待ち望んだ新薬、しかし日本では未承認…「待っていられない」と独自に輸入する道を選んだ男性の奮闘と願い
47NEWS / 2024年1月18日 10時0分
2023年4月、ある難病の新薬が米国で承認された。筋肉を動かす神経が変性し、体がだんだん動かなくなっていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)の薬「トフェルセン」。症状の進行に恐怖と不安を募らせる患者らが待ち望んでいた薬が実用化した。朗報のはずだったが、日本の患者は恩恵にあずかれていない。日本ではまだ承認されていないためだ。
「待っていたら病気がどんどん進行してしまう」。大学病院と協力し、米国から独自に輸入して投与することを決めた男性がいる。投与の継続にかかる高額な費用を賄う寄付を募る日々。「募金に頼り続けるには限界がある。現状では患者が救われない」。日本での早期承認を強く願う男性の活動と、希少疾患の薬をめぐる課題を取材した。(共同通信=岩村賢人、川澄裕生)
▽始まりは足の違和感
都内の飲食店で店長を務めていた青木渉さん(35)=千葉県市川市在住=が異変に気付いたのは21年10月。足の違和感からだった。うまく走れない。階段の上り下りがしんどい。「運動不足かな」。最初はそう思った。
しかし、年が明けた22年1月には「やはり何かおかしい」と思うようになっていた。理由があった。青木さんの父親はかつてALSを発症し、2年間の闘病を経て他界していた。
もしかしたら自分も…。整形外科に行ったが、異常は見つからない。だが症状はある。脳神経内科に行き、さらに東京医科歯科大病院を紹介してもらった。
「自分がALSかもしれないと思ったときのショックは計り知れなかった。あの頃が一番恐怖と不安が強かった」。そう青木さんは振り返る。仕事もプライベートも、思い描いていた将来像が全て真っ白になった感覚だった。
22年5月の終わりに入院。さまざまな検査をしてALSだとの診断が確定した。青木さんは「自分自身、ALSだろうと心の中では確信していた。やっぱりそうなんだという感じで受け止めた」と語る。
父親がALSだったこともあり、その後、自ら進んで遺伝子検査を依頼した。その間も症状が進行。足だけでなく手にも違和感を覚えるようになった。検査の結果、「SOD1」という遺伝子に原因がある「家族性ALS」だと分かった。
飲み物を飲む青木渉さん(家族提供、2023年11月14日自宅で撮影)
▽進行が早い「SOD1型」
厚生労働省が運営する難病情報センターによると、ALSは、運動をつかさどり筋肉を動かす神経が主に障害を受ける。脳から「手足を動かせ」といった命令が伝わらなくなって力が弱くなり、筋肉がやせていく。国内の患者数は推定約1万人。SOD1遺伝子に変異を持つタイプは、全体の約2%と言われている。東京医科歯科大の横田隆徳教授によると、原因となる変異は100種類以上あり、それぞれで症状が進行する早さや重さが異なる。青木さんは比較的進行が早いタイプと考えられている。
診断が確定した時点で、青木さんには一つの希望があった。それが米国のバイオ医薬品企業アイオニス・ファーマシューティカルズと製薬企業バイオジェンが開発していた新薬「トフェルセン」だった。SOD1遺伝子に働きかける「核酸医薬」という薬で、臨床試験では、28週間後の時点で神経の損傷を示す血中物質が減少。筋力や呼吸機能の低下を抑えると期待されている。
米食品医薬品局(FDA)は23年4月、トフェルセンを承認した。ただ24年1月現在、日本では開発元のバイオジェンが承認を申請しておらず、国内で実用化される見通しは立っていない。
日本では未承認のALSの新薬「トフェルセン」(バイオジェン提供)
▽進む症状、そして独自投与へ
新薬はあるのに自分は投与できない。待つ間にも症状は進行した。お腹や太もも、腕の筋肉がビクビクけいれんする。23年6月の時点で、つま先に力が入らなくなり、両手で杖を突きながらでないと歩けなくなっていた。自宅から100メートル先のコンビニに行くだけでも息が切れて汗が噴き出した。マンションの3階に住んでいたが、階段の上り下りも難しくなり、引っ越しを余儀なくされた。
「このまま進行して、どうなるのかという恐怖感は毎日ある」。当時YouTubeに公開した動画で青木さんはそんな思いを吐露していた。長い時間話すのもつらくなってきた。勤めていた飲食店は休職している。
症状の進み具合を考えると、1年、2年と待つ余裕はない。できる限り早く投与するため、青木さんを診療する東京医科歯科大の横田教授らが動いた。
国内で承認されていない薬でも一定の条件が整えば、投与する方法がある。「未承認新規医薬品等を用いた医療」という国の仕組みで、16年に導入された。この仕組みを使うべく、横田教授らが23年5月に病院内の評価委員会に申請書を出し、後に認められた。投与する道が開けた。
計画を進めていた当時、横田教授は「薬があるのだから、目の前の患者に早く投与してあげたい。1人でも認められれば、他の患者でも認めてもらうための道筋になる」と話していた。
電動車いすで外出する青木渉さん(家族提供、2023年9月30日、千葉県市川市内で撮影)
▽費用は高額、寄付集め投与実現
問題は高額な費用だ。薬は専門の業者に依頼すれば輸入できるが、日本で承認されていないため公的保険が使えない。つまり全て自費になる。トフェルセンはまず14日間隔で3回投与し、以降は28日間隔で投与し続ける必要がある。輸入にかかる費用など含めると年間で3千万円かかる計算だ。
自己資金だけではとても賄えない金額。青木さんや家族は寄付を募ることにした。事情を知った友人らも加わり「青木渉サポーターの会」を設立。ホームページも作り、青木さんは自身の状況や新薬が日本ですぐに使えない現状の問題点を動画で訴えつつ、募金への協力を呼びかけた。
サポーターの会は、家族や友人ら4人が中心となって活動している。谷口優貴さん(26)もその一人。青木さんが店長をしていた飲食店で大学時代にアルバイトをしていた。「青木さんはお兄さんみたいな存在。ALSだと聞いた時は信じられなかった。一緒に働いた日々のことを思い出して気持ちを整理して、恩返しをしたいと考えた」と語る。
そして23年9月。青木さんがホームページで公開した動画で「トフェルセンの投与が決まりました」と報告した。寄付が集まり、3回分を輸入できた。かかった費用は、輸入の経費も含めて約750万円だった。
1回目の投与は9月19日。麻酔をかけ、脊髄に薬を注入する。その後、10月半ばまでに3回の投与を終えた。1回目の投与後に一時期尿が出なくなったが、以後、特に大きな副作用は出ていないという。
ALS新薬「トフェルセン」の早期承認をYoutubeに公開した動画で訴える青木渉さん(青木さんのYouTubeチャンネルより)
▽「一刻も早く公的保険のもとで投与を」
「トフェルセンを投与するまでの3~4カ月でかなり病気の進行が早まった」と青木さんは明かす。家の中では壁を伝いながら何とか歩けるが、外出時は電動車いすを使用するようになった。足があまり動かないのに加え、手も親指に力が入りにくいため着替えなどに苦労する。長時間の会話は消耗するため、取材を受ける時間も30分間に抑えている。
トフェルセンを3回投与して以降の体の具合を尋ねると「穏やかな感じ。進行が早まった頃と比べると、体の変化をほとんど感じない」。「募金を通じて、人の優しさに触れている。病気になっても大切にしてくれる友人や家族の存在を感じることができた」。そう感謝を口にする。
ホームページでの募金呼びかけとは別に、クラウドファンティングも始めている。これまで約1300万円の寄付が集まった。。24年に入ってから5回目の投与もできた。しかし6回目以降は? 青木さんは「正直、募金活動をして投与を続けるのには限界がある」と話し、一刻も早く国内で公的保険のもとで投与できるようにしてほしいと訴える。
海外で承認された薬が日本で中々使えないのは、トフェルセンに限った問題ではない。
ALS新薬の早期承認を訴える青木渉さん=2023年11月22日午前、千葉県内の自宅で撮影
▽拡大するドラッグロス
名古屋市立大などの研究チームが23年9月、国際専門誌「ドラッグ・ディスカバリー・トゥデー」に発表した論文によると、米国で実用化した希少疾患の新薬が、日本では臨床試験などの承認申請に向けた開発すらされていない「ドラッグロス」と呼ばれるケースが急増している。
チームは、05~21年に米国で承認された希少疾患薬249製品を分析。その結果、うち120製品が日本未承認で、開発すらされていなかったのが86製品に上った。
米国で承認された希少疾患新薬で日本未承認のものの割合は増え続けており、18~21年では68%に達していた。この間、米国で承認された新薬の半分以上はベンチャー発。外資系ベンチャーのうち、自力で日本での開発をしたのは27%だった。
希少疾患は患者数が少なく、治療薬の開発にはコストがかかる一方で、収益性は低いと考えられている。現在、創薬に積極的なのは、ベンチャーや研究機関だ。ただ、米国のベンチャー発の製品の多くは、開発が最終段階に入ってから日本企業や日本に拠点のある外資系企業と連携し始める傾向にあり、日本での承認が遅れる要因となっている。
かつては企業が承認を申請した後の国の審査が遅いことが問題視されていたが、名古屋市立大の児玉耕太教授は「厚生労働省や医薬品医療機器総合機構(PMDA)の努力もあって、審査においてできることはもうほとんどやっている。実際、00年以降は承認までの期間が短くなった」と指摘する。
その上で、「現在の問題点は産業政策。開発の早い段階から外資系のベンチャーに日本企業がしっかり投資、連携できるよう後押しをする必要がある。国内のベンチャーを育成する取り組みも重要だ」と訴える。
▽海外ベンチャーとの早期連携に課題
トフェルセンの日本での承認申請について、バイオジェン・ジャパンの広報担当者は「現在国内申請に向けて当局と協議を継続している最中で、具体的な見通しについてまだお答えできない」と話している。
青木さんらは寄付を募る活動と並行して、患者団体の「日本ALS協会」と協力し、国内での早期承認を求め、署名活動にも取り組んだ。23年11月、集まった約3100人分の署名と要望書を厚労省に提出している。
ALS新薬の早期承認を厚生労働省に要望して記者会見する青木渉さん(中央)と日本ALS協会の恩田聖敬会長(右)ら=2023年11月24日午後、厚労省で撮影
署名と要望書提出後、厚労省で記者会見した青木さんは「私たちALSの患者には時間がない。トフェルセンが迅速に承認されれば、他の薬のドラッグラグ解消にもつながる」と訴えた。その後、署名が急増し、1万人分を超えている。今後はバイオジェンへの働きかけも検討している。
青木さんは「ALS患者は1日、1カ月、1年違うだけで体の状態が変わるし、生活の質もどんどん下がっていく。本当に私達には時間がない。今の日本のスピードでやってると、患者は誰も救われない」と訴える。「国には患者の現状にもっと目を向けていただきたいという気持ちがすごくあります」
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