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刑務所の前で「出待ち」を毎朝続けるひとりの男性、何をしている? 「刑務官はいい顔をしないが、やめられない」同行して分かった理由と覚悟

47NEWS / 2024年3月24日 10時30分

大阪刑務所の前で「出待ち」する松浦未来さん=2月

 冷たい風が吹きすさぶ2月の早朝、大阪刑務所の前で“出待ち”を続ける男性がいた。松浦未来さん(37)。お目当ては、フルに刑期を終えて釈放された「満期出所者」たち。
 松浦さんは、人影が現れるのを今か今かと待ち構え、刑務所の黒い正門の向こう側を凝視している。刑務所はいい顔をしないが、それでもやめるつもりはないという。松浦さんは何者なのか。そして何が松浦さんを駆り立てるのか。(共同通信=武田惇志)


〝ワル〟時代、20代前半の松浦未来さん=松浦さん提供

 ▽終わりの日
 松浦さんは、実は出所者だ。
 中学3年の時から、大阪・ミナミのホストクラブで働いた。夜の街になじむにつれ、薬物の快感を覚え、密売人と知り合うようになった。「学も経験もない僕でも、これやったら稼げるなあと思いましてね」。洋画に出てくるようなギャングスターに憧れ、一獲千金を目指したという。


 「日銭を稼ぐためにやってたわけじゃないんです。どんどんお金を稼ぎたいと。だから当時はものすごく忙しくて。携帯も4、5台持ってて、ひっきりなしに電話が鳴っては『今から行きます』とやりとりしてました」
 密売で大金を動かしていたが、「いつか終わりが来る」と常に意識していた。逮捕されるか、トラブルに巻き込まれて殺されるか。そうなる前にやめたかったが、一度つながりができた悪い交友関係から逃れることは容易でなかった。
 そして、その日はやってきた。
 2015年5月、一緒に暮らす彼女が妊娠した。うれしくて、彼女のために朝食を買いに自宅を出た。そこで待ち受けた“キンマ”(近畿厚生局麻薬取締部)に逮捕される。
 接見禁止が付き、弁護士以外とは会えない日々。その間、松浦さんの母親悌子(なおこ)さんは彼女に「こんな息子の子では幸せになれないから、無理して出産する必要はない」と伝えたが、彼女はこう答えたという。
 「せっかくできた子どもですから、子どもと2人で出所を待ちます」
 松浦さんは出産の知らせも弁護士から受け取った。最終的に懲役4年8月の判決が下された。収監先は大阪医療刑務所だった。


インタビューに応じる松浦未来さん=2月、大阪市東淀川区

 ▽各地の刑務所を転々
 逮捕された松浦さんは安堵も感じていた。
 「ようやく終わった。一度でも捕まったら、この道で生きることは終わりにしようと思っていた」
 刑務所では時間を無駄にせず、高卒認定を取り、電気工事士や溶接、消防設備士など計12種の国家資格を取得。ただ、資格の職業訓練のために各地の刑務所を転々とすることになった。
 幼子を抱える彼女に代わって毎月、面会に来てくれたのが悌子さん。遠方から来ても、面会時間はわずか15分程度。松浦さんから「来なくていいから」と言われていたが、「迎えに行ってあげられるのは自分しかいない」と続けた。
 4年後の2019年11月、仮釈放が認められ、山口刑務所から出所。娘は4歳になっていた。待ち続けてくれた彼女との婚姻届も出した。
 出所後は個人事業主となり、仕事を通じて、北海道で居住支援に携わる法人に知り合いができた。密売人時代の友人には身寄りがない人もいて、出所する度に迎えに行った経験も少なくない。居住支援の話を聞き、そうした友人たちの顔が頭に浮かんだという。
 「自分がやりたいことが詰まっている世界だ」。そう思い立ち、2023年4月に立ち上げたのが居住支援を行う株式会社「TSUNAGU」だ。自身が家族に助けられて更生したように、手と手をつなぐ暖かい人の輪を意図して名付けた。


松浦未来さんは出所者に「帰る場所はありますか?」などと声をかける

 ▽「帰る場所ありますか?」
 今年2月。どんよりとした冬空の朝。紺色の制服を着た刑務官たちが、堺市の大阪刑務所に続々と出勤していた。清掃担当の女性職員の姿も見える。
 満期出所者たちは、午前7時20分ごろから数十分以内に、刑務官に連れられて出所するという(土日祝日は午前8時20分ごろ~)。刑期を終える前に一定の条件下で社会復帰する「仮釈放者」が多い木曜日を除いて毎日、松浦さんは刑務所の前で待つ。起床は午前5時という。
 午前7時から1時間ほど松浦さんと待ち続けたが、この日は誰も姿を現さなかった。
 「こんな日の方が多いですよ。いつ出てくるか、全然わからないんで」。彼は事もなげに言う。
 出所者が出てきた時は、駆け寄って名刺や会社のパンフレットを渡す。そしてこう声を掛ける。
「突然すみません。多くの方が帰る先もなく出所されていますが、お困りではありませんか?」
 帰る場所がない場合、自身が取り組む居住支援やグループホームを案内している。


グループホームの居住者と談笑する松浦未来さん=2月、大阪市東淀川区

 ▽認識外の要支援者
 松浦さんが率いるTSUNAGUは現在、精神障害者らの住居探しを支援するほか、大阪市東淀川区でグループホームを経営している。居住者のほとんどが大阪刑務所の満期出所者だ。
 「ウチが専門にする満期出所者は、いわば刑務所にいたくてもいられない人たち。帰る家があろうがなかろうが、放り出されてしまう。彼らをなんとかしなくては、と支援を始めたんです」
 身寄りがなく、お金も携帯電話もない人が多い。家を借りたくても借りられない。そうなると生活保護も申請できない。決まった住居がないと申請できないためだ。松浦さんらは独自に住居を借り上げて、生活保護までサポートする仕組みを取っている。
 ただ、毎朝声をかけても、応じるのは月に3~5人程度だ。
 さらに、利用者は全員が再犯者だという。最も多い人で計8回の懲役経験者がいると聞いた。
 「帰る場所がなくて、社会とのつながりがなかったのでそうなっちゃったと思うんですよ。守るものがないというか、自分の人生を自分で背負っているだけなんで。どっかで、心のストッパーになれればいいんですが」


松浦未来さん。木曜日を除き毎朝、大阪刑務所の前で待つ

 TSUNAGUは刑務所とも連携し、月に2人ほど満期出所者を紹介してもらっている。その際は刑務所の中で松浦さんが面談して、合意できれば支援を引き受ける。刑務所の中でそれができるのに、なぜわざわざ“出待ち”するのか。
 松浦さんに尋ねると、こんな事情を説明してくれた。
 「刑務所からは『支援が必要な人がいたら紹介するから』と出待ちをやめるよう言われてます。でも、ほどんとの受刑者は、いち早く刑務所と関係を切りたいと思っていて、刑務所がするアンケートで『帰る場所はありますか?』と問われると『ある』と書いちゃうんですよ」
 さらに、帰る場所があると信じて出所したものの、以前の住居が契約切れになっているなどして途方に暮れているケースもある。
 「だから、刑務所側の認識から漏れている要支援者を拾うには、僕らみたいな団体が必要なんです」


大阪刑務所=2月、堺市(共同通信社ヘリから)

 ▽安息の地
 TSUNAGUのグループホームに居住する、知的障害がある男性(51)は、昨年11月に松浦さんに声をかけられた。過失運転の罪で略式起訴され、罰金50万円の納付を命じられたが支払えず、3カ月の労役を命じられて収監されたのだった。
 声をかけられ時は「一瞬、ドキっとしたな」と振り返る。働いていた会社の寮に帰るつもりだったため、その場では申し出を断ったが、寮にはすでに自分の部屋はなかった。刑務所にいた間は寮費が払えず、強制退去させられていたためだ。松浦さんにもらった名刺を頼りに電話をかけ、支援を求めたという。
 現在は、最低賃金で雇用契約を結ぶ「就労継続支援A型」の作業所に通っている。他の利用者を誘って散歩に出歩いたり、ホーム内の雑務を率先して手伝ったり、「隊長」のニックネームで頼りにされている。「ここでは、松浦さんがおってくれるから。ほんと感謝してる」。男性はそう、照れたように笑った。
 同じくグループホームの住人で、解離性同一性障害のある男性(55)は、刑務所からの紹介で昨年5月に松浦さんと知り合った。
 酒を飲んで暴行事件を起こし、罰金30万円。彼も支払いができず、2カ月間の労役となった。拘束されている間は家賃が払えず、退去させられていた。
 男性は北海道・苫小牧市出身。「あっちこっちに行き、流れ着いたのが大阪」。実家の家族とは30年以上連絡を取っていない。妻と離婚後に子どもを一人で育てていたが、その後、道を外れた。
 以前に窃盗の罪で服役しており、出所後に刑務所の同房者に誘われる形で悪質な貧困ビジネスの餌食になった。「たこ部屋」のような窮屈な作業員宿舎に住み込みで土木作業に従事させられ、腰や膝を痛め、現在も病院に通院している。男性は今回の出所で、ようやく安息の地を見いだした。男性は言う。
 「今回も、同じ事を繰り返してしまわないか、再犯が怖かった。今は松浦さんがちゃんと話を聞いてくれて、怒るところは怒ってくれる」


悌子さんの折った鶴=24年2月、大阪市東淀川区

 ▽毎日、本気で
 ここまで、決して順調な道のりではなかった。目に入った物件をひたすら回ってグループホームの計画を持ちかけたが、精神障害者らが入居すると聞いたオーナーに断られ続けた。社会の冷たさを感じずにいられなかった。
 利用者も一筋縄ではいかない人たちだ。出所後も犯罪者との交友関係が切れなかったり、薬物やアルコール依存が続いたり…。
 生活になかなかなじめない人もいた。解離性同一性障害がある男性は当初、ほぼ無言でコミュニケーションを図ろうとしなかった。刑務作業で鶴を折っていたことから、母親の悌子さんが「一緒に千羽鶴を折って神社に奉納しませんか?」と声をかけ、次第に談笑できる関係になったという。
 予期できない出来事ばかりだが、事業は少しずつ、確実に前に進んでいるように感じる、と松浦さんは言う。
 「日に日に気持ちがつながっていくのが分かるんです。当初は、この人達をどうにかしてやらなあかんって気持ちばっかり先行してたんですが、今では『松浦さんのためやったら、僕なんでもやります』と歩み寄ってくれて、僕のこともみんなが支えてくれている。もちろん、けんかもしますよ。毎日、本気でぶつかってます」

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