「価格転嫁で中小企業も賃上げ」政労使のトップが言うようにうまくいく? 最前線に立つキーパーソン4人に話を聞いた
47NEWS / 2024年3月11日 11時0分
2024年春闘が本格化している。急速な物価高を上回る賃上げの実現が叫ばれるが、原資が乏しい中小企業の労働組合の多くは難しい交渉を迫られている。
1月、岸田文雄首相が経団連と連合のトップを交えて官邸で開いた政労使会議では、3者が口をそろえて価格転嫁の重要性を強調した。中小企業の賃上げには、人件費や原材料費を含むコストアップ分の取引価格への上乗せが鍵を握るという。しかし、本当にうまくいくのだろうか。
春闘への対応や雇用を取り巻く課題の解決に最前線に立って取り組むキーパーソン4人に2月中下旬、話を聞いた。(共同通信=高野舞、本村広志、小林まりえ)
【インタビュー(1)政府関係者】価格転嫁の指針を取りまとめた公正取引委員会の亀井明紀氏
政府は2023年11月、人件費の一部である労務費の価格転嫁に向けた指針を公表した。現場目線で書き起こされた異例の指針は話題になり、労働組合幹部からは画期的な取り組みだとの評価の声が上がった。
指針の取りまとめを担当したのが、公正取引委員会の企業取引課長の亀井明紀氏だ。
公正取引委員会企業取引課長の亀井明紀氏=2024年2月20日、東京都千代田区
▽指針に沿った価格転嫁の実現を
亀井氏はこう語る。「デフレ脱却に向け、労務費、原材料費、エネルギー価格の上昇分を製品価格に転嫁し、賃上げできる環境を整備することが大きなテーマだ」
コスト高に直面する中、同じ取引価格のままでは利益が圧迫され、従業員に還元する余力は生まれない。亀井氏は「中小企業は価格転嫁しないと原資が確保できない。指針に沿った価格転嫁が実現できるかどうかが問われている」と話す。
原材料費や光熱費に比べると、労務費は自社の努力の範囲内で解決するように言われ、転嫁に応じてもらいにくい。「30年間価格が据え置かれているとの声もあった」
▽協議をせず取引価格を据え置く行為は法抵触の恐れ
今回の指針が画期的なのは、発注側の大企業に自ら動くよう求めたことだ。受注側が黙っていても、発注側から協議の場を設けるよう促している。亀井氏は「発注側が協議をせずに取引価格を据え置く行為は、独占禁止法が禁じる『優越的地位の乱用』や下請法に抵触する恐れがある」と説明する。
中小企業は労務費の上昇分を上乗せしたいと思っても、どの程度の金額が妥当なのか根拠を持って示しにくい。指針は、春闘の平均妥結額などニュースで流れる数字を合理的な根拠として明示してよいと踏み込んだ。「最低賃金の上昇率といった合理的な指標から希望額を提示できるようにするなど工夫した」
指針の添付資料として、空欄を穴埋めするだけで使える価格交渉用のフォーマットを用意した。行政が一丸となってサポートしており「地方公共団体や中小企業の支援機関にも相談してほしい」と呼びかける。
【インタビュー(2)労働組合関係者】ホテル・旅行業界の春闘をけん引するサービス連合の桜田あすか氏
サービス・ツーリズム産業労働組合連合会(サービス連合)は、連合傘下の組織の中ではホテル・旅館・レジャー施設・旅行代理店などで構成する。小規模な会社が多い。新型コロナウイルス禍で旅行需要は蒸発したが、一転して昨年は訪日客が観光地に殺到し、人手不足に陥った。
桜田あすか氏は、産業界でも特に大きな変化に揺れるサービス連合の会長として、春闘をけん引する役割を担う。
サービス連合会長の桜田あすか氏=2024年2月13日、東京都新宿区
▽産業の発展に大きくかかわる正念場
桜田氏は業界の現状をこう説明する。「清掃人員が足りず客室を稼働できないなど、需要に対応しきれなくなっている。職場に残った人の負担は大きく、業界で働きたいと思ってもらうため労働条件の改善は避けて通れない。今春闘は産業の発展に大きくかかわる正念場となる」
日本の宿泊施設は良質なサービスを提供し、施設も整っているのに、宿泊料金は欧米と比べると安いという。桜田氏は「光熱費の上昇分は価格に反映できるようになってきたが、人件費の高騰分は上乗せできておらず、さらなる価格転嫁が必要だ」と指摘する。
サービス業は多くの場合、取引相手は消費者となる。値上げを受け入れてもらえるかどうかが課題だ。「働き手がいるからサービスを提供できる、と社会全体で理解してほしい」と桜田氏。「これならお金を出してもいいと思ってもらうサービスを生み出すため、デジタル技術を活用し業務を効率化すべきだ」と生産性の向上にも取り組む構えだ。
【インタビュー(3)財界関係者】中小企業の支援に力を注ぐ日本商工会議所の小山田隆氏
日本商工会議所は経団連、経済同友会とともに経済3団体の一つに数えられる。全国の商工会議所が会員で、中小企業の支援に力を注いでいる。
三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)頭取などを歴任し、現在は日商の労働委員会で労働委員長を務める小山田隆氏は、生産性向上と価格転嫁の双方が中小企業にとって重要だと力説する。
日本商工会議所労働委員長の小山田隆氏=2024年2月26日、東京都千代田区
▽供給網全体での価格転嫁が必要だ
小山田氏はこう分析する。「稼ぎを人件費に回す割合を示す労働分配率は中小企業では7~8割に達し、さらに引き上げる余地はない。賃上げ原資を稼ぐためには、生産性を向上させることと、サプライチェーン(供給網)全体、経済全体でコスト上昇分を製品に価格転嫁することが必要だ」
日商の調査によると、今春闘で賃上げ予定の中小企業のうち約6割は、業績の改善がみられないのに人材確保のために行う「防衛的賃上げ」となる。「持続的ではない。中小企業が伸びていくためには成長モデルをつくり、自己変革する必要がある。そこに伴走しながら支援したい」と小山田氏は力を込める。
公取委の労務費転嫁指針を小山田氏は高く評価する。「指針は非常にシンプルで分かりやすい。価格交渉のハードルをどんどん下げることが大事だ」と述べ、交渉の活発化に期待を寄せた。
【インタビュー(4)学識者】春闘について積極的に発信する立教大の首藤若菜氏
立教大経済学部教授の首藤若菜氏は労働経済学が専門で、春闘や物流2024年問題に詳しく、政府の審議会などで積極的に発信してきた。
物価上昇は賃金の伸びを上回り、国内消費は低迷が続く。首藤氏は需要拡大に向け、持続的な賃上げが重要となるとの見解を示す。
立教大学経済学部教授の首藤若菜氏=2024年2月19日、東京都豊島区
▽古い慣習を変える追い風が吹いている
首藤氏は2023年春闘をこう振り返る。「大幅な賃上げを実現したのは画期的だった。それでも個人消費が伸びなかったのは物価高騰に追いつかなかったためで、不十分だった」
首藤氏は今春闘について「昨年よりも賃上げ率は高くなり、実質賃金がプラスに転じる可能性はある」と予測する。ただ中小企業には目配りが必要になる。「コストの上昇分を取引価格に上乗せする価格転嫁が進むかどうかだ」
現状は厳しく「例えば人手不足が深刻なトラック業界でもほとんど転嫁が進んでいない。交渉を始めると、大企業から取引を止められるとの懸念が根強い」と例示する。
首藤氏は大企業の意識変革を促す。「下請け価格を抑えて自社の利益を確保することだけを考えるのではなく、経済を循環させる視点を持つことだ」。中小企業には「古い慣習を変える追い風が今春闘には吹いている。気後れせずに交渉に臨んでもらいたい」とエールを送った。
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