42歳のちゃんこ長、元横綱鶴竜の新部屋を支える「鋼」の絆 寺尾からの忘れられないひと言「前田がいたら大丈夫」
47NEWS / 2024年3月20日 11時30分
2023年12月27日に独立した大相撲の音羽山親方(元横綱鶴竜)が率いる部屋には、40歳を過ぎた心強い三段目力士がいる。しこ名は鋼(はがね)。本名は前田一幸さん、愛知県出身の1981年8月生まれだ。師匠よりも4歳年上で、入門は約1年半早い。つまりは師匠の弟子だけど兄弟子でもある。誕生したばかりの音羽山部屋では食事を担当する「ちゃんこ番」を一手に引き受け、新弟子の指導も担う。そこには20年以上も共に歩んできた師匠との「鋼」のような固い絆があった。(共同通信=田井弘幸)
▽ちゃんこ鍋のレパートリーは13種類
東京都墨田区向島の真新しい部屋にある稽古場の奥に進むと、8畳ほどの広さの台所がある。いわゆる、ちゃんこ場だ。音羽山部屋の力士は鋼と新弟子4人。ぶつかり稽古で胸を出した鋼は汗と砂をさっと流し、料理の腕を振るう。
「鍋のレパートリーは自然に増えて、13種類くらいかな。おかずの仕込みは前の晩からやってあるからスムーズ。だいたいは頭の中に入っているので」と涼しい表情で話す。ちゃんこ鍋は塩、しょうゆ、みその定番からカレー、キムチ、特製つけだれの湯豆腐や水炊き、大根おろしを加えたみぞれ風など多岐にわたり、日替わりで力士を飽きさせない。ここにおかずを5~6品そろえ、見るだけでおなかがいっぱいになりそうだった。
鋼がつくった昼のちゃんこ。鍋は塩ちゃんこだった=2024年2月、東京都墨田区の音羽山部屋
▽風呂場の背中越しで「引退します」
鋼はサッカー部に所属した愛知・大同工高(現大同大大同高)から井筒部屋に入門し、2000年春場所で初土俵。丸くて固太りした体で激しい突き、押しを得意とし、東幕下16枚目まで番付を上げたことがある。三段目優勝を果たした2012年秋場所では、NHKのインタビューで「おいしいご飯を作ってみんなを待っています。今日は暑いので、さっぱりとした鶏の塩ちゃんこにします」と愛嬌たっぷりの表情で答え、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾、故人)を大笑いさせた逸話が残る。
音羽山親方は2001年九州場所で初土俵を踏んだ。鋼は、モンゴル出身の弟弟子を「おとなしい子。笑ったら顔がかわいかった」と回想する。下積み時代は一緒にボウリングやカラオケに出かけ、不思議とウマが合った。大関時代から付け人を務め、現役引退の決意は風呂で背中を流している際に「前田さん、引退します。今までお世話になりました」と告げられた。
仲がいいだけではなかった。横綱時代の鶴竜に温かいご飯を食べてもらいたい一心で、本場所中は取組終了時間から逆算して準備した。だが、負けて部屋に戻ってくると不機嫌な様子で2階に上がったまま下りてこない。「横綱が先に食べてくれないと、誰も食べられませんよ」と強い口調で注意したこともある。もちろん言葉の裏側には「頑張っておいしく作ったんだから、食べて元気を出してよ」との優しさも込められていた。
2024年1月、大相撲初場所の取組前に所作を行う鋼=両国国技館
▽亡き寺尾の遺言「前田がいたら大丈夫」
鋼には印象深い夜がある。鶴竜が横綱になって3年近いころ、お世話になった後援会関係者の通夜で兵庫県姫路市を一緒に訪れていた。東京に戻る新幹線がなくなり、姫路駅前のホテルに宿泊。館内の鉄板焼き店でステーキを食べていると、横綱から「前田さんは、この先どうするんですか。もし自分が将来、部屋を持つようなことになったら付いてきてくれますか」と言われた。すると「アナンダ(鶴竜の本名)がやるなら、とことんまで付いていくよ。でも、まだまだ相撲を頑張って」と間髪入れず返した。全て敬語の公の場とは違い、この夜は普通の兄弟弟子に戻った。当時の会話が今の音羽山部屋につながっている。
さらに2人の運命を決定付けたのは2023年9月の秋場所。両国国技館の支度部屋にいた錣山親方(元関脇寺尾、故人)から鋼は手招きされた。井筒部屋の大先輩で付け人を務めたこともある往年のスターだ。小走りで駆け寄ると、目を細めてささやくように告げられた。
「鶴竜が部屋をやるなら付いていくんだろう。前田がいたら大丈夫だ。鶴竜のこと、よろしく頼むな」
錣山親方はこの秋場所を最後に入院し、約3カ月後に亡くなった。鋼の心の中には、これ以上ない遺言として刻まれている。
2024年1月、大相撲初場所の取組で相手を攻める鋼(左)=両国国技館
▽ぶつかり稽古の精神が人間関係の鍵
番付の差が大きく広がっても、立場が師匠と弟子になっても、音羽山親方は鋼のことを常に「前田さん」と呼んで敬語を使う。「強くなったからといって先輩をこけにしたら駄目。目上の人を立てるのが相撲界でしょう。そうすることで、先輩も『この人のために』と思ってくれる。だから、ずっと『前田さん』です」と、しみじみ話した。
この思いに呼応するように、鋼もそばで接している。例えば冠婚葬祭の祝儀袋は数多く買っておき、どんな局面にも対応。「何でも先回りの準備が重要でしょう。親方は天然だけど憎めない。何よりも温厚で優しい。自分が相撲を取る日は『前田さん、自分のペースで無理しないで、頑張ってください』とまで言ってくれる。先輩を大事にしてくれるから、こっちも力になりたいと思える」と、ほほ笑む。
四半世紀近くも力士を続ける鋼は、角界において必要不可欠な精神をぶつかり稽古に例える。「当たる人がいれば、胸で受ける人がいる。だから稽古になる。どんなにすごい力士でも、一人では絶対に強くなれない。相手がいるから、自分がいる」。人という字は支え合うことで成り立っている。相手方を常に思いやる気持ちこそが、円滑で強固な人間関係を築く鍵だ。一般社会にも通じるヒントをもらった気がした。
▽鋼の結束力「前田さんとは死ぬまで一緒」
「鋼」という変わったしこ名は20代最後の年から名乗っている。工業高校の機械科で学んだ経験から「刀の元は玉鋼。鋼を鍛えれば刀の切れ味も増す。刀を研ぐようにして気持ちを研ぎ、鋼のメンタルを目指す意味を込めた」と自ら考案した。
鋼を名乗る前は、逆鉾と寺尾の長兄の元十両鶴嶺山(故人)からしこ名を譲り受けていた。かつての大相撲を盛り上げた「井筒3兄弟」はこの世を去ったが、それぞれの立場から受けた薫陶は忘れない。井筒部屋では地位や職種に関係なく、力士も行司も呼び出しも床山も、みんなでちゃんこ鍋を囲んだ。「相撲部屋は家族」という師匠の方針だった。だから鋼も「めりはりがあって、アットホームで、親しみやすい部屋になってほしい」と願う。
独立後の音羽山親方は「前田さんがいれば大丈夫」が口癖になった。弟子というより相棒のような存在を「親兄弟よりも長く一緒に過ごしてきた。これからも、ずっと一緒。死ぬまで一緒だから」と全幅の信頼を置く。2024年3月の春場所で番付に載る音羽山部屋所属力士は序ノ口を含めて2人。部屋頭でもある鋼は「早く自分を追い抜く人が出てきてほしい。若い力士が10人くらいになったら引退して、また別の立場で支えたい。新しい部屋を持つという親方の夢が現実になった。大変だけど、そのことがうれしい」と感慨に浸った。
部屋から見える東京スカイツリーを背景に記念撮影すると、手を握り合った2人はとびきりの笑顔。外の寒さも忘れて心が温かくなった。できたばかりの相撲部屋が「鋼」の結束力で新たな歴史を紡ごうとしている。
東京スカイツリーを背景に笑顔の鋼(左)と音羽山親方=2024年2月、東京都墨田区
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