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大阪万博、500日前にこの状態で本当に開催できるのか(後編) 「万博は儲かるという意識を捨てる」「熱狂は期待すべきではない」…関係者に聞かせたい、専門家2人の貴重な提言

47NEWS / 2023年12月4日 10時0分

1970年大阪万博の会場の様子。「大屋根」を「太陽の塔」が突き破るデザイン=大阪府提供

 開幕まで500日を切った2025年大阪万博は「経済効果2兆円」や「大阪・関西の成長戦略の柱」といった、経済的側面ばかりが盛んに強調されている。一方で、テーマに掲げる「いのち輝く未来社会のデザイン」で何を実現しようとしているのか、市民に浸透しているとは言い難い。
 大阪の関係者が万博にここまでこだわるのは、初めて開催した1970年万博の熱狂が忘れられず「夢よもう一度」と、再現に焦がれる人が多いからではないか。
 私は当時、生まれていなかったが、70年万博は確かにすごかった、らしい。世界77カ国が参加し、来場者数は当時過去最多の約6421万人。会場には芸術家・岡本太郎氏デザインの「太陽の塔」がそびえ立ち、アメリカ館には宇宙船アポロが月探査から持ち帰った「月の石」が展示され、長蛇の列ができた。戦後日本が成し遂げた経済成長の集大成とも言える。


 ところが半世紀余りたった現在は、当時と様相が全く異なる。インターネットや交流サイト(SNS)の出現で、情報収集の手段や世界との関わり方は多様化し、世界のあらゆるモノを一堂に集めなくても、スマホ一つで簡単に検索できるし見られる。
 莫大な費用と手間をかけて万博を2025年に開催する意義はどこにあるのか。専門家はどう考えるのか。万博の歴史に詳しい京都大の佐野真由子教授と、大阪万博の会場運営プロデューサーを務める石川勝氏に改めて尋ねると、答えが二つ返ってきた。
 一つは「万博は儲かるという意識を捨てる」こと。もう一つは「時代に合わせてアップデートする。『熱狂』ではない」こと。どういう意味か。(共同通信=伊藤怜奈)

 【音声解説】大阪万博、本当に開催できる?関係者や専門家が嘆く、迷走の背景


当時最多の77カ国が参加した1970年大阪万博=1970年9月、大阪府吹田市

 ▽「世界を一望してみたい」という欲望
 京都大の佐野真由子教授は、高度に情報化が進んだ今の時代こそ「世界を眺め直す」という意義が万博にはあると話す。その上で、経済的利点ばかりをアピールする大阪万博のありように苦言を呈する。
 ―万博とは、そもそもどんなきっかけで生まれたのでしょうか。
 万博の歴史が始まったのは19世紀半ばです。交通や通信の発達により、人々は世界全体に対する想像力を働かせられるようになりました。黒船を率いた米国海軍ペリー提督が日本の浦賀を訪れ、開国を要求したのが1853年。それまで地球の裏側は訪れるのが難しい場所だったため、交通手段の発達は世界情勢を大きく変えました。一方、一般市民にとって異国はまだまだ遠い存在。そのあわいに生まれたのが万博です。いわば「世界を把握する方法」でした。
 「世界を一望してみたい」という純粋な欲望に突き動かされ、万博の歴史は幕を開けます。第1回万博が開かれたのは1851年のロンドンです。イギリスのような階級社会では、教育機会の乏しい庶民層への効率的な学びの場として展覧会形式を用いる試みが始まっていました。加えて、世界への意識が進む中で「他の国も誘ってみよう」という発想が生まれ、スタートしたのです。
 ―その後、いろいろな国が万博の開催に挑んでいきますね。
 第1回万博が成功に終わると、アメリカやフランスなども手を挙げるようになりました。日本でも1912年、日ロ戦争の祝勝記念として初の開催計画が持ち上がりましたが、財政難を理由に白紙となった経緯があります。当初、人々を啓蒙する目的で始まった万博でしたが、開催希望国の増加や商業化などから「万博と似て非なるもの」が散見されるようになりました。そこで1928年、万博の意義や目的を定めた国際博覧会条約が成立します。その後の条約改正で、いわゆる万博を指す「国際博覧会」はこのように定義されています。「公衆の教育を主たる目的とする催し」で「文明の必要とするものに応じるために人類が利用できる手段、または人類の活動の1ないし2以上の部門で達成された進歩、もしくはそれらの部門における将来の展望を示すもの」。さらに2025年大阪万博のような大規模万博は5年に一度の開催となりました。


万博の歴史と変遷

 ―参加国の数はどのくらいだったのでしょうか。
 1960年代に植民地時代が終わりを迎え、欧州各国の「所有物」として参加してきた植民地の国々が単独で出展するようになり、数も増えていきました。1967年カナダ・モントリオール万博では62の国・地域が参加し、過去最多でした。当時は、2025年大阪万博で建設遅れが指摘されている、各国が自前で建てるパビリオン、今日で言う「タイプA」が主流でしたが、独立したての国が経済的な理由で参加を断念しないよう、開催国側が建てた施設を複数で共有する「タイプC」も誕生しました。つまり「国々と植民地からなる世界」ではなく「国々からなる世界」という姿勢を示したのです。1970年大阪万博はその流れを引き継ぐもので、西洋ではない国が開催したという点でも、万博史における意義はとても大きいのです。
 ―その後はどのような変遷をたどったのですか。
 1994年に開かれた博覧会国際事務局(BIE)総会で発表された決議が転換点となりました。「万博は現代社会のニーズに応えられる今日的なテーマが必要だ」というものです。それまで国同士の競争の場だった万博は、世界共通の課題を解決するために協力するという「課題解決型」へと移り変わります。決議には、現在は当たり前となりつつある「平和と国際協力の精神」という文言も盛り込まれ、植民地時代を経て、文化多様性や国際協力を重視した万博の時代が訪れました。現在は参加国が100を超えることが主流となっています。


インタビューに答える京都大の佐野真由子教授=11月9日、京都市

 ▽染みついた意識の転換を
 ―インターネットやSNSの出現で、万博の意義は薄れたのではないですか。
 万博のように半年の間、世界を一度に遊覧できる体験というのは他にはありません。万博とは、知りたいことをピンポイントで探すという今日の情報収集の在り方に逆行するものです。欧米を歴訪した「岩倉使節団」は1873年、長い視察の最後にオーストリア・ウィーン万博を訪れました。そのときの感想が残っています。「あたかも世界を縮めたようだ」「欧米視察の最高の復習になった」
 もちろん、時代は19世紀半ばから大きく変わりましたが、ネットやSNSで世界の全てを知った気になるのは、おごりではないでしょうか。「インターネットがあれば何でもできる」と思いがちな今こそ、万博を通してもう一度、世界を眺め直す意味があると思います。
 ―2025年大阪万博には何を求めますか。
 まずは万博が「儲かるイベント」であるという意識を捨てることです。誘致計画の段階から説明に偏りがあったことで、賛成するにも反対するにも経済効果が鍵になってしまいました。お金が目的ならば他のイベントでもいいのです。「経済的に持ち出しになっても開催したい」「世界に足跡を残したい」。そんな青臭い志をもっと示すべきです。現在の機運醸成の仕方を見ていると、そうしたコアな部分を国民に伝えきれていないと感じます。そもそもの万博の意義や各国の真剣な思いを愚直に伝え続ければ、「行ってみたい」と思う人は増えるはずです。
 さらに重要なのが「参加国マインド」から「開催国マインド」への転換です。日本は万博史の初期から懸命に参加し、自国を成長させようとアピールを続けてきました。こうした世界との距離感は今も染みついたままで、万博自体を作り込むことにお金とエネルギーをかけすぎていると感じます。開催国側は自国をアピールするのではなく、半年間の会期中、「世界のホスト」として参加国を迎え入れる度量の大きさが必要です。大阪万博を経てそうした意識から転換できれば、それはこれからの日本の歴史に大きな影響を与え、お金には代え難い価値を得られるのではないでしょうか。


インタビューに答える、会場運営プロデューサーの石川勝氏=11月15日、東京都

 ▽「みんなが行く」ではなくなった時代に
 万博が課題解決型へと移り変わった中で開かれる、2025年大阪万博。来場者はどのような体験を期待できるのか。2005年愛知万博(愛・地球博)でチーフプロデューサー補佐を務めた石川勝氏は、2025年大阪万博の会場運営プロデューサーとして会場全体の運営を担う。鍵を握るのは「アップデートだ」と語る。
 ―大阪で再び万博を開催する意義は何ですか。
 過去に複数開催の経験がある都市はロンドン、ニューヨーク、パリ、バルセロナ、シカゴ、ブリュッセル、そして大阪の七つのみです。そのほとんどが万博黎明(れいめい)期の戦前で、1960年代以降に複数開催したのは大阪だけです。今回の2025年大阪万博には、万博の意義や目的が時代に合わせて変わる中で、過去の蓄積を継承しつつも今の時代にマッチする形にアップデートするという、万博史においても重要な役割が課されていると思います。
 ―どのような部分をアップデートするのでしょうか。
 初めて大阪万博が開かれた1970年と現在の大きな違いは「大衆の時代」から「多様性の時代」になった、ということです。当時、過去最多の来場者数を記録したあの熱狂は「みんなが行くなら自分も行きたい」という行動心理によって作り上げられました。ところが現代は「自分の興味がある場所にだけ行く」「趣味が合う人とだけ一緒に過ごす」という人が多くなっています。
 2025年万博ではこうした行動心理の変化に合わせて多種多様なコンテンツをそろえると同時に、一つ一つの展示の質も充実させる必要があると考えています。そのためには海外パビリオンは大きな柱で、開催国としてより多くの世界の考え、声を集めることでコンテンツの多様化を図っていきます。


「月の石」をひと目見ようとアメリカ館に押しかけた来場者たち=1970年3月、大阪府吹田市

 ▽「待たされない万博」に
 ―世界はデジタル化が進みました。運営面のデジタル化はどう進めますか。
 デジタル技術を用いて会場運営を高度化する取り組みのことを「万博DX」と呼んでいます。これまで万博を訪れたことのある人の中には「混む」「待たされる」といったマイナスイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。今回の万博では電子入場券や入場予約を導入することで、混雑解消と来場者の平準化を実現します。他にも来場者の興味に合わせてお勧めのコースを提示する機能や、言語の壁を解消するための同時翻訳システムも取り入れる予定です。


2025年大阪万博の会場イメージ=日本国際博覧会協会提供

 ▽望むべき未来社会の姿とは
 ―大阪万博のコンセプトは「未来社会の実験場」です。
 コンセプトを具体化するものとしては「未来社会ショーケース」という企業参加プログラムがあります。これまで企業参加はパビリオンやテーマ館への協賛が主流でしたが、自社の先進技術を会場内で披露してもらうといった新たな参加の枠組みです。
 例えば2005年愛知万博の会場には自立移動する掃除ロボットが活躍しました。「会場をきれいにする」という目的だけを考えると、人を雇って短時間で清掃するのが最も効率的かもしれません。そこをあえてロボットが担うことで「掃除」というアウトプットではなく「誰がどう掃除するか」というプロセス自体を展示に変えたのです。
 2025年大阪万博では、次世代交通を担う「空飛ぶクルマ」や水素船、電気自動車(EV)バスなど、より社会のニーズにマッチした技術体験を用意します。万博とは社会実装を促進させるプラットフォームのような存在です。未来社会を実現する手段となる先進技術や社会システムの実証、実装の場として企業に活用していただければと考えています。もちろん来場者にとっても、万博会場に来るだけで「未来社会」を体験できるわくわくした時間になるはずです。
 ―テーマとして「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げる今回の万博には何を期待すればいいのでしょうか。
 多様化する社会に合わせて、色々なコンテンツ、方法で未来社会を提案していきます。同じ会場に行ってもそれぞれ得られる価値体験は異なり、来場した人の数だけ描く未来社会の数もあるでしょう。それぞれが万博で描いた未来社会を周囲と共有し、実現するためにどうしたらいいかを考えるきっかけを生むことができる万博を目指します。その輪が大きくなっていくことで、真に望むべき未来社会が実現するのではないでしょうか。


2005年愛知万博(愛・地球博)の会場で働く掃除ロボット=石川勝氏提供

※【前編】→「理念もマネジメント能力もない実動部隊」問題続きの背景に三つの構造的要因

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