「外野手の浅い守備位置が悔しくて…」徹底したハンマー投げでびっくりするほど打球が伸びた・藤田平さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(29)
47NEWS / 2023年11月23日 10時0分
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第29回は藤田平さん。阪神生え抜き選手で初めて2千安打に届いたバットマンです。高卒からプロ入り2年目に154安打と飛躍した要因が、独自の練習にあったことを語ってくれました。(共同通信=栗林英一郎)
▽ノックするみたいに石を棒で打つ感覚が残っていて
僕は打席で後ろの足、左足を(投手寄りに)ずらす打ち方だったんですよ。イチローもずらしますよね。ああいう感じでね。中学の時は何も言われなかった。高校に入って監督が「動かしたらいかん」。プロに入ってもコーチに言われました。固定しろとか、動かすなと。一番自分に合っているから、僕は頑として譲らなかったですね。打者によって間の取り方はみんな全然違います。バットで取る人、下半身で取る人、腰で取る人もいる。いろんな形があると思いますけど、僕の場合は足をずらしながら間を取る感覚でやっていた。
阪神に入団した当時の藤田平さん=1966年2月撮影
きっかけはね、小学校へ行くか行かんかという頃に、昔は球もバットもなかったから棒で石を打っとったんですよ。ノックするみたいに。その時に足をずらして打ったのが、ずっと残っとった。体重を送りながら前で球を打つというかね。今の打者で僕らみたいなのは少ない。みんな後ろに(体重を)残す。残した方がいいという人が多いね。体重移動はせないかんのですけど、小さいか大きいかですわ。今の時代でも僕らのバッティングは通用するし、打ちやすいと思うけどな。あんだけ変化球を放られたら、体重移動せな打たれへん。メジャーの方がいろんな変化球が多い中で、イチローの体重移動は通用した。
三振の記録(1978年の208打席連続無三振が当時のプロ野球新記録)をつくったことがあるんですけども、たまたまだと思いますよ。自分で意識してやったわけでもないし。どっちかいうと僕は1球目から打つバッターだった。初球からいいストライクが来れば打つから、三振も少なかったんかな。自分の考えとして、ストライクは三つあるけれども、打てる球は一つだと思っているから。
1970年の藤田平さんの打撃フォーム
▽攻守で影響力のあったタイガースの先輩たち
阪神1年目のシーズンなんて打球が外野の頭の上を越えないから、各チームの外野が前に守った。それが悔しくてね。1年目の秋季キャンプが終わり、ある時期にすっと、かすみが晴れるように、こういう練習をしたら来年絶対いけるなという感じが不思議と見えた。それでオフに実家へ帰って2カ月間、毎日、毎晩練習して次のシーズンに備えたんです。
(オリックス時代の)吉田正尚君が室伏広治さん(ハンマー投げ五輪金メダリスト)と練習していたじゃないですか、たたくハンマーとか。これを僕は当時やった。室伏さんのお父さん(重信さん)の時代ですよ。50何年前に。うちの兄貴が陸上をやっていて、何か知らんがハンマーがあった。おやじが健康のためにいつも回しとって「おまえもやってみろ」と。それがきっかけ。中高校時代も少し回してました。
1978年の藤田平さん。このシーズンに208打席連続無三振のプロ野球記録(当時)をつくった
ハンマー投げは徹底的にやりました。左右に100回ずつ、毎日やりました。あとはハンマーも100回。(くい打ち用の)長い金づちあるやん。おやじがおもりを溶接して重たかったけど、両方やりました。それでびっくりするほど打球が伸びたんですよ。2年目からボンボン外野を越えるようになった。面白いと言うたらおかしいけども、打席に立つのがうれしくて。前に来とった外野手がだんだん後ろに下がるようになりました。
守備面では当時は日本一のショートの吉田義男さんや三宅伸和さん、鎌田実さんら一流の人がたくさんおられて、いろんな技術を見て勉強できるというか「教科書」がいっぱいあった。ダブルプレーが非常に速くて、鎌田さんのバックトスに一番悩んだですね。二塁に入る前に容赦なく放られました。僕が素早く入る練習をさせようとね。1年目が終わったくらいに、やっと付いていけるようになった。
吉田さんには、よく教えてもらいました。スカウトの人からは「吉田さんはあまり教えない」と聞いていた。鎌田さんや安藤統男さんに対しては一つも教えなかったみたいで。けれども、吉田さんはスカウトに「(ドラフト指名の際に)後釜を取ってきてくれ」ということだったそうで、跡を継いでほしいというのがあったんじゃないかな。もうキャッチボールから「捕ったらすぐに投げろ」とか、余分なことをしないように教えられましたね。アマチュアの基本ではなくプロの基本。捕ったら1歩も2歩も歩いて放るんじゃなくて。吉田さんも捕ってから放るの速いじゃないですか。
1981年10月、セ・リーグ首位打者が決定して花束を手にファンにこたえる藤田平さん=甲子園
僕は藤井栄治さんとバッティングがよく似ていた。藤井さんはミート中心で、流すのが非常にうまかった。形が似とったもんですから、僕のバッティングをよく見ていてくれた感じがします。ロッカーが隣同士で、試合終わっていつも「どんなですか」っていろんなこと聞いてました。僕は手のひらが小さいもんで、グリップが細かった。細いと割とバットがしなる感覚があり、しなりをうまく使えたかなと思います。藤井さんもグリップが細くて、長いというか、4半(34・5インチ=約87・6センチ)というのを使ってました。ノックバットくらいの感じやったね。
▽米国での1カ月半が自己反省の時期
(79年に)真弓明信が阪神に来た時、ブレイザー監督と話をして、真弓がショートで僕がファーストへ回った。その年の4月に神宮で(左脚に)けがをしたんです。それから1年半ぐらいを棒に振った。やった時点で終わったなというのはありました。僕は1500本ぐらい打っとったんですね。その時分に名球会ができた(78年7月創設)。2千本打ちたいなと思って、それで復活してみようかなと。
でも、6月になっても一つも治らない。その時に半月板を治して戻って来たラインバックが「アメリカへ行け」と勧めてくれた。それで7月に渡米。医者に、何で4月にけがをした時に手術しなかったのか、と言われました。(患部が)伸びて切れて、どっかに引っ付いていたそうです。手術もできるかできないか分からないと言うので、周りの筋肉を鍛えようとなった。3週間、訓練のやり方を教わった。
1996年6月、練習を見守る阪神監督時代の藤田平さん=甲子園室内練習場
(滞在先が)ロサンゼルスでしたから、エンゼルスとドジャースと両方の球場に何回か試合を見に行きました。向こうの選手は何かすごく楽しんでいるような、ベンチの中で何か食べながら野球をやっていた。日本みたいに目くじら立てて必死になってやるんじゃなくて。もっと楽しんだらいいんかなと、そういうことを分からせてくれた。
8月に帰国して、それから訓練を1年こつこつやって少しは走れるようになった。それでも足の速さは元に戻らなかったですね。チームで一番遅い人と一緒ぐらいになりました。(米国での)1カ月半は、いろんな勉強する時期になりました。自己反省する時期にね。もう一度バッティングのことも考えて、今までどんな練習をしてきたんだろうと。一からやり直そうとプロに入った時の練習をやりました。それがよくて、81年に首位打者が取れたんです。
(左脚の負傷時は)まだ30歳ぐらいだったでしょ。同じ年代の選手が、まだばりばりやってるし、自分もくたばるわけにはいかないなという感じはありました。(83年5月の)2千安打達成は、あと1本からだいぶかかったんですよ。甲子園で花束を用意してくれとったのが駄目になって、後楽園に行って巨人戦で打てたんですね。王貞治さんからお花いただいて。やっと打てたかなと、疲れがどっと出た感じですわ。
インタビューに答える藤田平さん=2022年4月、兵庫県西宮市で撮影
× × ×
藤田 平(ふじた・たいら)市立和歌山商高(現市立和歌山高)で1965年の選抜大会準優勝。ドラフト2位で66年に阪神入団。左脚のけがから復活し、81年に首位打者に輝いてカムバック賞。名球会入り条件の通算2千安打は83年5月に到達した。翌84年に引退。遊撃手、一塁手としてベストナイン7度、ゴールデングラブ賞3度。96年に阪神監督。47年10月19日生まれの76歳。和歌山県出身。
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