「お金を渡すと、彼の機嫌は良くなった」26歳の女は、82歳の男性をなぜ刺したのか 知的障害、ADHD、DV…搾取され続けた日々、裁判員は「やるせない」と表現した
47NEWS / 2024年3月3日 10時30分
2022年1月21日、東京・池袋の路上。女の被告(26)は、面識のない82歳の男性に声を掛けた。持ちかけたのは援助交際。2人はそのまま近くのラブホテルの一室に入った。
男性が部屋のシャワーを浴びている隙に、被告は男性の財布からこっそりと3万円を抜き取ったが、気付かれた。とがめられて口論に。被告は持っていたカッターで男性の胸と太ももを突き刺すと、男性は出血性ショックで死亡した。
援助交際は、この時が初めてではない。財布から現金を盗むこともたびたびあった。半年ほど前から、同じようなことを毎日のように繰り返していたという。その背後には、好意を寄せていた男Aの存在があった。客を手配され、稼ぎをむしり取られる毎日。そこから抜け出すことができなかったのはなぜか。半生を振り返ると、その困難さが浮き彫りになった。(共同通信=帯向琢磨、木下リラ)
男性の遺体が見つかったホテル=2022年1月、東京・池袋
▽自傷、入院、出産…
2月20日に東京地裁で言い渡された判決や、それまでの公判などで明かされた内容を総合すると、広島県で生まれた被告には注意欠陥多動性障害(ADHD)や軽度の知的障害があった。
小学5年生の時に特別支援学級に入り、特別支援学校の中等部、高等部を卒業。16歳の時、妹とのささいなけんかをきっかけにスーパーの屋上から飛び降り、脚に後遺症が残った。18歳時点での精神年齢は10歳。卒業後は薬の過剰服薬(オーバードーズ)や自傷行為、幻覚や妄想での入院も複数回経験していた。
22歳の時、女児を出産。父親が誰かは公判で明かされていない。しかし、出産後まもない2020年5月ごろに家出をし、東京に出る前は広島県内の公営住宅で1人暮らしをしていた。
弁護人「長女はどうしていたのか」
被告「母に預けていた。特別養子縁組をしていた」
長女を置き去りにしたことへの反省や後悔の言葉はなかった。
2021年5月ごろ、オンラインゲームを通じてAと知り合う。2人は翌6月に名古屋市で落ち合い、東京都内のネットカフェでの共同生活が始まった。
Aが好きだったというが、東京へついていった理由や、どこが好きだったかを公判で問われると、「わかりません」と語った。
警視庁=2015年撮影
▽「生活費のためだと…」
2人は東京でどのような共同生活を送っていたのか。
当初の収入は被告が受け取っていた障害年金のみで、2カ月で14~15万円ほど。それだけでは生活費が足りず、売春を始めた。最初からAの指示だったのかどうかは「覚えていない」。弁護人から「嫌という気持ちはなかったか」と問われると「なかった。生活費のためと思っていた」と淡々と答えた。
Aと一緒にいるために、と自らに課したノルマは1日2万円。分け前はもらえなかった。そのうち、客から盗んだ金も合わせて渡すようになった。
「当時はそれで良かった。理由はわかんないです」
金を渡すとAの機嫌が良いとは感じていた。盗みがばれるなど、客とトラブルになった際は、Aが対処した。被告は人とのコミュニケーションが得意でないためだ。
東京地裁、東京高裁などが入る裁判所合同庁舎=2022年12月、東京・霞が関
▽「恋愛感情を利用された」
公判で被告は、まず「私のせいで死なせたおじいさんのことで、とても後悔しています」と述べた。しかし、自分の行動の理由や感情の説明を求められると「わからない」と繰り返した。
浮き彫りになったのは、Aに依存し搾取されていた状況だ。
弁護人は公判の最後に「好意のある男性のために自分の体を売るという矛盾」と表現し、社会への適応が難しい障害の影響があると訴えている。この点は判決でも「恋愛感情を利用されて売春を繰り返す中で本件犯行に至った」と指摘されている。
ただ、被告がAに従った理由は、恋心からだけではなかった。
公判で被告はDVを受けていたことを明かしている。
「ほぼ毎日、おなかを殴られたり蹴られたり、髪を引っ張られたりした」
そのときの気持ちをこう吐露している。「怖かった。でも好きという気持ちもあった」
実は被告は事件までに、DV被害で警察に2回保護されている。しかし、その都度Aの元に戻った。1度目は自ら「一緒にいたい」と望み、2度目は祖母宅に引き取られたが、その後Aに呼び戻された。
池袋の事件が起きたのは、Aに呼び戻されてすぐのことだ。
「ノルマだけは頑張れよ」と言い含められ、池袋で初めて客を探した。トラブルに対応するはずのAは、その日に限って近くにいなかった。
「刺しちゃった」
被告はホテルを出るとすぐ、Aに電話で報告した。事件が明るみになり、被告だけでなく、一緒にいたAも逮捕(犯人隠避容疑)されたが、結局不起訴になっている。
東京地裁、東京高裁などが入る裁判所合同庁舎=2023年10月、東京・霞が関
▽支援体制の再構築
障害のある被告がどうすれば悲劇を避けることができたのかは分からない。ただ、公判の終盤では、どうすれば再発を防げるかという観点で審理が行われた。
証人として出廷した社会福祉士の橋本久美子さん(54)は、被告や母親との面会を通じて作成した「更生支援計画」の概要を説明している。更生支援計画は、再犯リスクを下げるために本人にとって何が必要かを考える文書で、刑務所にも引き継がれるものだ。
橋本さんの説明では、特別支援学校に通学し、病院などで福祉的支援を受けるなど、被告が実家を出るまではある程度の支援体制が確立されていた。しかし、1人暮らしを始めたことで崩壊している。
計画はこの点を踏まえ、以前の支援体制を再構築し、対人関係を円滑にするためのSST(ソーシャルスキルトレーニング)と呼ばれるプログラムを進めるべきだと示した。
「検察としても再犯防止は重要なテーマだと考えています」。こう切り出した検察官は、計画の実効性について質問を重ねた。公的な福祉サービスにつなげ、頼れる人を増やしていくことが必要だと、橋本さんは強調した。
裁判官からは、実家に戻り、長女と共に暮らすことのリスクや懸念について質問が集中した。橋本さんは被告の母親へのケアを指摘。その上で「私もすごく心配した。長女に自分のことを何ていうのか(被告に)聞いたら、『お姉ちゃんと言う』と言っていた」と明かし、将来は3人で暮らす光景を描いてみせた。
▽被告への同情の声
判決は、傷害致死罪などで懲役6年。
判決理由では、被告が置かれた状況を汲んだことが説明されている。
「障害の影響のために社会適用が困難になり、このような不健全で不安定な生活環境に身を置かざるを得なかったとも考えられ、このような背景にはある程度同情の余地がある」
更生支援計画が作成されたことも有利な事情と判断された。
判決後、審理を務めた裁判員が取材に応じ、被告に同情的な声を寄せた。
ある女性の裁判員はこんな感想を語っている。
「普通なら助けを求めるような状況でも、助けを求められなかったことに精神障害が影響していると思うとやるせない思いになった。恋愛感情につけ込まれてしまったこと、痛ましいと思う」
50代の男性裁判員はつらい事件だったと述べた。「被告に対して当初は憎しみや怒りが出てくるかと思ったが、そういう感情が全く出てこなくてつらい事件だった」
最後に、橋本さんに判決について尋ねると、残念そうに話した。
「更生支援計画を評価してくれるなら、もう少し刑期の縮小を考えてほしかった」
6年後では、更生支援計画で示したような環境がなくなっている可能性があり、現在4歳になっている長女との関係性にも支障が出るためだ。「刑務所にいるよりも、支援を受けながら人とのつながりを持ち、社会の中で処遇する方が、地域生活の安定と再犯防止につながるのではないか」
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