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司法取引5年でたった3件、期待された「捜査の武器」はえん罪リスクで活用後退

47NEWS / 2023年8月5日 10時0分

公判前整理手続きのため、東京地裁に入る前日産自動車会長カルロス・ゴーン被告(左)=2019年6月

 他人の犯罪捜査への協力と引き換えに、刑事処分などを軽くしてもらう司法取引。海外のサスペンス映画に登場しそうな制度が、日本でも2018年に導入され、今年6月で5年が経過した。新たな「捜査の武器」と期待されたものの、適用が明らかになったのは日産自動車元会長カルロス・ゴーン被告(69)が逮捕された事件など3件だけだ。運用が広まらない背景には、取引した人が虚偽の供述をして無実の人をおとしめる冤罪のリスクがあるため検察当局が運用に慎重なことに加え、裁判所が司法取引で得た証言について厳しい見方を示していることがある。今後制度はどうなっていくのか。事件当事者や、制度の創設に携わった元検事総長の林真琴弁護士らを取材した。(共同通信=帯向琢磨、岩田朋宏)

 ▽証拠改ざん発覚で脱・供述依存


 制度導入のきっかけをおさらいすると、2010年にまでさかのぼる。大阪地検特捜部の証拠改ざんが発覚し、その原因には、供述への過度な依存があったと指摘された。

 その後、検討会や審議会での議論を経て、司法取引はそれまでの取り調べ偏重から脱却するための手段として改正刑事訴訟法に盛り込まれ、2016年に成立した。
 対象は財政経済事件と薬物銃器犯罪に限られる。容疑者や被告が、共犯者ら他人の犯罪を解明するために取り調べや公判で供述などをすれば、検察は起訴を見送ったり求刑を軽くしたりできる。虚偽供述のリスクには、罰則を新設して対応することにした。

 ▽1カ月で初適用
 初適用は、制度が始まってからわずか約1カ月後だった。2018年7月、タイの発電所建設に絡む贈賄事件で、東京地検特捜部と法人としての「三菱日立パワーシステムズ」(現三菱パワー)との間で結ばれた司法取引を元に、三菱日立パワーシステムズの元取締役ら3人が在宅起訴された。

 当時の検察幹部は「海外案件で証拠収集が難しかったが、会社から協力を得られたことで証拠が集まった」と意義を強調していたが、この構図は事件当時から議論を呼び、「会社による個人の切り捨てだ」との批判も噴出した。

 公判では司法取引の是非が直接議論の的にはならなかったが、一貫して無罪を主張した元取締役は昨年5月に最高裁判決で有罪となったことを受け「司法取引制度に忖度した判決としか思えません」と不満げなコメントを残した。今回、制度開始から5年となったことを機に取材した事件関係者も「組織犯罪で上位者の立証を目指すのが制度の目的だったはずで、立法趣旨に反する使い方だった」と非難した。


司法取引の合意内容書面のサンプル

 ▽元秘書室長、司法取引に「安心した」
 2例目となったのは、世界を驚かせたゴーン被告の役員報酬過少記載事件だ。ゴーン被告の報酬を管理していた日産の元秘書室長が司法取引に応じた。

 元秘書室長は、共犯として逮捕・起訴された元代表取締役グレゴリー・ケリー被告(66)の公判で、取引に至った過程や思いを証言した。それによると、合意に至った経緯はこうだ。

 社内調査を受け始めて約1カ月後の2018年10月9日、突然「検察庁で話してくれ」と言われ、翌日に弁護士と会った。弁護士からは司法取引の説明も受け、その日の午後、早速東京地検に赴いた。ただ、検事から制度について言及はなく、その後も取り調べが続いた。

 「正直に話していると検事に思われている。合意できる可能性がある」。そう考えた弁護士が取引を申し入れたのは10月26日。11月1日に合意が成立し、18日後のゴーン被告とケリー被告の電撃逮捕につながった。元秘書室長は取引が成立したときの心境を公判でこう語った。「不起訴になると言われたときには安心した」


初公判のため、東京地裁に入る日産自動車の元代表取締役グレゴリー・ケリー被告(左端)と弁護団=2020年9月(代表撮影)

 ▽判決は「検察の意向に沿う危険性」と指摘
 ただ、裁判所の見る目は厳しかった。ケリー被告の判決は、元秘書室長の証言を「有利な取り扱いを受けたいと検察官の意向に沿うような供述をしてしまう危険性をはらむ」とし、一部の信用性を否定。起訴内容の一部を有罪としたものの、ほとんどを無罪とした(弁護側、検察側がともに控訴)。

 適用3例目として2019年12月に立件されたアパレル会社元社長の業務上横領事件でも、東京地裁は司法取引した元社員の供述を「相当慎重に信用性を判断する必要があり、極力、判断材料としない」と指摘した。

 元社長の弁護人を務めた桜井光政弁護士は2例目のゴーン被告事件を引き合いに、「検察はもっとカジュアルに使えると見せて制度を普及させたいと思っていたのだろうが、裁判所の判断が厳しく、つまずいたのだろう」と振り返る。

 実行役とされる元社員は元社長らと共謀したとする約3300万円の横領の他に、約220万円を単独で着服したことが捜査の過程で発覚した。だが、検察側はこの件も不起訴にすることで合意した。桜井氏は「本当に悪い人が関与の薄い人を巻き込み、罪を免れる恐れがある制度だ」と問題点を挙げた。

 ▽しぼむ活用機運
 制度開始から1年半で3件と、順調に適用されたと思いきや、その後新たな取引は見られない。ある検察幹部は「使える事件には使っていくことに変わりない」と強調するが、「他の証拠で立証できるなら争点も少なくなるため、取引に頼らなくても良いという考えはある」と話し、現場での活用機運がしぼんだことを認めた。

 一方、ゴーン被告の主任弁護人を務めた河津博史弁護士は「件数が少ないことの裏には、制度によらない違法な取引が行われている疑いがある」と指摘する。河井克行元法相の公選法違反事件で、現金を受領した一部議員が検察から不起訴の約束を持ちかけられたと主張したことなどから「不透明な取引を防ぐためにも、任意捜査段階から取り調べの録音録画をすることが不可欠だ」と話した。


 ▽不祥事の社内調査にも有用
 これまでの運用への評価や、今後の展望はどうなのか。法務省刑事局長として立法過程に深く関与し、昨年6月まで検事総長を務めた林弁護士に見解を聞いた。


制度の課題などについて語る前検事総長の林真琴弁護士

 ―適用が明らかになっているのは3例だけだ。どのように評価しているか。
 「検察としては組織犯罪の解明といった国民の理解が得られる事案で、司法取引をした人の供述をしっかり裏付けられる状況でないと使わない、との立場を取ってきた。元々、制度ができればどんどん使えるとは想定していない。非常に慎重な対応をしてきたわけだが、それだけが3件にとどまった理由ではなく、あくまで事案の性質と証拠収集の結果だ」

 ―裁判所の厳しい姿勢が影響しているということはあるか。
 「裁判所は司法取引による供述を一切使わないと言っているのではなく、個別の事案を審理する中で証拠として扱わないと言っているだけだ。立法段階でも裁判所は司法取引で得られた供述は厳しく判断すると説明しており、私個人としてはこれまでの裁判所の姿勢に違和感はない」

 ―制度にはどのような意義が見いだせるか。
 「検察にとって最も重要なのは司法取引によって出てくる客観証拠だ。近年、デジタル証拠をどれだけ収集できるかが捜査の肝となる中、通常の捜査だけで入手するのは限界があり、司法取引により膨大な資料の中から『ここにこういうメールがある』という形で客観証拠を得られる意義は立証上極めて大きい。司法取引は単に供述の収集手段と捉えるのではなく、証拠の収集手段と位置付けるべきだ。適用された事件は、制度なくしては立件できなかったと言える」

 ―今後、どのように活用されていくべきか。
 「捜査だけでなく企業法務の一環としての弁護活動にも有用だと考えている。日産自動車元会長のゴーン被告の事件もしかりだ。不祥事が起きた際に企業も調査をするが、関与した社員らに調査の初期段階から『検察に司法取引を申し入れるから、調査に協力しなさい』と言えるツールにもなる。これまでの捜査手続きは権力の側から一方的に決めるというものだったが、初めて弁護側にも対等な手段が与えられたと言える。企業側のコーポレートガバナンスや危機管理の手法として、今後さらに活用する余地があるだろう」

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