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「中国人のふりをしろ」コンゴ人記者は言った 現代の“植民地”と化した原爆ウラン鉱山周辺(後編)

47NEWS / 2023年7月26日 10時0分

コンゴ・カンボベ地区の道路脇に立つ中国語の書かれた看板=4月(共同)

 米国が広島、長崎の原爆製造に使った大半のウランの起源であるコンゴ(旧ザイール)南東部シンコロブエ鉱山。その周辺が今どうなっているのか探るため現地入りした。利権渦巻くコンゴの鉱山地帯の治安は劣悪だ。見た目で明らかに外国人と分かる私ができるだけ安全を確保するにはどうするべきか。同行のコンゴ人ジャーナリストがアドバイスをくれた。「おどおどせず、中国人ビジネスマンのふりをしていれば乗り切れる」


 その言葉の意味は、シンコロブエ鉱山があるカンボベ地区に到着してすぐに納得できた。そこは銅やコバルトといった資源を求めて中国やインドなどの鉱山関連企業がひしめく“経済的植民地”だった。(敬称略、共同通信ナイロビ支局 菊池太典)


 ▽巧妙に拒絶される入山
 先に告白すると、半年以上の交渉の末、シンコロブエ鉱山への入山はついにかなわなかった。コンゴの中央政府の許可は得たものの、地元の上カタンガ州政府が首を縦に振らない。4月中旬、コンゴ第2の都市ルブンバシの州庁舎で、中央政府の許可証を手にジャック・カトウェ知事に直談判したが、「準備に時間が必要なので待つように」。こちらの取材可能な期限の切れるのが近いことを知った上での、事実上の拒絶だった。
 この拒絶が、シンコロブエ鉱山が単なる歴史遺構ではなく、現在の社会問題につながっていることを確信させた。ウラン採掘が終わった1960年にいったん閉山されたが、コンゴ政府は1990年代、コバルト鉱山としての採掘を許可した。しかしウラン盗掘の疑惑が出て国際的な非難を浴び、2004年に完全な閉山となった。
 「鉱山は24時間体制で兵士が監視しておりウラン流出はあり得ない」。知事や州政府幹部は入山を認めない代わりに、保安体制の万全さを繰り返し強調した。私は鉱山周辺の様子を確認しようと、ルブンバシから車で約2時間の距離にあるカンボベ地区へ向かった。


コンゴ・カンボベ地区の鉱山を警備する兵士=4月(共同)

 ▽外国企業進出で増えた盗掘
 「減速慢行」「有限公司」「銅」。カンボベを車で走ると、道路脇の看板や行き交う工業用車両のコンテナに、容易に漢字を見つけることができる。地元の人権活動家ポール・キシンバ(60)によると、このエリアの鉱山はコンゴの国営企業が運営していたが、2010年代から中国やインドをはじめとした外国企業に採掘権を譲り渡す動きが顕著になった。キシンバは嘆く。
 「国営時代、住民は鉱山に入って銅やコバルトの鉱石を拾い、業者に売ることが黙認されていました。しかし外国企業は武装した警備員を雇い、住民を鉱山から徹底的に閉め出した。慣習が壊され、多くの人々が生活手段を失ったのです」


コンゴ・カンボベ地区の居住エリア=4月(共同)

 コンゴ南東部の地下にはシンコロブエ鉱山に限らず、ウラン鉱床が広がっているとみられる。第2次大戦中の米公文書にも、良質なウラン鉱石の採掘が見込めるとして、具体的に二つの地名が挙げられている。キシンバを含む複数の地元人権活動家は、外国企業の進出で、偶発的に見つかったウランが流出するリスクが高まったとみる。
 「鉱石拾いができなくなったことで、夜中に鉱山に忍び込んで盗掘する住民が増えました。違法に採掘した鉱石を買ってくれるのは当局の監視が届きにくい闇業者です。銅やコバルトに交じって採掘されたウランを狙う業者があってもおかしくありません」


コンゴ南東部カンボベ近郊で、ウラン流出の懸念を語るポール・キシンバ氏=4月(共同)

 ▽「ウランの毒は気にしない」
 実際に盗掘に関わっている人の話が聞きたい。スラム街を探し回り2人から了解を得た。中国系の鉱山に忍び込んでいる、それぞれ別グループのメンバーだ。その一人、キサフ・キラ(21)はこう証言した。
 「鉱山のなじみの警備員を買収しています。時間制で、自分のグループは1時間当たり5千コンゴ・フラン(約280円)を渡して採掘します。ウランは毒なので狙いません。リーダーからは『服についた砂利をライトで照らした時、青白く光ったら大量のウランがある危険な場所だから離れろ』と指示されています。鉱石はインド人が買ってくれます。もし少量のウランが交じっていたとしても区別できないし、気にしません」
 マオリス(24)とだけ名乗ったもう一人は、いとこが2018年までシンコロブエ鉱山で盗掘をしていたという。
 「最近までシンコロブエに入っていたグループを知っています。彼らの狙いはウランではなくコバルトです。閉山したので、純度の高いコバルト鉱石が残っているんです。でもここ数年で警備が厳しくなり、盗掘に入って射殺されたという話も聞きます。とても危険になったので、シンコロブエの盗掘はほとんどなくなったでしょうね」


盗掘の実態を証言するキサフ・キラ氏=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)

 ▽内部被ばくと背中合わせ
 取材終盤、シンコロブエ鉱山がある地点を見渡せる丘を訪れた。案内役の兵士が「あの辺りだ」と指さす。衛星利用測位システム(GPS)や方位磁石の情報と照らし合わせると、確かに指さした方角の5キロほど先がそこだった。木々に埋もれ痕跡を見つけることはできなかったが、私は時間の許す限り見つめた。アフリカ大陸の奥深くにあるこの森こそが、広島と長崎を焼き尽くした「灼熱の悪魔」の生まれ故郷ともいえる場所なのだ。


シンコロブエ鉱山が位置する森=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)

 周囲の警備が厳重なシンコロブエ鉱山にこれほど接近できたのは偶然だ。私のすぐ背後では、袋詰めされたコバルト鉱石を鉱山労働者らがせわしく運んでいる。彼らの1人に、ルブンバシ大公衆衛生学教室の教授バンザ・セレスティン(68)が線量計の使い方を説明していた。セレスティンは一帯にある鉱山の放射線環境を調べている。研究の取材許可をもらい、連れて行ってもらった調査地がたまたまシンコロブエ鉱山の近隣だった。セレスティンは調査の狙いを説明する。
 「この辺りはどこからウランが出てもおかしくないのに、鉱山労働者はマスクも支給されずに粉じんまみれで働いています。常に被ばく、特に内部被ばくのリスクと背中合わせです。政府も外国企業も労働者の健康問題に関心を払わないので、研究者の立場からデータを集めています」


線量計の使い方を説明するバンザ・セレスティン教授(左)=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)

 説明を受けた労働者は線量計とノートを手に坑道へ入っていく。30分ほどで出てきた彼はせき込み、黄土色の煙のようなほこりを口から吐き出した。坑道内の10カ所ほどで計測したとみられる。ノートに記された値は毎時0・1マイクロシーベルト前後と、高い数値ではなかった。
 この調査が始まったのは2021年ごろ。これまでの最高値は、日本政府が除染の目安とする「毎時0・23マイクロシーベルト」を上回る毎時0・4マイクロシーベルトだという。協力してくれる鉱山は少なく、今回でまだ5カ所目だ。セレスティンは「国際社会の支援がなければ鉱山労働者たちの健康を守ることはできません」と話した。


坑道の空間線量の測定を終え、外に出てきた鉱山労働者=4月、コンゴ・カンボベ地区(共同)

 ▽「原爆の出発地」にも思いを
 私がシンコロブエ鉱山の歴史を調べ始めてまず不思議に思ったのが、なぜこの鉱山に極めて高純度の酸化ウラン鉱石が大量にあったのかということだった。地質的特性だろうと考えていたが、米公文書を読み進めているうちに理由の一端が垣間見えた。
 米陸軍将校の1942年12月21日付のメモに、シンコロブエのウランについてこんな記述がある。「手作業の仕分けで濃縮されている」。そう、放射性物質は最初からそこまで高純度だったわけではない。高純度になったのだ。おそらく、被ばくの危険にさらされながら、白人支配を受けていた現地の人々の手によって。
 コンゴがベルギーから独立して63年。人権活動家のキシンバは「コンゴ南東部の鉱山地帯の住民は、昔と変わらない『植民地支配』に苦しんでいる」と訴える。貧しい人々が健康リスクと引き換えに掘り出した地下資源は、スマートフォンなどの部品に形を変え、私たちの便利な生活を支えている。
 5月に開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では、主要国の指導者らが「原爆の到着地」に集い、国際社会が被爆者に改めて思いをはせる機会となった。それ自体は核なき世界の実現に望みをつなぐ歓迎すべきことだろう。一方、地球の裏側にある「原爆の出発地」に世界はあまりに無関心だ。そこでは第2次大戦の時代に始まった被ばくの脅威に、今なお多くの人々がさらされ続けている。


コンゴ・カンボベ地区のスラム街に暮らす子どもたち=4月(共同)

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