「アナキズム」は本当に過激思想? 見えてきた実像は「相互扶助」だった 見直し進み、出版相次ぐ
47NEWS / 2023年11月7日 10時0分
「アナキズム」が見直されている。私が歴史の授業で習った記憶では「無政府主義」と訳されていた。政府や国家を打倒し、無秩序な社会の混乱を目指す過激な思想―。そんな暴力的イメージがあったアナキズムが今、なぜ注目されるのか。(共同通信=大木賢一)
続々出版されるアナキズム関連の書籍
▽続々出版
ここ数年で出版されたアナキズムに関する本は多い。ざっと挙げただけでこれだけある。
「アナキズム入門」(森元斎、2017年、ちくま新書)
「実践日々のアナキズム―世界に抗う土着の秩序の作り方」(ジェームズ・C・スコット、2017年、岩波書店)
「アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ」(栗原康、2018年、岩波新書)
「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ、2021年、文芸春秋)
「くらしのアナキズム」(松村圭一郎、2021年、ミシマ社)
「アナキズムを読む 〈自由〉を生きるためのブックガイド」(田中ひかる編、2021年、皓星社)
「学校で育むアナキズム」(池田賢市、2023年、新泉社)
いずれも「無政府主義」という恐ろしげな訳語からは距離を置き、身近で軟らかな視点を重視した記述が目立つ。暴動などの行為を一部肯定する本もあるが、アナキズムについておおむね「個人の自由を追求する暮らしの中での考え方」のようなものととらえている。
甘粕正彦憲兵大尉らに殺された大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の遺体が棄てられた憲兵隊内の古井戸(中央、壊れたレンガが積んであるところ)(大正12)年(撮影月日不明)
▽没後100年
関東大震災から100年の今年は、明治・大正期の日本を代表する無政府主義者(アナキスト)、大杉栄(1885―1923)と伊藤野枝(1895―1923)の没後100年の年でもある。
事実上の夫婦だった2人は、震災の混乱に乗じた憲兵隊に連行され、暴行の末に絞め殺された。手を下した甘粕正彦大尉の名から「甘粕事件」と呼ばれるこの思想弾圧事件はあまりに凄惨で、粛清されたアナキストの側にも何か激烈なイメージを与えてきた。
現代のアナキズムに影響を与えたグレーバー氏の追悼コーナー=東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店
▽そもそもの意味
アナキズムの語幹「アナーキー」とはそもそもどんな意味なのか。「明鏡国語辞典」を引くと「無政府・無秩序の状態であること。秩序を無視していること」とある。別の辞書では「無統治状態」となっていた。混沌とした混乱状態を志向する考えだと理解されても仕方ない。
だが、本来の意味はそうではないとの見方が主流だという。明治大法学部の田中ひかる教授(政治思想史)は、アナーキーの語源であるギリシャ語の「アナルコス」は単に「支配がない」ことを表す言葉だと解釈している。混乱状態を目指すテロリズムのようなものではないと言うのだ。
「私たちは日常の中で、国や企業、制度、慣習や既成道徳、伝統などさまざまなものに〝支配〟されています。アナキズムは、人間があらゆる支配や従属から逃れて自由に生きることを理想とする考え方、と訳した方が本来の意味に近い」
1922年、福岡・博多で撮影された伊藤野枝(矢野寛治氏提供)
▽野枝の思想
伊藤野枝は近年、人気が高まっている。その火付け役と思われる村山由佳さんの小説「風よ あらしよ」(2020年刊行)は、テレビドラマにもなって人気を博した。描かれたのは、郷里の親が決めた結婚に抵抗し、女性差別の中で向学に燃え、ひたすらに自由な恋愛と、自分らしい生き方を求めた女性解放運動家の生涯だ。国家転覆や暴力革命を画策する場面はない。
野枝はどんな人だったのか。彼女自身の言葉を知りたくて著作をいくつか読んでみた。すると、リトアニア生まれのアナキスト、エマ・ゴールドマン(1869―1940)の引用が目につく。
「今日当面の問題は、どうすれば人は自分自身であると同時に他の人々と一つになり、全人類と深く感ずるとともに各自の個性を維持してゆけるかということである」
他者を攻撃、排除するどころか、共存して一つになることを目指している。
続けて野枝はこうも記している。「自分等の生活中からあらゆる虚偽を追い出し、自由にして自然な生き生きした生活を営もうと努めている」。自分に嘘をつかず、何ものにも支配されず、自分らしく生きる―。野枝のアナキズムの神髄はそんなところにあるように見える。
WTO閣僚会議周辺で、道路を封鎖したデモ隊を排除するため、催涙ガスを放つ警察隊。デモ隊にはアナキストも参加したとされる(ロイター=共同)
▽否定できぬ暴力の歴史
もっとも、現実のアナキズムの歴史に暴力やテロリズムの影がつきまとっているのは事実だ。
世界に目を向ければ、アナキストを名乗って皇帝や国王を殺害した人がいるし、1990年代以降、現代に至るまで、政府への抗議から警官隊などを相手にした暴動になった例はいくつもある。
日本では、アナキストを自称する人物が本当にテロ事件を起こしたかどうかはっきりしない。ただ、そうした「イメージ」はある。
甘粕事件の3カ月後、摂政裕仁親王(昭和天皇)をステッキ銃で狙撃した「虎ノ門事件」の難波大助や、「大逆事件」で明治天皇暗殺計画の疑いをかけられて死刑になった社会主義者幸徳秋水は、アナキズムの影響を受けていたともされる。ただ、大逆事件は容疑そのものがでっちあげだったことがほぼ立証されている。
路上に座り込んだデモ隊を見守る警官隊。デモにはアナキストも参加したと言われる=1999年、米・シアトル(AP=共同)
▽〝自己責任〟の対極
現代のアナキズム人気は、そうしたものとは別物のようだ。
前述の書籍たちによく登場するのが、アナキズムの持つ〝相互扶助〟の精神だ。思想家の鶴見俊輔(1922―2015)は、アナキズムをこう定義していた。
「権力による強制なしに人間がたがいに助け合って生きてゆくことを理想とする思想」
そのユートピア的考え方は、自由競争とグローバル化、自己責任論によって貧富の格差や分断を強いられている現代人の対極に位置するように見える。
とはいえ、その理想の前には大きな疑問が立ちはだかる。行政や司法、警察、大企業の雇用などによる秩序に頼らず、現実として人は平穏に暮らして行けるのか。
その問いに対する肯定的な回答を、これらの本は提示している。相互扶助は人間本来の姿だというのが趣旨だ。いくつか例示してみる。
・「そこのスパナを取ってくれ」と仲間に言われた時、人は「代わりに何してくれる?」とは言わない。
・災害で行政が機能しなくなっても、人は悲しい体験の中で知恵を出し合い、自発的に助け合いを始める。それは一種のユートピアに近い。
・政府が存在しない未開の地や紛争地でも、人が共生し混乱なく生きていることが、人類学の研究で報告されている。
・日本でも山村などの共同体で、見返りを期待せずに面倒を見合う相互扶助は、古くから行われていた。
・コロナ禍で国家の対応能力が疑問視され、ロックダウン(都市封鎖)では、普段地味な仕事とされるスーパー店員、ゴミ収集員、看護師、バス運転手らへの感謝が高まった。
生前のデビッド・グレーバー氏=2005年、米コネティカット州(AP=共同)
▽くだらない仕事を捨てよ
過激思想とは異なる、新たなアナキズム。提唱する現代のアナキストたちに多大な影響を与えたのが、アメリカの人類学者デビッド・グレーバー(1961―2020)だ。前出の田中教授によると、グレーバーの新しさは「革命を目指さない」ことにあったという。
「革命は指導者や序列を生み、新たな支配を生んでしまう。ソ連崩壊で社会主義にも人権はないことが明らかになった」と田中教授。「もう革命まで待っていられない、という気持ちが人々にはある」。今ここでできる支配と服従の解消に手を付け、国や政府の存在は、とりあえず置いておく。そんな考え方が根付いたのだという。
ならば、実際に何をすればいいのか。前出のグレーバーは、アナキズムの定義を「仕事を減らして人生を楽しむことを目標とする思想」としている。現実の世界では、ホワイトカラーが自分のやることがなくなるのを恐れて無駄な仕事をわざわざ生みだす。グレーバーはそれを「ブルシット・ジョブ」(どうでもいい仕事)と名付け、そんなものはなくした方が有益な時間を過ごせる、と主張した。
現代のアナキズムに、統一された行動目標はなさそうだ。アナキズムは自分自身が教条的になることで「新たな支配」を生み出すことを嫌う。それよりも、古い世代の固定観念を一つ一つ撃破していく。若い人々のそんな気運が、現代のアナキズムを後押ししているのかもしれない。
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