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今年で創建400年!と思いきや、まさかのフライングだった 江戸最大・富岡八幡宮の歴史を定義した神職の使命感

47NEWS / 2024年1月7日 10時0分

富岡八幡宮

 江戸勧進相撲発祥の地として知られ、江戸最大の八幡宮とされた東京・門前仲町の富岡八幡宮。去年の夏のある日、たまたまその前を通ると、1624(寛永元)年に造られたと記載された案内板が目に留まった。そうなると今年は400年の節目なのでは―。こう考えて自治体や八幡宮を取材すると、どうもそうではないらしい。公式見解は1627(同4)年が創建なのだという。この「3年」の違いはなぜ起きたのだろうか?街の中で見つけた小さな謎を追った。(共同通信=帯向琢磨)


境内の目の前にある永代通り沿いに設置された案内板

 ▽区の担当者も「初めて知った」
 境内の目の前にある永代通り沿いに設置された古い案内板には、八幡宮の由来としてこう書かれている。


 「寛永元年、当時永代島と呼ばれた小島に、京都の公卿が八幡神像を奉安したのが、始まりといわれています」
 設置したのは東京都江東区。早速、区の文化財係に取材すると、担当者は寛永4年が創建の年だと説明した。案内板の記載と矛盾していることは「初めて知った」と言うから驚きだ。これまでに外部からの指摘や、八幡宮からの修正の依頼もなかったという。近くの商店街の人に聞いてみても「400年祭は2024年じゃなくて、もう少し先だろう」とのことだった。


 ▽単なる取り違えなのかも…
 区が根拠としているのは、江戸後期の1828年に八幡宮が自らの沿革を幕府に報告した「寺社書上」だそうだ。そこには創始者の長盛が寛永元年に夢でお告げを受け、同4年に幕府の許可を得て八幡宮を興した(厳密には「再興した」)と書かれている。
 区によると、案内板の設置は1989年で、記述内容の根拠や経緯は記録が残っておらず不明だという。当時は歴史考証が進んでいなかったこともあり、担当者は「どこを八幡宮の始まりと定めるかは視点の違いだろう」と分析した。
 確かに寺社書上には、「寛永元年」も「寛永4年」もいずれも記載がある。とすると、案内板の記述は単純な取り違えなのかもしれない。そう思いつつ、八幡宮に取材を申し込んだ。


富岡八幡宮の松木伸也さん

 ▽歴史的書物に「寛永元年説」
 「実は寛永元年説もあるんです」。こう話してくれたのは、八幡宮の神職松木伸也さん(48)。1662年の刊行で、後世に大きな影響を与えたとされる「江戸名所記」に寛永元年と記載されていることが最大の理由だという。
 松木さんは、他にも寛永元年と出て来る歴史的な書物が複数あると教えてくれた。さらに言えば、江東区史の中の記述でも、1997年発行のものだと寛永4年となっているが、古い1957年版だと寛永元年と記載されている。
 両説がある中で、それでも八幡宮が寛永4年を創建と定義づけたのは、他の史料と読み比べた結果、自ら幕府に報告した記録である寺社書上を尊重すべきであり、最も信頼できるとの結論に至ったからだ。


松木さんがまとめた「富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り」

 ▽史料集めがライフワークに
 ただ、こうした歴史を正確に定義できるようになったのは実は最近になってからのことだという。八幡宮には、他の著名な神社にあるような「社史」はなく、元々はあったとされる重要史料も関東大震災や東京大空襲で散逸し、歴史が途絶えてしまっていた。
 大学を歴史学科で学んだ松木さんが2000年に八幡宮に神職として勤め始めたとき「ここの歴史がほとんど分からない」と衝撃を受けた。以降は国会図書館や公文書館に通い詰めるのがライフワークになった。
 関連史料を見つけてはコピーをして、たった1行記載があるだけの書籍を購入したことも。10年以上かけて少しずつ集めた史料は段ボール数箱分になった。ようやく歴史の輪郭を捉え、2012年に「富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り」との書物をまとめた。
 その後さらに検証を進め、400年の節目を迎えるのを前にリニューアル。まとめ上げた書物は4冊になった。「過去に八幡宮に携わった人の道のりを掘り起こし、多くの人に知ってもらうのも400年を迎えるに当たっての重要な仕事」だと力を込め、今後も収集を進め、歴史と向き合っていくつもりだ。


境内に掲げられている横断幕=2023年12月撮影

 ▽300年は関東大震災の復興が優先
 ちなみに創建300年の1927年は、大々的なイベントがあったとの記録は残っていない。関東大震災で被災した直後のため、社殿の復興を優先させており、それどころではなかったのではないかとのことだ。
 歴史をしっかり定義し、ようやく舞台が整ったのは、松木さんの「神職として地域の歴史を伝えていく役割がある」との使命感があってこそだ。
 折しも2023年12月上旬、八幡宮側と町会長が一堂に会し、2027年に向けて400年記念事業を進めていくことが確認されたという。松木さんは「具体的な中身はこれからになるが、第一歩を踏み出せた」と満足げに話した。

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