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女子高生殺人の証拠は「脅迫状」、でも逮捕された男性は文字が書けない…犯人と決めつけた捜査は「被差別部落の出身」だからか 無実を約60年訴える「狭山事件」

47NEWS / 2023年11月21日 10時30分

遺体発見現場付近=1963年5月、埼玉県狭山市

 文字を書けないのに「脅迫状を書いた」とされた。被害者のものとされる万年筆が、3度目の自宅の捜索で突然「発見」された。自白調書は「認めれば(懲役)10年で出してやる」という警察官のうそに乗せられたものだった―。こうした〝証拠〟を元に無期懲役とされ、60年近く無罪を訴え続けている男性がいる。
 埼玉県狭山市で16歳の女子高校生が殺害された「狭山事件」で、服役した石川一雄さん(84)だ。石川さんは周囲から差別を受ける地域「被差別部落」の出身だった。捜査の背景には地域への差別意識があったと指摘されている。
 今年10月、静岡の一家殺害事件で死刑囚だった袴田巌さんのやり直しの裁判が始まり、「再審」を求める事件に注目が集まっている。石川さんは1994年に仮釈放されたが、「見えない手錠がかかったまま」と再審を訴え、全国を飛び回った。再審開始を求める署名は51万を超える。ただ、世間の関心の広まりはいまひとつだ。(共同通信=当木春菜)


狭山事件の再審を求める集会に臨む石川一雄さん

 ▽警察は「非識字者」を脅迫状の送り主だとした
 狭山事件は1963年5月に発生した。下校途中の女子高校生が行方不明になり、被害者宅に脅迫状が届く。その数日後に遺体が見つかった。石川さんは窃盗の疑いなどで別件逮捕され、その後、この殺人事件の疑いなどで厳しい取り調べを受けた。
 裁判では、被害者のものとされる万年筆が自宅から見つかったことや、逮捕時に書いた上申書と脅迫状の筆跡が一致したとの鑑定結果が証拠とされた。石川さんの自白も重視され、有罪となった。1977年に無期懲役が確定した。
 ただ、事件当時24歳だった石川さんは、字が書けない「非識字者」だった。背景には生家の貧しさがある。石川さんは家計を支えるため幼い頃から働き、ほとんど学校に通えなかった。
 非識字者だったことは、石川さんの人生に影を落としてきた。字を書けないことを職場に知られ、3年働いた製菓工場を退職したこともあった。
 石川さんが逮捕当日に書いた上申書には「署長殿を「しちよんどの」、20万円を「20まいん」と読める、乱れた文字が記されている。字が読めなかった石川さんは、法律や弁護士の役割も分からなかった。警察官の「認めれば(懲役)10年で出してやる」の言葉を信じて自白した。後に法律を学んで、でたらめだったと知った。「世間知らずにつけ込まれ、犯人にでっち上げられた」との思いは強い。


石川一雄さんと早智子さん

 ▽文字を学び、生きがいを得た
 石川さんはその後、拘置所で文字を学び、自身の言葉で無罪を訴え続けた。支援者に手紙を書き、日記や短歌をしたためるうち、書くことは「喜び」で「生きがい」になった。その言葉は全国の支援者を励ました。その1人が、仮出所後の1996年に結婚する早智子さん(76)だ。
 早智子さんは徳島県の被差別部落出身だ。出自を隠して就職し、いつばれるかとびくびくして過ごしていた。そんな中、石川さんが獄中で紡いだメッセージが苦しみから解放してくれた。早智子さんは「彼の言葉に多くの支援者が共鳴し、救いにもなった」と振り返る。
 石川さんは今年1月に84歳になった。健康維持のためのランニングは、近頃は週2~3回のウオーキングになった。早智子さんは「今は自分がどれだけ動けるか確かめる作業になっている」。糖尿病の症状で目も見えにくくなり、早智子さんが口述筆記するようになった。
 石川さんの心に引っかかるのは、死に目に会えなかった両親のこと。「事件発生の日は両親と夕飯を食べていた。2人は誰よりも私の無実を知っている」。仮釈放の立場では顔を見せられないと墓参りは避けてきた。ただ、残された時間は決して長くない。


火災で焼失後、復元された事件当時の石川一雄さん宅にあった勝手口のかもい

 ▽部落差別が冤罪を生み出したのか
 石川さんの「有罪」にはこれまでも多くの疑問が指摘されてきた。
 弁護団は、「自白」は強要されたものと主張している。
 被害者のものとされる万年筆は、徹底した捜索を経た3度目の自宅の捜索で、勝手口の「かもい」から見つかった。だが、この点に疑問を感じた弁護団は、ある実験をしている。
 捜査経験のない大学生12人に、石川さんの自宅を復元したセットの中で万年筆を探してもらった。すると、全員が30分以内に発見した。とすると、もともと万年筆はかもいになく、何者かが事後的に置いた可能性が浮かんでくる。
 弁護団はさらに、文化財の成分分析などに用いられる最新技術「蛍光エックス線分析」による万年筆インクの鑑定結果を基に、万年筆は被害者のものではないとも主張した。こうした調査の結果、有罪認定に疑問点がいくつも判明した。ではなぜ、石川さんが犯人とされたのか。


復元された石川一雄さん宅のかもい。ペンが置いてあるあたりで万年筆が見つかった=2005年、埼玉県狭山市

 部落差別の研究者で、石川さんに関する著書を出版した静岡大教授の黒川みどりさん(65)は狭山事件を「部落差別の問題が集約されている。部落差別が生み出した冤罪だ」と説明する。
 逮捕時に働いていた養豚場は、被差別部落出身者が経営していた。警察は、この養豚場を集中的に捜査したとされる。
 黒川さんの著書によると、当時の報道では、石川さんの自宅周辺が「犯罪の温床」として扱われた。「犯人はあの区域」との住民の証言も紹介されていた。


狭山事件の石川一雄さんの半生をまとめた黒川みどりさん

 ▽石川さんの人権の問題と考えて
 事件は風化し、「冤罪事件」としての訴えが続いていることを知る人は多くない。
 ただ、60年たった今も、被差別部落の関係者が結婚や就職の際に不当な扱いを受けるケースはある。部落への差別意識は根強く残っていると言える。
 黒川さんは「部落差別問題と切っても切り離せないイメージがある事件。そのことで、関心や理解が集まりにくい側面もあるのでは」と推測する。
 黒川さんは被差別部落に隣接する地域に生まれた。幼いころから大人の差別意識に触れ、大学在学時に研究を始めた。
 数年前に石川さんと話す機会があり、「人間、石川一雄を書きたい」と聞き取りを主軸に置いた書籍を企画した。十数回に渡って面会し、生い立ちから近況をまとめた。


狭山事件で石川一雄さん(前列右から2人目)の再審を求める人たち

 面会を重ねるうち黒川さんは「石川さんを知ってもらえれば、冤罪を疑う人はいないだろう」と確信した。若い世代など幅広い世代に伝えようと、岩波書店から「被差別部落に生まれて」を出版した。
 「権力が弱者を利用するのは特別なことでも、過去のことでもないと思う。事件を石川さん個人の、人権の問題として捉えてほしい」と訴えた。

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