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「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】

47NEWS / 2023年8月30日 10時0分

女児が見つかった公園に供えられた花や飲み物=2021年8月

 2021年夏、大津市内の公園で小学1年の女児(6)の遺体が見つかった。当初はジャングルジムからの転落事故とみられていたが、滋賀県警の捜査で兄(当時17)から暴行を受け、外傷性ショックで死亡したことが判明する。
 同居の母親(43)は長期間、家を不在にしていたため子どもたちはネグレクト状態に置かれ、傷害致死容疑で逮捕された兄は「妹の世話をするのがつらかった」と供述した。生後まもなく児童養護施設に預けられた女児は、亡くなるわずか4カ月前に家庭に引き取られたばかりだった。
 母親はなぜ女児の引き取りを希望しながら、養育を放棄したのか。本当に兄による暴行に気が付かなかったのか。この事件を取材していた記者は、別件で逮捕、起訴された母親に話を聞くため、彼女が勾留されている拘置施設で面会を申し込んだ。(共同通信=山本大樹、吉田有美香、小林磨由子)

【大津女児虐待死事件(上)】https://nordot.app/1064356411188084755?c=39546741839462401
 ▽「親バカだけど…」面会室に現れた母親の素顔
 滋賀県内にある拘置施設の面会室に現れた女性は、長い髪を無造作に束ね、暗い色のTシャツとジャージーを身につけていた。椅子に着くまでは伏し目がちな姿勢をしていたが、私(吉田)と目が合うと、ぱっと愛想の良い笑顔に変わる。「手紙をくれた、子育て中の記者さんよね? 私も会ってみたかったのよ」。からりとした彼女の声は、コンクリートで囲まれた狭い室内によく響いた。


記者が兄妹の母親と面会を重ねた滋賀拘置支所=2023年8月

 兄妹の母親と初めて面会したのは、2022年10月31日。彼女は当時、違法薬物を自宅で所持、使用したとして、麻薬取締法違反などの罪で起訴され、一審の大津地裁で刑事裁判を受けていた(同年12月に有罪判決を受け、現在控訴中)。
 逮捕のきっかけとなったのは女児の傷害致死事件だ。滋賀県警は兄妹と母親が住んでいた自宅などを家宅捜索した際に、大麻や大量の注射器を押収。母親が任意提出した尿から違法薬物が検出されたことが決め手になった。
 しかし、母親は「注射器も薬物も自分のものではない」「提出した尿は、事前に採取した息子のものだった」と供述し、捜査段階から一貫して無罪を主張した。公判では検察官に色をなして反論することもあったが、面会室で見せた表情はまるで別人だった。
 「親バカだけど、長男(逮捕された兄)は本当に優しい子なのよ」
 「あの子、ガードマンのバイトをしてたことがあるんやけど、大荷物を抱えたおばあちゃんが道を渡ろうとしてたから、代わりに荷物を持ってあげたんやって。そんな優しい子おる?」
 子どもの話になると途端に冗舌になり、長男のことは自分のことのように誇らしげに語る。亡くなった女児について話す時は「かわいくてたまらない」といった様子で目を細めた。
 「娘は小学生になったばかりなのに『勉強は嫌いやから、あてにしないでね』なんて言うの。ませた子よね。あの子は生まれてすぐに施設に預けたから、私にとってはいつまでも赤ちゃんみたいで。赤ちゃん言葉で話しかけちゃった時には、さすがに怒られたわ」
 ごくごく普通の母親と変わらない。それが彼女の第一印象だった。だが話を詳しく聞いてみると、印象は一変する。母親の半生は波乱の連続で、彼女に振り回された子どもたちは極めて不遇な環境で育ってきたことが分かった。


母親の一審が開かれた大津地方裁判所

 ▽「家族に憧れた」DVや親の逮捕で子どもは施設へ
 「昔から、家族というものへの憧れがあったんだと思う。普通の家庭を持ちたいってずっと思ってたの」。彼女がそう語るきっかけは生い立ちにある。「自分が物心ついた時には両親は離婚してて、育ててくれたのは母と養父。母は夜の仕事で留守がちだった」。養父と血のつながりがないことを知ったのは、非行に走った思春期の頃だった。「警察官に言われたのよ。妹や弟は父親の実子だけど、私は違うんだって。それで家に帰りづらくなって、グレたわけ」。家族との関係にしこりを抱えたまま20代になり、今度は自分が親になった。
 彼女には4人の子どもがいる。2003年、彼女が23歳の時に生まれた第1子が、今回の傷害致死事件で加害者となった長男だ。2年後には同じ夫との間に次男も生まれたが、夫婦と幼い子ども2人の生活は長く続かなかった。
 「当時の夫は私に対するDVがあって、とても子どもたちを育てられる状況ではなかった。だから、一時的に施設に預けたの。そうすると今度は、子どもたちに会えないのが寂しくなって、私が薬物に手を出してしまった。それで逮捕。一緒に暮らせたのは長男が3歳になるころまでかな」
 一時的な措置になるはずだった長男と次男の保護は、母親の逮捕によって長期化する。結果的に、2人はこの後7年にわたって京都府内の児童養護施設で暮らすことになった。


事件発生当時の家族関係

 2012年ごろ、母親は新しい家庭を築き、長男と次男を施設から引き取った。この時の夫は暴力団の組長で「自宅が組事務所を兼ねているような環境。子どもたちを置いとける場所ではなかった」。約2年後、夫がとある事件で逮捕されると、一家は離散。息子2人は再び親元から離れ、祖母(母親の実母)の家に預けられた。
 その頃、母親には別の交際相手がいた。その男性との間に生まれたのが、長男による暴行で亡くなった清水実愛(みあい)ちゃんだ。だが彼女が生まれてまもなく、今度は交際相手が窃盗絡みの事件で摘発される。
 「その時、私も警察の事情聴取を受けたのよ。共犯じゃないかってことで。それで、これはまた逮捕されそうだなと思って、生後7~8カ月だった娘を施設に預けることにしたの」。その後、母親はこの件で実刑判決を受けて服役し、実愛ちゃんは約6年間、大阪市内の児童養護施設で過ごすことになる。


母親(左)と一緒に横になる実愛ちゃん=関係者提供

 母親は女児の後に第4子となる三男も出産しているが、まもなく施設に預けた。その三男の実父が後に大津市内で母親と居を構えた男性だ。長男や女児にとっては養父に当たるが、この男性もまた、兄妹との同居が始まってすぐに覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されている。結婚と離婚。子どもの出産と親たちの逮捕。その繰り返しで、家族関係は極めて複雑になった。
 「記者さんには分からないかもしれないけど、薬物が日常的に手に入るような環境もあるのよ」「普通の家庭を持ちたいってずっと思っていたのに、結婚や離婚を繰り返してばかり。結婚はもう6度目。ほんとバカよね。ねぇ、そうじゃない?」
 過去を振り返る時、彼女はたびたび自嘲的な口調でそう語り、アクリル板を挟んで向き合う私や同席する刑務官に同意を求めた。上目がちに少し寂しそうな表情を浮かべ、反応を探るように顔をのぞき込んでくる。こちらが厳しい表情になると「でもね、私ね」と甘い声音で言葉を継ぐ。彼女の話し方には、そうやって相手の共感や同情を求める癖があった。


兄妹と母親らが住んでいた大津市の住宅=2021年8月

 ▽「私が内緒で受け入れた」児相が反対した兄の同居
 2019年ごろ、約2年半の服役を経て出所した母親は実愛ちゃんの家庭引き取りに向け、大阪市の児童相談所と準備を始めた。本格的な同居が始まるのは2021年3月だが、直前になって、今度は京都府の児相から母親に手紙が届いた。用件は、祖母の家を出て京都府内の里親家庭で暮らしていた長男の処遇に関する連絡だった。
 「話を聞いたら『長男が里親のところでトラブルになって、家を出なきゃいけなくなった』と言われて。それで『じゃあ大津においでよ、一緒に暮らそうよ』って私が長男に言ったの」
 大阪市の児相はこの流れに反対した。母親に対して「家庭環境が大きく変わる。長男が同居するなら実愛ちゃんは引き渡せない」と警告したという。だが、母親は行き場を失った息子を放っておくことができなかった。「いったんは諦めて、娘を優先するつもりだったんだけど、最終的には私が児相に内緒で受け入れたの。長男も一緒に暮らそうって。だから全部私の責任よ」
 児相の方針に反して始めた子どもたちとの生活は、彼女にとって「本当に楽しい毎日だった」という。長男に「母ちゃん、ダイエットせなあかんで」と言われ、夜中に3人でジョギングをしたこと。仕事から帰ったら、子どもたちが家の片付けや掃除をしてくれていたこと。日常のちょっとした場面を思い出しては、心からうれしそうに語った。


大津市内の公園。左奥に見えるジャングルジムの下で女児が倒れているのが見つかった=2023年8月

 兄と妹の関係に話が及ぶと「2人はすごく仲が良かった。それだけは間違いない」と念を押すように、何度も強調した。
 「実愛に『一番大事な人は誰?』って聞いたことがあるんだけど、『1番はきょうだい。ママは2番やで』って言われたのよ。長男はあの子と一緒に遊んだり、学校まで送ってくれたりしていた。だから娘にとっては特別な存在やったんやと思う」
 「長男も、なんで実愛を殴ったのって聞いたら『好きな人(妹)に死ねと言われたのがつらかった』って話してたの。『どうでもいい人ならそんな風に思わないけど、好きな人に言われたからカーっとなったんだ』って。それくらい、いつもは仲が良かった」
 あの2人なら大丈夫。そう決め込んだ母親は徐々に家に帰らない日が増えた。家事や女児の世話は長男に任せきりになっていった。


拘置施設に収容されている母親から記者に届いた手紙

 ▽「死んだらどうする?」見逃したサイン
 ただ振り返ってみれば、実愛ちゃんの様子がいつもと違うと感じたこともあったという。亡くなる少し前、7月下旬のことだった。久しぶりに自宅に戻った母親は、娘に「一緒にお風呂に入ろう」と声をかけた。
 「いつもは私が先に入って待ってたら、後から実愛も入ってくるんだけど、この日はいくら待っても来なくて。もしかしたら長男に殴られたあざを私に見られたくないと思ったのかもしれない」
 「その日は、急に『実愛が死んだらどうする?』なんて言い出したり、翌日、私が家を出た時も『行かないで』って泣きじゃくったりしたの。私はてっきり、学校の友だちにいじめられたのかと思って、あんまり深く考えなかった。あの時、きちんと話を聞いてあげられていたら…」
 お兄ちゃんに怒られ、殴られるのはつらい。でも、はっきり「助けて」とは言い出せない。6歳の女の子が精いっぱい考えた末のSOSだったのかもしれない。だが母親はそのサインに気付かず、実愛ちゃんは1週間後に亡くなった。


母親からの手紙には、亡くなった実愛ちゃんと長男への思いがつづられていた

 娘の命が、息子によって奪われる。最悪の結果を招いた原因について、母親は「全部、私のせいだから」「むしろ私を保護責任者遺棄で逮捕してほしかった」などと自分を責めた。
 「狭い環境で2人にさせた私が悪い。長男もまだ子ども。遊びたい盛りのときに妹の面倒をみることになり、ストレスをため込んでいたんだと思う」
 「知り合いの荷物なんかを預かってたら、家の中もぐちゃぐちゃになっていた。薬物をやっている友人も出入りしていたし。家庭をそんな環境にしてしまったことは反省している」
 子どもたちの心情を思いやり、2人を追い詰めてしまった悔いを語る。沈痛な面持ちで話すその言葉に偽りはないように思われた。だが、子どもたちを引き取りながらなぜ放置したのか、不在にしている間はどこで何をしていたのかという点について、彼女が自ら詳しく語ることはなかった。
 「そろそろ時間です」。立ち会いの刑務官が面会の終了を告げると、彼女はいつも名残惜しそうに椅子から立ち上がる。「ありがとう。また来てね」。そう言うと、彼女は入ってきた時と同じような姿勢で面会室を出ていった。


事件直後のジャングルジム。当初は転落事故だと思われていたため、立ち入り禁止のテープが貼られていた=2021年8月

 ▽「判断は正しかったのか」問われる3児相の対応
 母親との面会は、昨年の秋から今年の夏まで5回に及んだ。「子どもはいつまでたっても子どもよね」「小さい子は目が離せないでしょ」。子育ての喜びや楽しさを語る彼女の言葉には共感することも多く、同じ年頃の子どもがいる私の胸にも自然に入り込んできた。
 ただ、子育ては楽しいことばかりではない。つらく苦しいこともあれば、逃れられない「親の責任」を突きつけられる瞬間もある。結婚と離婚を繰り返し、子どもを置いて家を不在にすることが多かった母親はあまりに自分勝手で、親としての覚悟が不十分だったと言わざるを得ないだろう。
 一方で、6歳児の死という重大な結果を招いた背景を考えると「母親を責めれば済む話なのだろうか」という疑問も浮かぶ。実愛ちゃんの家庭引き取りを容認した児相の判断は正しかったのか。子どもたちが追い込まれる前に、誰かが手を差し伸べることはできなかったのだろうか。
 その答えを探るため、私たちは母親や兄妹と関わりのあった大阪、京都、滋賀の3児相がどう動いたのかを改めて振り返ることにした。
【大津女児虐待死事件(下)】https://nordot.app/1067648091165098431?c=39546741839462401

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