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日本人同士の虐殺を描いた映画「福田村事件」の裏で、地元・香川は葛藤を抱えた 今も残る部落差別…それでも「教訓を継承したい」

47NEWS / 2023年11月1日 10時0分

映画「福田村事件」の一幕。自警団が行商たちを取り囲んでいる。ⓒ「福田村事件」プロジェクト2023

 100年前の関東大震災で、混乱の中、震源から離れた千葉県福田村(現・野田市)では、薬売りの行商団15人が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9人が殺された。通称「福田村事件」だ。香川県からはるばる来ていた行商団が朝鮮人と間違われて殺されたとする説が根強い。
 映画「福田村事件」が現在公開中で、注目を集めている。しかし、被害に遭った人々の地元が困惑していることは、あまり知られていない。被差別部落出身という行商たちのルーツがクローズアップされ、地域が特定可能な映像がテレビニュースで流れるなど、差別の二次被害ともいえる状況が生まれている。
 「そっとしておいてほしい」と願う住民がいる一方で、「ひどいやり方で殺された先祖を、きちんと弔ってやりたい」との声もある。いまだに理不尽な部落差別が残る今、地域は葛藤の真っただ中にある。


 事件から100年の9月6日、千葉県野田市で犠牲者追悼行事があり、香川からも遺族が向かった。初めて因縁の地を訪れた男性は、何を思ったのか。(共同通信=牧野直翔)


行商たちが殺害された現場の神社=5月、千葉県野田市

 ▽事件のあらまし
 福田村事件は関東大震災から5日後の1923年9月6日に起きた。襲った自警団は福田村と田中村(現・柏市)の人々。震災直後に広まっていた「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマにより、見慣れない行商らを朝鮮人と主張し、殺害したとされる。誤解がないように言い添えれば、本当に朝鮮人だったら問題がなかったわけではもちろんない。千葉の「福田村事件追悼慰霊碑保存会」は事件の原因について、市民の間にもともとあった朝鮮人への差別意識や、行商への偏見などが重なった「複合差別」と分析している。


1923年9月、東京・麻布方面における在郷軍人団の警戒活動

 ▽寝耳に水
 2020年冬、事件の被害者の故郷で町内会長を務めるカズトさん(仮名)の元に、知人からこんな連絡があった。「町がテレビに映っとるけど、大丈夫か」
 「何のことや」と聞くと、福田村事件の映画化に向け、森達也監督が地域を取材に訪れ、同行した地元テレビ局が、その模様を放送したのだという。
 寝耳に水だった。映画化の企画自体もこの時初めて知った。
 部落差別と向き合う地域にとって、地名や場所がさらされることは生死にも関わる。町内会はすぐにテレビ局に抗議し、ユーチューブでも公開されていたニュース映像の公開停止を求めた。


追悼式後、報道陣を前に心中を語ったカズトさん=9月6日午後、千葉県野田市

 問題は映画化だ。話題になれば地域にも注目が向くのは明らか。事件については2000年に香川県で「千葉県福田村事件真相調査会」が立ち上がり、本格的な調査が行われたが、それ以降は地域として積極的に関わっていない。今では事件の存在を知らない住民も多いという。カズトさんの脳裏に、地域で暮らす子どもたちの顔が浮かんだ。「事件を掘り起こせば、若い子たちが再び差別に遭わないだろうか」


映画「福田村事件」の中で、福田村を目指し歩く香川の行商たちⓒ「福田村事件」プロジェクト2023

 ▽「地名は出さないで」と要望したが…
 町内会は、森監督ら映画制作陣とビデオ会議を実施した。映画の制作は止められない。ならばせめて「地名は出さないでほしい」と要請し、了承を得たという。「作るなら、責任を持って良い映画を作ってほしい」とも訴えた。
 しかし今年9月、香川県の映画館で初めて映画を見たカズトさんら住民は、驚きを隠せなかった。劇中、テロップで「香川県〇〇郡」と記載されている。テロップが出た瞬間、客席から「〇〇だったのか」という声が上がったのも聞こえた。
 カズトさんは複雑な表情を見せた。「事件の背景がしっかり描かれていたのは良かった。ただ、地名が出たのは残念だった」


映画「福田村事件」の撮影前に進行をチェックする監督の森達也さん(中央)=2022年9月、京都府亀岡市

 ▽部落解放同盟も苦悩
 部落解放同盟香川県連の幹部たちも、頭を悩ませている。
 「虐殺事件の教訓を学ぶことは大切だが、当事者の同意も大事だ」
 かつては県連も事件の調査に協力し、機関誌などで被害者の出身地を明らかにしていた。だが、現在は地名を発信することはない。近年のインターネットや交流サイト(SNS)の発達が背景にある。
 不特定多数に情報が拡散されることから、差別をなくすための情報発信が、結果的に差別を助長する側に利用されてしまう。例えば、川崎市の出版社「示現舎」のように、被差別部落の地名リストや「探訪」動画を無許可で公表する団体や個人も現れている。
 この地域も、森監督が取材に訪れた後の2022年4月、示現社によって動画が公開された(現在は削除)。示現社メンバーが勝手に訪ねてきて、無許可で路地や家々や施設を撮影し、被差別部落であることをアウティング(暴露)する「部落探訪」と題した動画だ。


部落解放同盟香川県連の岡本俊晃書記長=8月、香川県丸亀市

 ユーチューブには全国の被差別部落を「探訪」した動画が100本以上あり、何年も閲覧できる状態だった。自治体などが削除要請を続けた結果、運営するグーグルが2022年12月に削除した。
 動画の影響は大きかった。地域にある障害者施設に入所を予定していた人が、入所を取りやめると連絡してきた。動画を見た父親が「土地が悪い」と差別発言をしたという。
 では、差別に利用されるのを恐れ、地名も何も明かさず、黙っていればいいのか。過剰に配慮すれば、部落問題の「タブー化」が進みかねない。
 県連の岡本俊晃書記長は率直に話す。「解放運動は非常に悩ましくなっている」。ただ、こうも強調した。「悪いのは差別をする側であり、行動しないと差別はなくならない」


行商たちの遺体が流された千葉県野田市を流れる利根川=5月

 ▽泣き寝入り
 「そっとしておいてほしい」。その気持ちの一方でカズトさんは、殺害された行商たちの無念さにも向き合っていた。行商たちは理由もなく残虐に殺害され、遺体は現場近くの利根川に流された。遺族の元には骨すらない。生き残って故郷に戻った6人も、事件のことを積極的に口にしなかった。
 うち1人は周囲から「生きて帰って来たおまえは幸せや」「諦めなさい」となぐさめられたと、生前に香川の教師が行った聞き取りに証言している。
 なぜ当時、被害者や遺族は声を上げなかったのか。カズトさんはこう推測する。
 「部落差別を理由に『言っても仕方ない』と泣き寝入りしたのではないか」
 福田村事件の加害者は8人が有罪判決を受け、うち7人が収監されたが、大正天皇死去による恩赦で1927年に釈放された。その後、加害者側からの謝罪はないという。「被害者側に立てば、いたたまれない」。カズトさんは言う。「ただ、同じ(自警団の)立場だったら、自分も加担していたかもしれない。そうさせた当時の時代背景を直視するべきなんじゃないか」


9月6日、千葉県野田市での犠牲者追悼式で献花する人たち

 ▽慰霊の旅へ
 事件から100年目となる今年の9月6日。カズトさんは遺族代表として千葉県野田市を訪れた。市民団体「福田村事件追悼慰霊碑保存会」の招待を受け、追悼式に出席するためだ。訪問は初めて。前日に新幹線や在来線を何本も乗り継ぎ、着いたのは出発から約7時間後だった。
 慰霊碑は、保存会が2003年、殺害現場近くの寺の境内に建造したものだ。追悼式には約80人が集まり、花を供え、手を合わせた。カズトさんら遺族や香川の地元自治体職員のほか、野田市民や映画「福田村事件」の出演者も参列した。


犠牲者追悼式であいさつする市川正広さん=9月6日

 保存会の市川正広代表があいさつを述べた。「被害者の痛みを心に刻み、正しく残すことが大切。私たちはこれからも、この事件にまっすぐに向き合い、未来ある子どもたちに人の命の大切さを、人としての尊厳を守る大切さを訴え続けていかねばならない」
 カズトさんたちは、事件現場となった神社も訪れた。神社の入り口で、カズトさんは地元の神社がまつっている神と、同じ神の名が刻まれた石碑を見つけた。鳥肌が立った。100年前のこの日、行商たちもこの碑を見ただろうか。その時、何を思ったのだろう―。「無念だったんちゃうかな。帰りたかったんちゃうかな」
 カズトさんは、千葉への旅で強い思いを抱いた。「事件を継承していかないといけない」。偏見や差別は、人を狂わせる。人を殺す。この教訓を次の世代に伝えたい。「悲劇を二度と起こさないためにも、差別のない社会を築き行動することがせめてもの供養になる」。事件の経緯を記した新しい碑文を作るべく、動き始めるつもりだ。


行商たちが殺された現場の神社から利根川につながる道=5月、千葉県野田市

 【取材後記】
 1年前、映画化の話もあって事件が注目され始める中、私は高松支局の記者として、香川県側の反応を知りたいと考えた。当初は「過去の歴史」として取材に気軽に応じてもらえると浅はかに考えていた。
 ところが取材を始めてすぐ、壁に直面した。事件から100年後の現在。人種や民族を標的としたヘイトクライム(憎悪犯罪)が相次ぎ、部落差別もいまだに残っている。遺族や住民は、今も事件と向き合いながら暮らしている。記事を書くことによって地域に注目が向き、住民の葛藤をさらに深めてしまうのではないか―。「事件を掘り返さないでほしい」と言う住民たちの前に、どうすべきか悩んだ。
 そんな私の背中を、ある住民の男性が押してくれた。「町を記事にするなら、何度も来て、見て、感じたものを書いて」。町に通い、さまざまな声を聞いた。どうすればいいのか、まだはっきりした答えは出ていない。しかし、地域の戸惑いはこれまで報道すらされてこなかった。地域のありのままを伝え、差別の根深さを地域とともに考えたい。住民と同じ目線で、私も取材を続けたい。

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