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地銀頭取の第二の人生は山あいの故郷で唯一の不動産屋 深刻化する空き家への移住を支援、「80歳までは続ける」

47NEWS / 2023年11月2日 10時30分

浜松市から移住した伊藤徹さん(左)、久美さん(中央)と世間話をする矢沢勝幸さん=7月、愛知県東栄町

 名古屋市内から北東へ車で約2時間、「奥三河」と呼ばれる愛知県の山あいにある東栄町は、全国の山間地域と同じく人口減少の波にのまれている。衰退が進むこの町で唯一の不動産会社の「奥三河不動産」が2020年に開業した。経営するのは東栄町出身で、地方銀行の愛知銀行で頭取を務めた矢沢勝幸さん(72)だ。

 奥三河不動産が取り扱う物件のほとんどは、東栄町や隣接する愛知県豊根村の空き家だ。矢沢さんは軽自動車で駆け回って空き家の状態を確認し、時には離れて暮らす持ち主を訪ねて法律上の問題などに対応。移住を希望する人と地元の人たちとの縁を結び、コミュニティーを復活させようと奮闘中だ。矢沢さんは経営の第一線を退いた後も、新たなやりがいを見つけて多忙な日々を送っている。(共同通信=千野真稔)

 ▽きっかけは母親の介護


 矢沢さんが奥三河不動産を始めたのは、2019年6月に頭取を退任した後、東栄町の実家で暮らす母親が体調を崩したことがきっかけだった。もともと「銀行員を引退したら東栄町でボランティアをしようと思っていた」という。

 母親を介護するため、東栄町と愛知県岩倉市の自宅とを車で約2時間かけて往復する日々を送っていたところ、人づてに「町が不動産を取り扱える人を探している」と聞いた。

 約2800人が住む東栄町では、若い人が町から離れ、空き家の増加が深刻化していた。東栄町はホームページで町内の空き家を紹介し、補助金を出すなどして移住する人を募集していた。

 矢沢さんが「私でも大丈夫ですか?」と町に問い合わせると「是非やってほしい」と二つ返事でお願いされた。矢沢さんは30代だったころ、不動産担保の評価といった融資実務に生かすため、宅地建物取引士の資格を取得しており、愛知県に登録していた。資格が有効であることを確認し、2020年10月に69歳で奥三河不動産を開業した。

 ▽「全くの素人」から学び直し


奥三河不動産の前に立つ矢沢勝幸さん=7月、愛知県東栄町

 奥三河不動産は東栄町の中心部にある。事務所の家賃は月額2万5千円。銀行員時代の取引先に依頼し、美容室だった物件を改装した。頭取時代には約1600人の従業員がいたが、奥三河不動産の従業員は矢沢さんの妻の道代さん(69)ただ一人。道代さんはホームページに載せる物件の間取りや広告の作成、経理を担っている。

 開業した当初は、東栄町がホームページに掲載している空き家の売り主と購入希望者の仲介役となった。売り主と買い手が決まった空き家を対象に、矢沢さんが現地で物件を確認した。だが宅建の資格を持っていたとはいえ、実際に不動産業を営むとなると勝手が分からない。「全くの素人」の状態から専門用語や法律を学び直した。


取り扱い中の空き家を見て回る矢沢勝幸さん=7月、愛知県東栄町

 矢沢さんが取り扱うのは、売り主から依頼を受けた物件がほとんどだ。日中は、四輪駆動の軽自動車で東栄町の山道を運転し、隣接する市町村にも足を運んで物件の状態を確認している。これまでに190件ほどの相談があり、愛車の走行距離は年間2万キロを超えた。

 次第に、空き家になっている物件や土地には問題が多いことが分かってきた。もともとの用途が農業の土地に家が建っていたり、登記されていない家があったりした。屋根の一部が他人の土地に架かってしまっている家もあった。矢沢さんは「物件の瑕疵に気づいた以上は『知らなかった』とは言えない。購入した人が後々まで困る」と考え、県外で暮らす空き家の持ち主を訪ねたり、物件の隣に住む人に直談判したりして、問題を一つずつ解決していった。

 ▽車庫がパン屋に、大学の課外授業の拠点も
 矢沢さんによると、奥三河不動産で空き家を購入するのは、定年退職後の生活を田舎で送ったり、現在の住居と2拠点で暮らしたりする目的の人が多いという。子どもの教育を考えた時に自然が多い田舎に移り住みたいという人もいる。一方、空き家を売りに出すのは、両親が亡くなり、相続で受け継いだ家の管理に困っている人が大半だ。

 「もしもし、矢沢ですけど。元気にしてる?」。東栄町に移り住んだ人に電話をかけるのも矢沢さんの日課だ。地域になじめているか、困りごとがないかを聞いて回る。

 町には車庫を改装したパン屋がオープンし、大学の課外授業の拠点もできた。開業後の3年間で、空き家が地域のコミュニティーの場に生まれ変わるケースが少しずつ増えてきた。


不動産の売買希望者と電話で話す矢沢勝幸さん=7月、愛知県東栄町

 ▽移住者がコミュニティーの中心に
 伊藤徹さん(53)も隣接する浜松市から東栄町に移り住み、コミュニティーの中心になっている1人だ。「50歳を過ぎてセミリタイアを考えていた。好きなことをやって暮らそうと思っていた」という。そんな時に東栄町を観光で訪れ、雰囲気が気に入った。町のホームページで空き家が紹介されていると知り、2022年4月に奥三河不動産に電話をかけ、矢沢さんと一緒に物件を見て回った。

 山あいにある現在の家の決め手は、水回りがきれいで、大きなリフォームをせずに住めることだった。妻の久美さん(51)は浜松市内で介護職をしている。通勤にかかる時間が40分ほどで、以前とほとんど変わらないことも購入を後押しした。

 久美さんは「のんびりできるかな」と予想していたが外れたという。徹さんは「移住者は受け入れてもらうことが前提との考えは嫌だった」。自ら地域のコミュニティーに飛び込んで「地区の行事に全て出たら、めちゃくちゃ忙しくなった」と振り返る。

 その結果、週に2、3回は近所の人が伊藤さんの家に集まり、宴会を開いている。徹さんは「今後は、地域の魅力をSNS(交流サイト)で発信しようと思っている」と話す。

 ▽移住希望の相談増加


事務所内の矢沢勝幸さん=7月、愛知県東栄町

 矢沢さんは、東栄町の隣の市にあった新城高校を卒業後、上京して中央大に進学した。中央相互銀行(現在の愛知銀行)に就職し、愛知と静岡県内で勤務した。50年ほどは東栄町の暮らしとは縁がなかった。奥三河不動産の開業当初は地元の知り合いが少なかったが「町役場の人などに助けられて人脈が広がった」という。これまでに相談者の家族を含めて300人近くの人に出会い、それぞれの人生に触れた。

 矢沢さんが日々、心がけているのは「安全安心な取引を提供する」ことだ。労力が掛かっても物件の問題に目をつぶらず、自らが仲介役となって解決する。それが東栄町から仕事を引き受ける上での使命と考えている。矢沢さんは「名古屋や関東からも移住を希望する人や家を売りたい人の相談が増えている。開業してから現在が一番忙しいけど、いろんな人に出会えてやりがいを感じている」と話す。

 東栄町にはこれからも第二、第三の人生を求めて移り住む人が来るだろう。矢沢さんは「奥三河不動産を始めた時から10年間はやると決めている。80歳までは続けるよ」と力強く語った。

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