした。
 「前日昼ごろ、私の陣営に連絡があったと聞いています。私も私の陣営も、2回も応援に来てくれるのかという驚きと、本当にありがたいという気持ちでした」
 ―事件の様子は覚えていますか。
 「1発目の大きな音が鳴ってからは、現場がどうなっていたのかほぼ分かりません。最初の音が何の音かも分からなかったです。2発目の音が鳴った時に、左後ろから『危ない、逃げろ』と前方に誘導する動きがありました」
 「振り返ると、安倍先生が倒れていました。容疑者が取り押さえられている状況も分かりました。すぐ安倍先生に駆け寄って『総理、総理』と2回声をかけましたが、返答はありませんでした。医療関係者の方々が何とか助けたいと、いろいろな対応をしていました」
 「私自身は相当混乱していました。強烈な怒りと悲しみが混ざった感情がありました。『なんでこんなことをするんだ』と大きな声で叫んだ記憶もあります。怒りと同時に涙も流していました」
 ―銃声とは思わなかったのですか。
 「分かりませんでした。現場では、みんな安倍先生に関心が向いていました。凶器が何だったのかと考える余地はなかったです」
 ―救急車は銃撃から約10分後に到着しました。
 「正直、時間の感覚がありません。体感としては、救急車が来るまでにいろいろなことがあった記憶があり、すごく長い時間に感じました」


安倍元首相が街頭演説中に銃撃され、騒然とする現場=2022年7月8日、奈良市

 ▽事件翌日、礼服であいさつ回り
 ―翌9日の選挙活動はどうしましたか。
 「自民党の方針として、暴力で民主主義を破壊するような行動に屈してはならず、選挙活動は再開することになりました。しかし、私は当事者です。安倍先生に応援してもらった候補者本人なので、普通の選挙活動はできないと思いました」
 「そのため、お悔やみの気持ちと選挙活動を両立させる方法を考えました。弔意を表す意味で礼服を着て、支援者にあいさつ回りをしました。『集まっていただきありがとうございます』とだけ伝え、投票依頼や政策を訴えることはしませんでした」
  ×   ×
 選挙戦中盤、奈良選挙区の佐藤氏は、日本維新の会新人の猛追を受けたものの、事件2日後の10日、投開票の結果は圧勝だった。
  ×   ×


参院選から一夜明け、安倍元首相銃撃現場近くの献花台を訪れ、黙祷する佐藤氏

 ▽事件はむしろ思い出すようにしている
 ―投開票日はどんな気持ちで迎えましたか。
 「安倍先生は結果的に命を失ってまで応援してくれました。それで負ける訳にはいかないという気持ちがありました。勝利して、先生の恩に最低限は報いることができたと、その一瞬はほっとしました。ただもう本当に最低限のことです」
 ―事件を思い出すフラッシュバックはありますか。
 「当時のことは記憶にないことも多いですが、安倍先生の姿ははっきり覚えています。私の場合、政治家としてどのように頑張らないといけないかを思い出す非常に重要な出来事です。忘れたい人もいるかもしれませんが、むしろ思い出すようにしています」
 ―事件後、自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の接点が報道されました。
 「安倍先生という政治家が銃で殺害された。事件の当事者としては、被害者は安倍先生であり、遺族の皆さんであると忘れないでほしい。その点を踏まえない報道や言論には違和感を持ちました。テロに理由を与えてはいけないと思います」


応援演説で漁港を訪れた岸田首相。この後、爆発事件が発生=4月15日、和歌山市

 ▽歴代最長の首相なのに若手にも気さく
 ―安倍氏はどのような政治家でしたか。
 「歴代最長の首相を務めたにもかかわらず、若手にも気さくですし、顔や名前、バックグラウンド、地元のことをよく知っていました。批判を恐れずに戦う政治家でもありました。黙って自分の身を守るだけでは駄目だと強く感じました」
 ―今後、力を入れたい政策はありますか。
 「安倍先生が先鞭をつけた子育て支援をはじめとする全世代型社会保障や、日台関係の強化、そして1人でできることではありませんが、憲法改正に取り組んでいきたいです」
 ―改めて事件をどう捉えていますか。
 「あの2回の大きな音を銃声だと思った人はほぼいなかったと思います。著名な政治家が選挙演説に立つ場合、銃や爆弾によるテロや犯罪が起こりうると想定して、警備に当たらないといけないと思います」
 「事件後、警察庁は検証報告書を出しましたが、今年4月には岸田文雄首相が和歌山市で事件に遭いました。なんでこんなことがもう一度起こったのかと非常に怒りを感じました。警備の在り方をもっと真剣に追求していかないと駄目だと思います」


岸田首相の演説会場で、筒が投げ込まれ爆発した瞬間=4月15日、和歌山市

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