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世界の研究者が驚いた観察眼「サルしかいない動物園」の高崎山が70年続く秘密 名物ボス、観光名所…でも本当に凄いのは職員

47NEWS / 2023年11月24日 10時0分

来園者の近くで毛繕いする野生のニホンザル=3月、大分市の高崎山自然動物園

 野生ニホンザルの餌づけで知られる大分市の高崎山自然動物園は今年3月、開園70年を迎えた。取材で訪れると、園に30年以上勤める藤田忠盛さんは、周辺でくつろぐサルたちを優しい眼差しで眺めながら話した。「ほかの動物園と違ってサルしかいないのに、よく続いてきたと思う。だからこそ一層、ガイドの役割は重要だと思っている」
 ガイドとしてマイクを握った藤田さんは、集まったサルたちのうち一匹を指さしながら、近くで身守る来園者たちに説明を始めた。
 「彼はすぐキレるんですよ。すぐキレる個体がトップにいると組織がおかしくなる。人間社会でもそうですよね」。このサルは、高崎山にいる3つの群れのうち「C群」の頂点に君臨していた「ロバート」。藤田さんの軽妙な語りは続く。


 「この群れにいてもモテないので、別のB群に移ろうとしているんですよ。そうすると急にモテるようになる」。来園者たちから笑いが漏れた。ロバートは11月に、藤田さんの予想どおりB群に移った。


高崎山自然動物園で来園者にサルを紹介する藤田忠盛さん=2月

 藤田さんは、園内に現れる約1000匹のうち、名付けが済んだ約400匹を見分けることができる。それぞれの性格や来歴なども把握している。
 サルに名付けるのは、高崎山では1953年の開園当初からあった文化だ。後になって日本の研究者がこの「名前を付けて個体識別する」という手法を紹介。これが、以前はほとんど知られていなかった「サル社会の複雑さ」を解き明かす鍵となり、各国の霊長類研究者を驚かせたという。どうやれば400匹ものサルを見分けられるのか。さらに、そもそも世界でも珍しいサルだけの動物園がなぜここにあり、70年も続いているのか。(共同通信=大日方航)


1955年の高崎山

 ▽市長の妙案、自らほら貝で呼び集めようと…
 サルたちはもともと、標高628メートルの高崎山に生息する野生のニホンザル。これを餌付けして観光客に見せる構想は、70年以上前の市長が打ち出した。当時もサルが農作物を荒らす被害に周辺の農家は悩まされていた。餌付けすることで被害を抑え、観光収入も生み出す「一石二鳥」の妙案だった。
 大分市によると、計画を実行に移したのは1952年11月。高崎山麓の寺院の敷地にリンゴを運び込み、市長みずからほら貝を吹き鳴らして呼び集めようとした。しかし、サルたちは警戒しているのか姿を現さない。
 それでも諦めず、サツマイモをまくなど試行錯誤して1953年2月にようやく餌付けに成功。翌月の開園にこぎ着けた。すると「野生のサルを間近で見学できる」と評判になり、人気の観光地に成長。ピーク時の1965年度には約190万人が訪れた。
 学術研究にも貢献。サルの「芋洗い行動」で知られる宮崎県串間市の幸島とともに、京都大の研究者の調査に協力している。


頭数が増加した頃の高崎山自然動物園=1998年

 その後、餌の量を増やしたことでサルが増え続け、開園当初の約200匹から、1979年度には2千匹を突破。一方で増えすぎたために周辺の農業被害も拡大した。このため餌を徐々に減らし、2022年度は977匹まで減少している。
 ところが、入園者も1990年代からは減少傾向が顕著になった。2000年代以降は横ばいが続いたが、2021年度は年間約15万人にまで落ち込んだ。経営が悪化し、新人採用は停滞。その結果、長年培った技術や知識が途絶える恐れが生じた。
 危機感を抱いた大分市は2022年4月、外郭団体による運営から市の直営に切り替え、財務体質や人員の増強を図った。手始めに30歳前後の新入職員を採用。40~50代というベテラン中心の組織を、少しずつ若返らせる狙いだ。


木の枝をかじる子ザル=3月

 ▽有名なボスザル「ベンツ」の生涯
 高崎山自然動物園の魅力は、人間社会にも似た複雑な組織構造の一端が、ガイドたちの説明で垣間見えるところだ。
 70年の間には、テレビなどを通じて有名になった「名物ボス」がいる。三つの群れ(A、B、C)のトップとしてそれぞれ君臨するボスザルは歴代いるが、名物ボスたちはひと味違う。
 群れ同士の争いに勝ち残る腕っ節の強さが必要なだけでなく、風格があったり、温厚だったりとそれぞれが強烈な個性を持ち、人々に強い印象を与えた。園のガイドらが今なお語り継いでいるボスもいる。

 園がオープンしたての1953年春にA群を率いていたのが「ジュピター」だった。約8年にわたって権力を握る一方、子ザルの世話を焼くなど温厚な一面があったという。


片腕のボス、ドラゴン=1997年

 1991~97年ごろにB群トップを務めた「ドラゴン」は、近くを走る電車にはねられ、右腕を失いながらも「片腕のボス」として仲間を守り続けた。「勇敢で、統率力に優れ、風格があった」と藤田さんは懐かしむ。
 名物ボスの中でも、歴代最年少でB群ボスの座に就いた「ベンツ」の生涯は興味深い。


歴代最年少でボスの座に就いた「ベンツ」=2013年

 B群のボスだった時、C群のメスに誘惑され、トップの座を捨ててC群に加わった。C群では新入りのため序列が下位に転落したが、ベンツはそれで終わらなかった。
 落花生の殻を食べて空腹をしのぐ長い下積み生活を経て、「武闘派」として頭角を現し、2011年にはC群のボスに。二つの群れでボスになったのはベンツだけ。2014年を最後に園に姿を見せなくなり、死んだとみなされた。


B群のトップとして君臨していたメスの「ヤケイ」=5月

 ▽史上初めてメスでトップに立った「ヤケイ」の強烈な家系
 ボスザルはオスだけではない。2021年7月から23年5月26日までB群トップとして君臨したのはメスの「ヤケイ」。序列上位のオスたちが高齢になったタイミングで当時のボスを強襲し、トップの座をつかんだ。体格は小柄だが、持ち前の負けん気を発揮した。
 ニホンザルは基本的にはオスが序列をつくり、群れ全体のトップに就く。メスザルのボスは高崎山では初めてで、ニュースは海外でも話題となった。
 ヤケイは2023年5月26日、オスの「ゴロー」にトップの座を明け渡す。サルの序列は原則としてオスの間でつけるため、序列外となった。ボスでなくなったヤケイは今年6月、メスの赤ちゃんザルを出産した。


「ヤケイ」から生まれた雌の赤ちゃんザル=6月

 園によると、6月8日午前10時ごろ、ヤケイが園内の餌付け場所に姿を現した際、胴体にしがみつく赤ちゃんザルがいた。雨が強まると軒下に入り、体全体で包み込むように守っていた。その後も園内でヤケイが乳を与える姿などが目撃されている。荒い気性は身を潜め、かいがいしく世話する姿が評判だ。 相手は誰か。新たにボスになったゴローとの交尾も確認され、一緒にいる姿も目撃されているが、園は「赤ちゃんザルの父親は誰か分からない」としている。ニホンザルは複数の相手と交尾するためだ。


「ヤケイ」に代わり、B群のトップに立った雄ザル「ゴロー」=5月

 園の職員たちが心配しているのは、ヤケイと赤ちゃんの関係だ。理由は家系にある。
 ヤケイの祖母に当たる「オレケイ」は、当時からB群の中で地位が高かった。ところが、その娘の「ビケイ」は気性が荒く、母であるオレケイを倒し、のし上がった。そのビケイの娘がヤケイだ。2021年3月、ビケイは娘のヤケイと取っ組み合いになり、敗北。母オレケイから奪い取った権力の座を、娘に奪われた。
 「ヤケイ一族は親子仲が代々悪い。娘ともめることなく仲良くし続けてほしい」と職員の江川順子さんは願っている。


高崎山自然動物園に30年以上勤める、ベテランガイドの藤田忠盛さん=8月

 ▽ガイドが身に着けた「サルの見分け方」は…
 ところで、ガイドたち職員はどうやって多くのサルを見分けることができるようになったのか。藤田さんによると、特別な方法はないようだ。
 「集中し、一生懸命覚えるしかありません」
 休み時間も使い、サル専用のノートにそれぞれの特徴を書き込むなど、努力を重ねてきた。ガイドをしている最中も、一匹一匹の性格やくせなどに言及することを欠かさない。
 藤田さんが入園した30年前は現在のようにデジタルカメラが普及していなかった。このため、ノートにサルの顔を描いて覚えるなどの手段をとっていたという。「一生懸命、ホクロなどの特徴を探していましたね」と笑いながら振り返る。


高崎山自然動物園の寄せ場に姿を見せたサル=2018年

 高崎山自然動物園では現在、30分おきに餌の小麦を与えており、数百匹のサルの群れが、餌目当てに出現する姿を頻繁に見ることができる。
 「ニホンザルの血液型の8割はB型です。B型の人はほぼサルなので、襲われないように気をつけてください」。藤田さんの軽妙なトークに、来場者からまた笑いが起きる。ベテラン従業員の「匠の技」が、今日も園を支えている。

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