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最高額は3億円、フレディ・マーキュリーの遺品オークションで最高値の落札品は… 「日本に恋した」伝説のシンガー、歌川広重の浮世絵や着物も出展

47NEWS / 2023年10月5日 10時30分

ロンドンにある競売大手サザビーズのオークション室で展示されたフレディ・マーキュリーの王冠(AP=共同)

 伝説的なイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカルを務めたフレディ・マーキュリーの遺品が9月、ロンドンの競売大手サザビーズでオークションにかけられた。大の親日家として知られ、日本美術コレクターだったマーキュリー。出品物は1406点にも上り、映画タイトルにもなった代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」の直筆の歌詞草稿や作曲に使ったピアノに加え、江戸時代の浮世絵、ピカソの絵画も。記者はセレブが集まる競売会場に行ってみた。(共同通信ロンドン支局 宮毛篤史)

 ▽アフリカ生まれ、幼少期はインド
 マーキュリーは1946年、当時イギリスの保護領だったアフリカの島国ザンジバルで生まれた。幼少期をインドの寄宿学校で過ごし、7歳からピアノを習った。家族でイギリスに渡った後に美術を学び、1971年に4人組バンド、クイーンとして活動を始めた。


キラー・クイーンの歌詞草稿=8月、ロンドン

 クイーンは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」など数々の名曲を生んだ。しかし、世界的なロックスターとなったマーキュリーはエイズウイルス(HIV)に感染し、1991年に45歳で亡くなった。

 元恋人で親友のメアリー・オースティンさんが遺産を譲り受け管理していたが、高齢となり、身辺整理のため個人的な贈り物や2人の写真を除いて手放すことにした。

 ▽紀元前から続くオークション
 サザビーズは1744年にロンドンで創業したオークションハウス(競売会社)だ。年間売上高は80億ドル(約1兆2千億円)規模に上り、同じロンドンを拠点とするクリスティーズと双璧をなす。オークションの歴史は古く、紀元前500年のバビロン(現在のイラクにあった古代バビロニア帝国の中心地)では花嫁が競売にかけられていたとされる。

 マーキュリーは生前、サザビーズの常連客で「もし英国を離れることになったら、寂しく感じるものの一つがサザビーズだろう」と語っていた。

 サザビーズはオークション前に競売品を展示し、落札希望者が訪れる。マーキュリーはオークションの際に会場に現れず代理人に競りを任せていたが、品定めにはお忍びで来ていたという。

 ▽14万人来場


フレディ・マーキュリー展にちなみ、ひげを飾ったギャラリーの入口=8月、ロンドン

 ロンドンの高級ショッピング街にあるサザビーズでは8月4日からマーキュリーの誕生日の9月5日まで約1カ月にわたり大規模な展示会が開かれ、14万人を超える来場者を集めた。
行列は最長で400メートル近くまで延び、入館するのに2時間半かかった。日本から旅行ツアーも企画された。

 記者が8月に会場を訪れると、建物の入り口に展示会を知らせる赤い旗とマーキュリーのトレードマークの大きな口ひげが飾られていた。

 出迎えてくれたセールス責任者のデイビッド・マクドナルドさんは「通常は3~4日、長くても1週間ほどしか出品物を展示しない。建物を丸々使って1カ月も展示するのは本当に珍しい」と説明した。


展示されたTシャツ=8月、ロンドン

 ▽日本を愛したマーキュリー


オニツカタイガーのシューズ=8月、ロンドン

 クイーンは1975年、ポップ志向を強めたアルバム「シアー・ハート・アタック」のツアーで初めて日本を訪れた。マーキュリーは熱狂的な歓迎を受け、ファンの礼儀正しさや日本文化に魅せられたとされる。日本の美術工芸品を買い付けるようになり、1986年に最後に訪日した際は「輪島塗」の漆器で有名な石川県輪島市などを巡った。

 サザビーズの会場の扉を開け、最初に目に飛び込んできたのが「日本に恋して」と題した日本関連の展示だ。鈴木春信や喜多川歌麿の浮世絵、つぼや漆器などが整然と飾られ、美術館のようだった。違いは競売後は個人所有物になることだ。それぞれ「推定落札額」が表示されていた。「人の手に渡るともう見られなくなるから」と話す来場客もいた。


振り袖やステージ衣装=8月、ロンドン

 ▽クイーンの象徴、王冠も
 部屋ごとに「ドレッシングルーム」「着物」などとテーマが設定されていた。圧巻だったのは2階に上る階段手前のスペース。数々の音楽賞を獲得した際の記念レコードが壁一面に並び、中央にはマーキュリーがステージで着た深紅のケープと王冠。多くの客のフォトスポットになっていた。ほかにも愛読本や家具、食器、楽器があった。


ステージで身に付けた王冠と真紅のケープ=8月、ロンドン

 これらの品は倉庫で保管されていた訳ではなく、自宅に飾られていたと言う。マーキュリーが単なるコレクターではなく、作品を心から愛してたことがうかがえた。マクドナルドさんは「全ての品が丁寧に、美しく保管されていた。フレディはある意味、部屋そのものを芸術品として捉えていた」と語った。

 ▽セレブ続々、軽妙トークの司会者
 オークションは「インターネット・オークション」と「ライブ・オークション」を組み合わせて行われた。ライブは入札者が会場に訪れ、司会者が1品ずつ競売にかける。出品数が多く、複数回に分けて行われた。ネットオークションは、オンライン上で完結する。

 ライブ初日の9月6日は「イブニング・セール」と題して午後5時に始まり、サザビーズの男性従業員は黒のちょうネクタイとタキシード姿、女性はドレス姿で出迎えた。こうした装いは1980年代のスタイルで、マーキュリーに敬意を払い「恩返しするため」に行ったと言う。

 競売品の目玉の一つが浮世絵師、歌川広重の木版画「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」だった。夕立が急に降り出し、相傘をしながら大はしの両岸に急ぐ町人の様子が描かれた作品で、ゴッホが模写したことでも知られる。

 マーキュリーは当初サザビーズでこの浮世絵を落札しようとしたものの入札額が跳ね上がり断念したが、その後に巡り合わせがあった。サザビーズの日本美術担当、ジョン・アジェティさんは「フレディは本当にがっかりしたが、なんと日本で探して見つけた。とても良い状態だった」と教えてくれた。

 翌7日はステージ衣装や歌詞が競りに。午前10時の開始を前にサザビーズに高級車が続々と横付けされ、着飾ったり、クイーンのTシャツを着たりした参加者が姿を現した。「(自宅の)近所なので歩いてきた」と話すセレブもいた。


ロンドンの競売大手サザビーズの会場で行われたフレディ・マーキュリーの遺品のオークション=9月6日(ゲッティ=共同)

 司会者はあいさつもそこそこにオークションの開始を告げ、議事はてきぱきと進行。身を乗り出し入札額を伝え、「2万8千(ポンド)、3万、おっと次は3万5千にジャンプしました」と実況。参加者は手札を挙げて応札する。司会者が応札に気づいていない時は、会場の隅に配置された従業員が「ビター(入札者)!」と大声を張り上げていた。

 通貨単位はポンドだが、米ドルやユーロ、円といった主要通貨に自動換算され、モニターの数字がせわしなく変わった。一品当たり早ければ1分ほどで終わる。長くても数分だった。

 司会者の軽妙なトークも魅力だ。一騎打ちの激しい競りが終わりを告げようとした時に新たな入札者が現れると「小さなネズミがやって来た」と客をネタに。誤って2回続けて入札した参加者には「自分を敵に回さなくてもいいよ」と話しかけ、会場の笑いを誘った。

 ▽最高額はヤマハのグランドピアノ
 オークションには日本を含む76カ国から入札があった。マーキュリーの幅広い人気を反映し、85%が新規参加者だった。

 最も高額で競り落とされたのは、愛用したヤマハのグランドピアノで174万2千ポンド(約3億1600万円)。2番目はボヘミアン・ラプソディの手書きの歌詞草稿(137万9千ポンド)。歌川広重の浮世絵「大はしあたけの夕立」は29万2千ポンドだった。


最高額で落札されたヤマハのグランドピアノ=8月、ロンドン

 落札総額は想定していた760万~1130万ポンドを大幅に上回り、4千万ポンド程度(約72億6千万円)に上った。推定額を見ると数万円の商品もあり、自分でも落札できそうなものもあったが、98%の品が推定額を上回り、380倍以上の値段がついたものもあった。

 サザビーズによると、今回の収益の一部は、マーキュリーの名を冠したエイズ患者を救う財団などに寄付されるという。

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