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戦火のガザに残した同僚、安否を気遣うメッセージに…「NO」 なかなかつかない「既読」、国境なき医師団の日本人女性「ただ祈るしか」

47NEWS / 2023年11月27日 10時0分

パレスチナ自治区ガザ南部に避難中、懐中電灯の明かりを頼りに同僚と話す国境なき医師団の白根麻衣子さん(右)=10月(国境なき医師団提供)

 スマートフォンの画面をのぞくと、仲の良かった現地スタッフからたった一言「NO」と返信されていた―。イスラエル軍が猛攻を続けるパレスチナ自治区ガザから退避した国際組織、国境なき医師団(MSF)スタッフの白根麻衣子さん(36)。今年5月にガザに赴任し、約300人の現地スタッフと共に活動してきた。イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘激化を受けてやむを得ずガザを去ったが、残る同僚への思いは尽きない。(共同通信=森脇江介)


パレスチナ自治区ガザに残るスタッフについて聞かれ唇をかむ国境なき医師団の白根麻衣子さん

 ▽「監獄」に2度目の赴任
 2016年にMSF入りした白根さん。ガザやアフガニスタンでの勤務を経て、今年5月に2度目となる勤務に赴いた。現地では職員の採用などを担当し、パレスチナ人スタッフと一心同体で日々の活動にまい進していた。


 「戦闘開始前、病院に攻撃なんてありませんでした」。周囲をフェンスに囲まれ、検問所を通じたパレスチナ人の出入りも容易ではないガザは「天井のない監獄」とも呼ばれる。戦闘が始まった10月7日を迎えるまでは散発的にイスラエル軍の空襲があったが、ガザ市中心部のシファ病院近くにある事務所に大きな危険が迫ることはなかったという。

 だが、ハマスの奇襲とイスラエル軍の地上侵攻で状況は一変。連日の空爆から身を守るため、他の外国人スタッフ約10人と宿舎の地下室に避難した。シャワーを浴びることができたのは攻撃の合間を縫って「1人3分以内」。建物から50~100メートルのところに爆撃があった時には、窓ガラスが全て割れた。


ガザ市のシファ病院で負傷した子どもの手当てをする国境なき医師団のスタッフ=10月19日(国境なき医師団提供)

 ▽廃材テントに身を寄せて
 戦闘が激化するにつれ、白根さんら外国人スタッフはガザ地区の南側に隣接するエジプトとの境界にあるラファ検問所からの脱出を目指して移動することになる。空襲を避けて海岸沿いの道を進む車を運転してくれたのは現地スタッフの1人。道すがら、同僚とよく食事に行っていたレストランは攻撃で破壊されていた。

 「患者がいるから残る」と決意し、戦闘が激化する北部で活動を続けるスタッフも多い。白根さんたちは国連の施設を転々としながら検問所の開放を待った。日を追うごとに避難民の数は増え、駐車場での野宿を余儀なくされる。ツナや豆の缶詰、パンで飢えをしのぎ、廃材でテントを作って他のスタッフと身を寄せ合ったが、時には雨にも見舞われ「本当に絶望した」。パレスチナ人に治療を求められても着の身着のまま逃げてきたため医薬品はない。「(同僚の)医療スタッフは本当に苦しそうだった」

 待ち続けた末の11月1日に検問所が開かれたとき、アラビア語で怒号が飛び交う中で群衆をかき分けて道をつくってくれたのも現地スタッフだった。「家族を置いて、命を懸けて付き添ってくれたスタッフもいた。別れる時は胸が張り裂ける思いだった」


パレスチナ自治区ガザ南部に避難中、同僚と話す白根麻衣子さん(手前右)=10月(国境なき医師団提供)

 ▽3日ぶりの返事
 11月5日に日本に帰国したが、「後ろ髪を引かれる思い」で残してきた同僚への思いは尽きず、交流サイト(SNS)で安否を気遣うメッセージを送る日々が続く。だが日増しに通信状況は悪化し、数日たたないと「既読」の印がつかないことも当たり前になっていった。


現地に残るスタッフとのやりとりが記録された国境なき医師団の白根麻衣子さんのスマートフォン

 移動の際にいつも世話になっていたパレスチナ人の男性警備担当者もやりとりを続ける一人だ。彼の安全などを考慮し、名前は公表できない。

 「今日もシファ病院で働いているの?」

 「オフィスの近くで爆撃があったので今日は家に避難しています」

 生死を争う厳しい文面とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべた自撮り写真まで送ってきた。「やさしくて、人なつっこい性格なんです」

 異変を感じたのは11月中旬のことだった。12日夜、「大丈夫?いつもガザのために祈っている」と呼びかけてもいっこうに反応がない。返事が来たのはイスラエル軍が地区最大の医療拠点シファ病院に突入した15日の夜になってから。

 たった一言「NO」と表示されていた。


現地に残るスタッフとのやりとりが記録された国境なき医師団の白根麻衣子さんのスマートフォン。安否を確認するメッセージに「NO」とだけ返信があった

 「長年紛争と隣り合わせで生きてきたパレスチナ人は我慢強いんです。どんな時にも『大丈夫』って言っていた彼らが『だめだ』なんて、どれだけ悲惨な状況なのか」。胸が締め付けられる思いで、遠く9千キロ離れた日本で何もできずにいる自分をふと顧みた。思いあまって3分後、「ごめんなさい、ごめんなさい。私には何もできず、ただ祈ることしかできない」。そう打ち返すことしかできなかった。

 戦闘開始前、会議などで週に一度は訪れていたシファ病院には重病患者も多く入院していた。「南部への避難は難しく、今も残っているだろう」と心配ばかりが募り、白根さん自身も「やるべきことを終えられなかった」という後悔にさいなまれる。このまま戦闘が続けば、平時なら助けられる人も助からなくなってしまう。今はとにかく「イスラエルとハマスの双方に停戦してほしい」。時期が来ればガザに戻り、苦難を共にした同僚たちとまた一緒に働きたいと願っている。


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