「ソガ・ヒトミ」その存在に驚愕した日本政府 曽我さんは自責の念を抱えて帰国した 「若い人にこそ知ってもらいたい拉致問題」(後編)
47NEWS / 2023年8月26日 10時0分
2002年10月15日。羽田空港に止まった飛行機のタラップから、男女5人が降りてきた。日本から北朝鮮に拉致された被害者の帰国だ。地村保志さん・富貴恵さん夫妻と、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻は、やや緊張した様子ながらも笑顔を浮かべていたが、その後に1人下りてきた曽我ひとみさんの表情は暗い。念願かなってやっと帰国できたのに、なぜ笑えなかったのか。理由は後になって明かされた。最愛の母ミヨシさんが日本にいないこと、それに24年間も北朝鮮で過ごした中で母の「記憶」の一つを忘れた自分を責めていたためだ。帰国から20年超。故郷の新潟県佐渡市で1人で暮らす曽我さんは、今も母との再会と、高齢化していく拉致被害者家族のために闘い続けている。(共同通信=湯山由佳)
羽田空港に到着し、中山内閣官房参与(手前左)の先導で政府チャーター機のタラップを下りる浜本富貴恵さん(手前中央)、地村保志さん(同右)、奥土祐木子さん(中央左)、蓮池薫さん(同右)、曽我ひとみさん(上左から2人目)の拉致被害者5人=2002年10月15日
▽「日本は私1人など助けてくれない」
19歳だった1978年8月12日、新潟県佐渡市(当時真野町)で母と道を歩いていたところ、男3人にいきなり袋をかぶせられ、担いで運ばれた。乗せられたのは船。港に着くと日本語で「北朝鮮だ」と言われた。動転したが、一緒にさらわれたはずの母がいないのが、何より心配だった。
それからの24年は絶望の中で生きた。北朝鮮の当局者からは「朝鮮語を勉強して上達したら日本に返してやる」「結婚して家庭を持てば里帰りさせてやる」「子どもが生まれたら親に会うために返してやる」と騙され続けたためだ。「日本という国は私一人など助けてくれないんだ」と思っていた。「唯一信用できたのは家族だけでした」と振り返る。
2002年、北朝鮮で日本との首脳会談が行われることは事前に知らされていたが、自らの処遇や、拉致問題が好転するとは信じることができなかった。
しかしその後、事態は急転する。2012年に公表した手記で、曽我さんは当時の状況をこう記した。
「やっぱり最初に思い出すのは、帰国できた最大の要因となった日本の調査団との面会だろう。(2002年)9月17日、日本の調査団がやってきた。私は、党の幹部と指導員と同伴で、面会会場へ行った。24年間、待ちに待った瞬間が本当にやってきた。夢に見たことが現実となったのだ。この時の嬉しさをどう表現すればいいのか分からないほど舞い上がっていた」
笑顔を交えて帰国3カ月の心境を語る曽我ひとみさん=2003年1月17日
この時、日本側も曽我さんの存在に驚愕していた。小泉純一郎首相(当時)と金正日総書記(当時)による第1回日朝首脳会談で、北朝鮮側は5人の生存者を伝えてきた。5人目として明かされた「ソガ・ヒトミ」の名前は、それまで日本政府が認定していた拉致被害者13人に含まれていなかったためだ。すぐに新潟県佐渡市で母親と共に失踪したとされていた曽我ひとみさんと判明したが、曽我さん母子は、日本国内でも忘れられた存在だった。
「当時はすっかり日本語を話せなくなっていたので、通訳を介してのやりとりがあった。心の中では、自分が『曽我ひとみ』であることを日本語で叫んでいた。一つ一つの質問がもどかしい。早く私を『曽我ひとみ』だと認めてほしいと気持ちが焦っていた。どのくらいの時間が経っただろう。調査団の人達が『曽我ひとみ』本人であると認めてくれたのだ。その時の嬉しさは今も忘れていない」
歓迎の横断幕を持ち、曽我ひとみさんの帰宅を待つ実家の近所の人たち=2002年10月17日
▽母の写真を見せられ「この人は誰ですか」
しかし喜びもつかの間、大きなショックを受けることになる。政府調査団から、母ミヨシさんは行方不明と聞かされたのだ。
「あり得ない。『母は日本で元気にしている』と(北朝鮮の)組織の人は言っていたのですが、24年ぶりの情報は私の心のよりどころを粉々に砕いてしまったのです」
そして、調査団からある女性の写真を見せられた曽我さんは「誰ですか」と質問をした。
「『あなたのお母さんですよ』と言われ、絶句してしまいました。あれほど恋い焦がれた母の顔が分からなかった。24年間思い出のなかの母の顔は誰だったんだろうか」
「曽我ひとみ」と認めてもらった自分が、最愛の母の顔を忘れている。強烈な自責の念を抱えたまま、日本へ向かうことになった。
涙ぐみながら同級生と抱き合う曽我ひとみさん=2002年10月17日
▽一時帰国のつもりが「帰らない」ことに
実家の座敷で父親の茂さん(右端)と抱き合い喜びをかみしめる曽我ひとみさん=2002年10月17日
当初は1週間ほどの一時帰国の予定だった。帰国した5人はみな、子どもたちを北朝鮮に残していた。曽我さんも夫と2人の娘を残している。曽我さんも父親や妹、友達、近所の人に会い、再会を喜んだ後に、再び別れを告げる予定だった。
しかし、周囲の働きかけなどもあり、5人は「日本で家族を待つ」と意思表明。曽我さんも父親や友人らと過ごす期間は伸びたが、今度は北に残る家族のことが気がかりになった。「向こうは向こうで私の帰りを待っている。家族に日本での正しい情報がきちんと伝わっているのかも心配だった」
ジャカルタの空港で再会し抱き合うジェンキンスさん(右端)と曽我ひとみさん。涙ぐむ長女の美花さん(左端)と、二女のブリンダさん(代表撮影・共同)=2004年7月9日
約2年後の2004年になって夫チャールズ・ジェンキンスさんと娘2人とインドネシア・ジャカルタで再会することができた。曽我さんは家族のために日本米を用意した。娘たちは喜んだ。「お米って白いんだね」「おかずが無くてもごはんだけで食べられるね」。
北朝鮮で食べていた米は何年前に収穫されたか分からないようなもので、とうもろこしの粉をこねて生地を作り、パスタやうどんの代用品として急場をしのいだりしていたためだ。
花束を受け、笑顔のジェンキンスさんと曽我ひとみさん=2004年12月7日
▽日本での家族との生活と、別れを経て
日本に移った一家は、佐渡市で生活を始めた。曽我さんは同級生や地元の支援者らに支えられながら、24年ぶりの日本の生活に慣れていった。日本語が初めての夫や、北朝鮮で生まれ育った娘たちも、周囲の助けを得て生活を営んできた。
「時間はかかりましたけど、なんとか皆家族が帰ってくることができてすごく嬉しいし、ありがたいし。でもここに母がいなきゃなと思う。幸せである分、母のことを2倍も3倍も考えてしまう」
新潟県佐渡市の「佐渡歴史伝説館」で観光客の求めに応じ握手するジェンキンスさん=2006年10月14日
時が流れ、父親は妻に会えないまま2005年に死去した。夫のジェンキンスさんも2017年、77歳で死去。2人の娘は自立し、現在はそれぞれの家庭を持っている。曽我さんは「母ちゃんを取り戻す」という思いで、拉致被害者の早期帰国を訴える署名集めと講演活動を続けている。
チャールズ・ジェンキンスさんの遺骨を手に斎場に向かう、曽我ひとみさん=2017年12月14日
母は91歳の誕生日を迎えた。自分の身を支えるのも大変なのではないか。日本では考えられないような生活を送っているのではないかと心配は尽きない。
「拉致という事件がなければ、特に代わり映えのない日常生活を送り、ともに年を取り、孫に囲まれ、幸せな老後を送れているはずなのです。そんな未来を、私にも母ちゃんにもあった希望、夢を絶ちきった拉致という犯罪は、生涯許すことはできないです。だからこそ拉致問題を一日も早く解決してほしいと強く願っています」
拉致問題を多くの人に知ってもらうために続ける講演や、報道陣の質問に対する曽我さんの語り口は、つねに穏やかだ。ただ一向に進展しないことへの焦燥感、落胆、怒りは隠しきれない。
北朝鮮による拉致問題の解決を求める集会に参加した(左から)横田早紀江さん、曽我ひとみさん=2013年8月7日
その思いは、両国の政府にも向けられる。
曽我さんは帰国前、北朝鮮政府は「朝鮮語が話せるようになったら」「結婚したら」と期待させ、幾度も裏切られてきた。帰国後、日本の首相は何度も変わり、その都度「拉致問題は最重要課題に位置づけている」との言葉を聞いたが、目に見える進展はない。
今年7月5日、曽我さんは東京で岸田文雄首相と面会し、こう訴えた。「母は今どうしているのだろうと思うほど胸がいっぱいになる。もう家族のみなさんは耐える気力もなくなるくらいに本当に疲れている。それを必ず会えると思いながら毎日生活している」「日朝のトップ会談を1日も早く実現させて、向こうで家族に会いたがっている皆さんを全員取り戻して、家族のもとで楽しい生活ができるようにしてほしい」
岸田文雄首相との面会後に記者会見する曽我ひとみさん=7月5日、東京都内
面会後の取材では心情を吐露した。「もう45年という、本当に半世紀近い時間がただただ過ぎてしまっているように感じている。そのことを踏まえてもそうだが、横田滋さんがお亡くなりになり、本当にたくさんの親世代の方がお亡くなりになってしまった。本当にそういうことを思うと心が痛みます。なので、私が普段できること、署名活動であったり、講演活動であったり、それだけでは、まだまだ足りないような気がする」
高齢化する被害者家族を気遣いながら、自身が被害者として、被害者家族として。曽我さんはこれからも、前面に立ち問題を伝え続けていく。
署名活動に参加し、記者団の取材に応じる曽我ひとみさん=2015年4月26日
【取材後記】
曽我さんが母ミヨシさんとともに拉致され、再会を果たせないまま45年の歳月がたってしまった。私は曽我さんの講演や署名活動を取材するために新潟県佐渡市へ通い、帰国からの20年をどのように過ごしてきたかをたどった。
取材し、原稿を書く中で上司とは何度もぶつかった。「これは知ってもらう必要がある話だ」と思っても、デスクから「みんな知っている話だから、他の話を書いたらどうか」という指摘が入る。意見が食い違う原因は、世代にあるのかもしれない。
20代の私には、曽我さんが語る全てが新鮮だった。若年層の多くは、自ら興味を持って調べなければ、拉致問題を知る機会はあまりない。しかし、一回り上の先輩たちに尋ねると、拉致の経緯や北朝鮮での生活は、ある程度知っているという。
共通認識として拉致問題を知る世代と、その下の世代とでは、拉致問題への認識が異なる。若者の大半は「詳しく知らないけれど、ずっと解決していない問題」と遠く感じているのではないか。私が書いた記事も、共通認識を持っている人向けのものになっているのでは、と自問自答を繰り返した。
2002年に帰国した5人は全員60歳を過ぎ、彼らや他の被害者の帰国を訴える支援団体の関係者も高齢化が進む。ある支援者は「支える立場の私たちもあと何年続けられるか分からない」と話す。横田めぐみさん=失踪当時(13)=の父滋さんは2020年、87歳で死去。娘との再会がかなわぬまま死別する被害者家族がほかにも後をたたない。
拉致を証言する被害者本人や、帰国を長年待つ親世代が、次世代を担うであろう「なんとなく知っている」若者たちに早期帰国を訴えることができる期間は有限だ。曽我さんも「若い人たちが先頭に立って、解決に向けて色んなことをしてもらいたい」と願っている。
【前編はこちら】https://www.47news.jp/9768293.html
「夜の路上で、いきなり頭から南京袋をかぶせられた」北朝鮮に連れ去られた曽我ひとみさん、帰国までの24年
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