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「この街は終わりですか」…震災直後の不安に、阪神大震災経験者がくれたアドバイスは 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(2)

47NEWS / 2024年3月4日 10時0分

雪が降り積もる石川県輪島市の「輪島朝市」周辺=1月26日

 家族や親戚のだんらんを一瞬で奪った能登半島地震。間もなく発生13年となる東日本大震災の経験者たちは何を思うのか。一人一人を訪ねると、大切な人を亡くし、ふるさとから離れることを余儀なくされた体験を、能登の現状と重ねるように語り始めた。(共同通信=東日本大震災取材班)


中学生で原発事故による避難を経験した語り部の小泉良空さん=1月25日

 ▽恋愛や勉強…「気を使いすぎず周りの大人頼って」 原発事故当時は中学生だった語り部の小泉良空さん(27)
 東京電力福島第1原発がある福島県大熊町で生まれ育ちましたが、中学2年の終わりに原発事故が起き、県内外に避難しました。今は大熊町の隣町、双葉町のまちづくり公社「ふたばプロジェクト」で働きながら、東日本大震災と原発事故の経験を伝える語り部活動をしています。


 原発事故のニュースには専門用語が使われ、自分の町の話題なのに何が何だか分からず、混乱しました。通っていた中学校が再開されたのは、100キロ離れた避難先の同県会津若松市です。部長を務めていた吹奏楽部はメンバーが半分ほどになり、挑戦しようとしていたアンサンブルができなくなってしまいました。
 かなわなくなったことばかり考えていては寂しいので、目の前にいる人との時間を大切にしていました。好きなアニメなど普通の話ができる友達の存在が大きく、避難先の吹奏楽団との交流も心の支えになりました。

 能登半島地震の被災地には親元を離れて集団避難した中学生もいると聞きます。なおさら周りの大人を頼ってほしいと思います。被災して感じることは人それぞれです。「こんな考えは良くない」と、言いたいことを抑え込みやすいので、恋愛や勉強の相談でも構わないから気を使いすぎずに言ってみましょう。
 原発事故で大きく変わった古里のために何ができるか分かりませんでした。13年近くがたち、ようやく地域に関わりを持てるようになったと感じます。学校に通っている皆さんには、今後の災害時に誰かを助けたり、今回の経験を伝えたり、できることはたくさんあります。今は焦らないでください。


能登半島地震での活動について話す宮城県気仙沼市職員の芳賀洋介さん=1月24日

 ▽阪神大震災の経験者から教わった言葉胸に 宮城県気仙沼市人事課の芳賀洋介さん(43)
 東日本大震災の発生後約3カ月間、宮城県気仙沼市の学校体育館で避難所の運営に当たりました。支援物資の管理からトイレ掃除まで、避難者の生活全般を支えるのが仕事。交代で体育館に泊まり込み、市役所で通常業務もこなしました。
 各地から来た応援職員には助けられました。物資を運ぼうとすると「こちらでやるので、避難所全体を見てあげて」と気遣ってくれるのです。おかげで避難者との信頼関係の構築に時間を割くことができました。
 1月中旬、石川県能登町の避難所へ派遣されました。13年前に全国から受けた支援の恩返しと思い、物資の仕分けや住宅地の夜間見回りを手伝いました。避難所の町職員は実質1人態勢。「先は長いのでしっかり休んで」と伝えましたが、無理していないか心配です。


能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市の蛸島漁港=1月18日午前

 津波で大きな被害に遭った気仙沼市で復興計画づくりが始まった頃、街にはまだがれきが残り、異臭も立ちこめていました。復興はまるで夢物語のように感じました。
 支援に来た阪神大震災の経験者に「この街はどうなるんでしょうか。終わりですかね」と不安を漏らすと「街は必ず直るから、今は前向きに過ごすことが大切」と諭されました。半信半疑でしたが、今ではその意味が分かります。
 能登半島地震の被災地ではまだ先が見通せず、希望を持つことが難しいとは思いますが、明るい未来は必ず来ます。どうかそれまで辛抱してほしい。私も、被災者が希望を持てるように支援を続けます。


東日本大震災での診療経験を語る、元岩手県宮古市長で医師の熊坂義裕さん=1月29日

 ▽救える命…「避難所を出た後も注意を」 元岩手県宮古市長で医師の熊坂義裕さん(72)
 宮古市で昨年3月まで内科医院を開業していました。東日本大震災では、震災関連死と認定された人が3700人を超えました。能登半島地震でも避難生活が長期化しており、今後、関連死が増えるのではないかと懸念しています。
 被災者には高齢者が多く、当初は緊張しているので何とか乗り切れても、時間がたつと体調が悪くなる人が出てきます。
 まだまだ寒さが続くのも不安材料です。寒さは循環器系の疾患、とくに心臓の病気にはよくありません。避難所では、暖房がなかったり不足したりしているところもあると聞きます。
 避難所を出た後も注意が必要です。東日本大震災でも、仮設住宅に移ってから持病が悪化するなどして亡くなる人が数多く出ました。


避難所となっている石川県能登町の中学校の体育館=1月12日午前

 いずれも救える命です。関連死を防ぐには保健師、栄養士やボランティアらによる避難所や仮設住宅などの見守りを徹底するしかありません。きめ細かな寄り添いが必要です。
 長期戦を覚悟しなければなりません。東日本大震災後に被災者が悩みを無料で相談できるホットラインを開設、今も継続していますが、相談は絶えません。地元自治体だけで対応するのは難しい。国のより積極的な関与はもちろん、近隣自治体や民間の力を借りることが大切です。


インタビューに答える、保健師で岩手保健医療大看護学部の鈴木るり子教授=1月30日

 ▽仮設住宅でも人とつながる場を 保健師で岩手保健医療大教授の鈴木るり子さん(75)
 東日本大震災発生後、全国から支援に駆けつけた保健師とともに岩手県大槌町の全家庭を回り、被災者の健康や生活状況を調べました。
 津波で住民の健康管理台帳のデータが失われたため、被災者の安否や生活実態をゼロから把握する必要がありました。
 能登半島地震で避難所に身を寄せている人たちは、これから仮設住宅や公営住宅に入居することになると思います。移り住んだ人たちが交流し、人とつながる場を整えることが大切です。転居先では顔見知りも少なくなり、騒音などの問題で、近所の人同士で集まり、お茶を飲みながらのおしゃべりも気兼ねしてしまいがちです。
 大槌町では、仮設住宅の近くにプレハブの集会所を設置しました。そこでは自由におしゃべりをしたり、趣味の活動をしたりできる場にしました。雑巾や刺し子を作り販売するなど、生きがい創出にもつながりました。


能登半島地震の発生から1カ月となり、街灯に照らされる倒れたままのビル=2月1日夕、石川県輪島市

 忘れてはいけないのが、支援に当たる行政職員の心のケアです。職員も被災している中、職務に当たり、心が疲弊している人も多いと思います。復興を前に進めるには地元を知り尽くした行政職員の力が必要です。つらいときには思いを吐き出し、休暇を取りながら活動してほしいです。
 復興のためには、まず健康です。保健師が被災者の家庭や避難所を回り、血圧を測りながら話を聞いてあげることで、適切な支援につなげることができます。私は長年保健師として大槌町で勤務しました。地元の方言で話せる人であれば、一層安心できると思います。

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