「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた
47NEWS / 2023年8月12日 10時0分
38年前と同じ夏の青空が広がっていた。暑い。汗が噴き出す。整備された登山道を歩き、25分で慰霊碑の前に着いた。あの時、ひたすら「命」を追い続けた墜落現場は“御巣鷹の尾根”と名を変え、私を迎えてくれた。
1985年8月12日、羽田発大阪行き日航ジャンボ機が墜落し、航空機の単独事故として史上最悪の520人が亡くなった。発生後に墜落現場の尾根に入った私が、当時の取材を振り返る。(共同通信=杉山高志)
御巣鷹の尾根の墜落地点にある「昇魂之碑」に手を合わせる筆者=7月4日、群馬県上野村
▽ポケットベルで呼び出し
「日航機の現場に行ってもらう」。呼び出しを知らせるポケットベルが鳴り、横浜支局に電話すると支局長の押し殺した声が聞こえた。当時の私は20代後半。勤めていた新聞社の神奈川県警担当記者として事件や事故の取材に明け暮れていた。
事故の発生はニュースで知った。「日航機の機影がレーダーから消失」。テレビの速報を見た先輩記者は、こうつぶやいた。「こんな事故、もう一生経験ないぞ」
事故何日目に現地に行ったのかよく覚えていない。ただ、「生存者発見」のニュースが駆け巡った直後だった。急きょ購入した登山靴を履き、着替えと洗面用具をバッグに詰め、東京本社に直行。群馬県上野村に会社が確保した取材拠点の旅館にハイヤーで向かった。
出発前。三重県の実家から電話があった。「モトちゃんがえらいことになった」。母親の声は震えていた。会社経営のいとこが日航機に搭乗していたという。30代のいとこは商談後、大阪の自宅に戻る途中だった。「親戚が羽田空港に行くから面倒見たって(見てあげて)」。「現場に行くんだ。相手できない、ごめん」。母に謝り、電話を切った。
ハイヤー運転手に頼み、羽田で親戚と顔を合わせた。かける言葉はなく、「遺体の損傷が激しいかもしれないから頭に入れておいて」。そう言うのが精いっぱいだった。
なぎ倒された樹木と日航機の残がい=1985年8月13日
▽「見たまま聞いたまま、全部メモしろ」
取材拠点は本社と関東一円の支局の記者やカメラマン、庶務担当者らでごったがえしていた。どの顔にも汗が浮かび、目が血走っていた。現地入りした運輸省事故調査委員会(当時)の取材は本社のベテラン。入社5年目くらいまでの若手十数人で現場班が編成された。
翌朝6時。パラパラパラパラ…。すさまじい爆音で目が覚めた。救助活動のヘリコプターが近くの臨時ヘリポートから離陸していく音だ。先輩記者はこわばった顔で指示した。「年長のおまえが仕切れ。現場では見たまま聞いたままを全部メモしろ。電池節約のため無線は原則定時連絡で使え」
カメラマンを含む記者たちを乗せたハイヤー2台は現場への入山口とおぼしき場所にすぐ到着した。僧衣のお坊さんが道の端に立ち、山に向かって一心不乱に読経をあげているのが見えた。
御巣鷹の尾根の登山道を歩く筆者=7月4日
▽けもの道を2時間、遠い現場
登山道はなかった。誰かが通ったから道のように見える、けもの道。急斜面をよじ登り、一息ついてはまた急斜面を登る。前方に立ちふさがる枝葉を払う棒が欲しかった。暑さと湿気がこもった木々をかいくぐり、私たちは少しずつ推定標高1500メートルほどの墜落現場に近づいていった。首に巻いたタオルはすぐびしょぬれになった。
2時間たっても現場が遠い。生い茂る樹木や雑草で足元の道さえ見失いそうになるため、互いに声を出し、全員いることを確認し合った。前日に現場を訪れていた先導役の記者が何度も「たぶん、もうすぐ」と汗だくの顔で振り向いた。
斜面を登る途中、前方の山肌に恐ろしいものを見た。航空機の胴体の一部と一目でわかる巨大な物体が、樹木に覆いかぶさるように落ちていた。太陽光が反射し銀色に光っている。そこにあってはならないものに、足がすくんだ。「現場が近いんだな……」。誰かが言い、私たちはようやく墜落地点の急傾斜の尾根に到着した。
一帯は、ただただ黒かった。木々の燃えかすと、まだ運び出されていない焦げた機体の一部。墜落による火災が完全に鎮火していないのか、ところどころ煙がたなびいていた。火災現場は何度も経験し、特有のきな臭さや焦げ臭さには慣れている。しかし、ここでは経験したことのない臭いがあたりを覆っていた。
墜落から時間がたってもくすぶり続ける日航機の墜落現場=1985年8月13日午前
▽焼け焦げた木と思ったら…
急斜面にへばりつくようにして、手に長い器具を持った大勢の自衛隊員や警察の機動隊員、消防関係者らが腰をかがめながら乗客乗員を懸命に捜していた。既に犠牲者の多くは運び出されていたが、それでも時々ご遺体の一部を見つけた捜索関係者の大声が響いた。
発生からそれほど期間がたっておらず、現場の具体的な状況は報道各社にとって伝えるべき重要な情報だ。奇跡的にまた生存者が見つかれば大ニュースになる。「まだ助かる人がいるのではないか」。私たちは目を凝らした。
救助活動のじゃまはできないため、休憩中や手を休めている様子の人を見つけては話を聞いた。それを無線機で別の記者に伝えたり、山を下りてから宿舎で記事にまとめたりした。捜索状況の観察に加え、ご遺体や遺品の発見時の様子なども可能な限り聞き出す。応じない関係者が多い中、話してくれる人もいた。
「焼けた木にひっかった犠牲者をいくつも収容した」「捜索中に木だと思って引っ張ったら手だった」「谷の川を流れていくご遺体を何度も見た」「焼け焦げた木と思って見過ごしていたら人の形をしていた」―。
墜落した日航機の尾翼部分=1985年8月13日
▽美しい景色の中、ここだけが別世界だった
さらなる生存者発見を願っていたが、取材が進むほどそれが絶望的なことが記者経験の浅い自分にもわかった。いったいどれだけのかけがえのない命がこの山中で失われたのか。520人一人一人の突然断ち切られた人生を確認するかのような取材に、この場から逃げ出したくなった。
それにしても、尾根の頂上付近から見渡す景色は美しかった。青々とした樹木が輝く夏山がまぶしい。日没が迫ると空はあかね色に染まった。自分たちがいるここだけがまったく別の世界だった。
「機体があそこをかすめて、こっちに落ちたんだ」。谷の向こうを記者の一人が指さした。その先には、山頂がU字形にえぐれた山肌が見えた。
のちに御巣鷹の尾根と呼ばれる墜落現場には数日通った。
ある日には、途中の山道の脇を流れる小川に服のまま入る報道関係者とおぼしき人影数人を見た。あまりの暑さに川で体を冷やしていたのかもしれない。夕刻に入山口に戻るとやはり報道関係者が何人も地面に直接寝そべって眠っていた。
日航機墜落事故の調査活動について記者会見する運輸省航空事故調査委員会(当時)のメンバー=1985年8月17日
▽痛恨の失言
山頂近くで休息していたときのことだ。同じように座って休憩中だった30代くらいの機動隊員と目が合った。紺色の制服の胸に「神奈川県警」とある。「横浜支局の記者です」と声をかけると、「ビタミンC入りのウーロン茶だ、飲めよ」と水筒を渡してくれた。一口もらい、思わず「疲れますよね」と言ってしまった。
汗みずくの隊員は周囲をぐるりと見回し、「疲れるのは生きている証拠だ。ここにいた人たちはもう疲れることもできないんだから」と言った。私は自分の失言を心から恥じ、改めて犠牲者の冥福を祈った。
一度だけ、事故調査委員会の記者会見に出た。覚えているのは、連日調査活動を続ける調査官の疲労がにじんだ険しい顔と、墜落現場の所在地が「群馬県上野村村内の名もなき山の尾根の中腹」という発表内容だけだ。犠牲者の無念さを察するに余りある会見だった。
あの夏、あの現場で見た光景は勤務地に戻ってからもなかなか頭を離れなかった。体はくたくたなのに早朝に目が覚めた。
しばらくして、親戚の叔父から連絡があった。いとこの遺体が見つかったという。「地中深く潜っていたけど、五体は身元が特定できる状態だった」。叔父は静かに言った。
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