人間は何秒か先の未来が見えることもある・内川聖一さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(28)
47NEWS / 2023年11月4日 10時0分
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第28回は右打者のシーズン最高打率3割7分8厘を誇る内川聖一さん。大分工高時代は監督だった父一寛さんとともに、プロ入りではない別の目標に向かっていたそうです。(共同通信=中西利夫)
▽父を理解できる部分と、できない部分
野球を始めたきっかけってないんですよ。母は「野球をやらせたくなかった」とよく言いますが(一寛さんが大分の県立高監督を歴任していた環境で)そんな選択肢はないだろう、というのが僕らの家庭です。野球がうまくいかないと、そういう家庭をすごく嫌になった時もあるし、そんな家庭じゃなかったら他のことでもっと楽しくやっていたと思った時期もありました。今、こういう立場になると、そういう家庭で良かったなというのもあります。
高校時代までは父ではなくて完全に監督です。「分かってると思うけど」と前置きされた上で、他の選手とおまえが5対5じゃ、絶対おまえを使えない。極端な話、8対2とか9対1、周りに10人いて10人がおまえだと言わない限り、俺はおまえを使えないからな、と言われましたね。父が監督なのはトータルに考えるとメリットの方が多いです。身近に目標とする人がいて、常に目に入るところにいるのはメリットだと思います。
横浜(現DeNA)からドラフト1位で指名され、ガッツポーズで喜ぶ内川聖一さん=大分市の大分工高
父を理解できる部分、理解できない部分と両方あります。父が初めて甲子園に行ったのが36歳の時かな。同じ36歳になった自分を見て、俺は高校生に対してこんなにエネルギーを燃やせないな、やっぱり父はすごいことをやってたんだなと思いました。こんなに本気で怒ってたんだなと感じて、俺には無理だなと。
高校3年夏の(大分大会)決勝に勝っていたら、人生は100%変わっています。僕の野球の目標は正直、甲子園とオリンピックに出ることでした。プロになることは、あんまり考えてなかったです。決勝で負けた瞬間に人生の目標が全て終わってしまったぐらいの気持ちでした。
(2000年シドニー大会まで)オリンピックがプロ、アマチュア混合の時代でした。プロに入って高卒4年目で五輪に出るような主力になる可能性と、大学でアマ球界のトップになって日本代表に選出される確率を考え、大学へ行って日の丸をつける可能性の方が高いなと思っていました。甲子園へ行った段階で、必然的に大学を選んでいたでしょう。夏に負けて出られず、くそっと思いましたし、そこでちょっと野球に対して火が付いたというか、よしプロでやってやろうか、という気持ちになったのはありましたね。
2008年9月の阪神戦で本塁打を放つ内川聖一さん。この年は右打者最高打率の3割7分8厘で首位打者=甲子園
▽母の言葉がすごく染みた
高校1年の夏に左かかとの骨嚢腫で手術を受けました。エックス線写真を見ると丸く穴が開いていました。半年ぐらいは松葉づえをついたり、ギプスで固定したりという期間がありました。僕は安心できることしか聞かされていませんでした。絶対治ると。それが予想外に3度の手術を受けたというのが正直なところ。最初から深刻に捉えていなくて、けがを治す過程の中で「えっ、また手術?」みたいなのが繰り返されました。
小中学校も主力選手で、試合に出ること、活躍することが当たり前と考えていました。歩けないかもしれないと自分が感じた時に、野球が普通にできるのはすごいことなんだなと。あの経験がなければ、到底ドラフト1位なんてことはなかったんじゃないですか。かかとを手術しても1位で指名されてすごいと皆さんは評価してくれますけど、僕からすると逆で、あれがあったから1位になったと思いますね。
01年に横浜に入って、07年オフに、来年駄目だったら辞めると母親に言いましたが、本当に駄目だったら辞めていると思います。野球も嫌だし、結果が出ない自分も嫌だし。あとは、どこかで励ましてほしいというのが心の中にありました。「もっと頑張りなさいよ」って言われるのを期待していました。その時、母から「やれることを全部やって、これはもう無理だと思ったら辞めて帰ってくればいいし、それは決して恥ずかしいことじゃない。別にプロ選手にこだわってほしいわけでもないし。そこから人生をやり直せばいいんじゃないか」と言われました。ああ、俺はやることを全部やったかなと、ちょっと感じました。そこで杉村繁さん(打撃コーチ)と出会うきっかけをもらいました。何か母の言葉がすごく染みましたし、それが染みたからこそ杉村さんの話が自分の中にすんなり入ってきたということはあるかもしれません。
2011年11月、西武とのCSファイナルステージ第2戦で二塁打を放つ内川聖一さん。両リーグ首位打者に輝いたシーズンだった=ヤフードーム
▽3割を打つことのすごさを知らなかった
杉村さんからは、もっと球を引きつけて打たないと駄目だと言われました。泳いでもヒットを打てるのが僕は長所だと思っていたことが短所でした。杉村さんは「(前年までコーチを務めた)ヤクルトは、そうやっておまえをアウトにしようとしてるんだぞ」と。電気が走るみたいな、えっという感じでしたね。バッティングには多少の自信はあったので、誰の話を聞いても自分が正しいみたいな感じがあったんですけど、今までやってきたことが短所だったら、長所を身に付けた時にもっといけるなという感覚になりました。そこは杉村さんに感謝しないと。
2017年11月、DeNAとの日本シリーズ第5戦で右翼線に先制二塁打を放つ内川聖一さん。短期決戦での勝負強さにも定評があった=横浜
08年キャンプで、ティーバッティングを毎日6種類ぐらいやりました。遅い球をしっかり引きつけ、足を上げた状態で待ちながら強く打つという練習をやっていました。杉村さんからよく言われていたのは、投手は崩そうとして攻めてくるので、どうしてもバッティングは崩れる。その崩れたところをティーバッティングで日々フラットに近い状態に戻しながら練習をやれば、もっとよくなるんじゃないかと。杉村さんは教えることもそうですけど、言葉で人を乗せるのがうまいんですよ。だから僕は言葉に乗せられました。
その年、1打席だけ「この感じ」という打席があったんです。それがあったからこそ100%の自信を持てたというのもありました。内海哲也(巨人)のチェンジアップを左中間に持っていった。真ん中低めぐらいじゃないですかね。しっかり引きつけて右足で踏ん張って強く打てたという感覚。あれがあったから打率3割7分8厘があります。4割の意識はありませんでした。3割を打つことのすごさを知らなかったんです。レギュラーさえ取ったことがなく、規定打席にいったこともなかった。3割の価値を知らない分、3割5分だろうが8分だろうが僕には関係ない。本当に毎日、毎打席ヒットを打ってやろうと思っていました。横浜で先輩だった多村仁志さんからは「打率を見たら人間は怖くなる。これ以上落ちたら嫌だなって思うだろ。守りに入ったら負け」と言われました。守ろうとするんじゃなく、毎日ヒットを打ったら勝手に打率は上がるから、毎試合3打数3安打、4打数4安打でヒーローインタビュー、それぐらいの気持ちで打席に立てと。その教えがあったから、あの打率まで上がっていけたのだと思います。そこから7年連続3割でした。
2018年5月の西武戦で通算2千安打を達成し、記念のボードを掲げる内川聖一さん=メットライフドーム
▽本塁打が飛ぶところが打席の前に見えた
自分のプレーの判断基準を人に合わせないことが大事です。他人には大した問題じゃなくても自分が問題だと思っていれば問題なので。球審のストライクゾーンじゃなく自分のストライクゾーン。それも一緒だと思います。自分がストライクだと思って打てば、周りから見てボールでもヒットになると思っていました。僕の場合はそういうものがあった方が良かったということですね。全員がそうじゃないと思います。考えていることが、球を強くしばきますとか、バットを強く振りますとか、それだけで結果が出ている選手がうらやましいですね。何も考えず、ただ振ればいいという感覚がうらやましい。
川上哲治さんは球が止まって見えたそうですが、僕もいろんなことがありました。この投手がこういうふうに投げ、こうやって打ったらあそこへホームランが行くなというのが打席の前に見えたり。球が来てポッと大きくなったのを打つだけみたいな感覚が出てきたのが2打席ぐらいあったかな。人間って何秒か先の未来が見える可能性はあるんじゃないかなと思ってるんです。いろんな競技の方に話を聞くんですけども、騎手の方だったら自分が馬に乗って走るところが光って見えたとか、スピードスケートの方は自分が滑るところに全部ラインが引いてあり、そこに乗っかったら記録が出ちゃったみたいなことを言われた。何をやってもうまくいきそうな気がする時って、僕はあると思うんです。それって結構大事なことかなという気がします。
2023年9月、独立リーグ大分での引退試合を終えてナインと握手を交わす内川聖一さん=大分県臼杵市
× × ×
内川 聖一(うちかわ・せいいち)大分工高から01年にドラフト1位で横浜(現DeNA)入団。08年に右打者歴代最高打率で首位打者。ソフトバンクに移籍した11年も首位打者となった。セ・パ両リーグで獲得は史上2人目。18年5月、名球会入り条件の2千安打に到達。ヤクルトを経て独立リーグの大分入りし、23年限りで引退。プロ野球通算2186安打。WBCは09年から3大会連続で日本代表。82年8月4日生まれの41歳。大分県出身。
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