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田舎へ移住して給料ももらえる…「地域おこし協力隊」7人に聞いた現場のリアル  やりがいあるが、課題は定住 起業や政治家への転身も

47NEWS / 2024年4月7日 10時0分

高知県日高村で地元住民たちと話す小野加央里さん(左端)=2024年2月

 すっきりとした山椒(サンショウ)の香りが部屋いっぱいに広がる。「この布は薄いから内側に使うのが良さそうやねえ」。山に囲まれた高知県越知町の民家で、楽しそうに会話しながら、山椒の種で枕を制作している女性たちがいた。
 中心は、清水香さん(52)。「地域おこし協力隊」の隊員として、埼玉県から移住した。任期終了後も越知町に定住するという。
 都会から過疎地へ移住する地域おこし協力隊は、地域活性化を担う総務省の制度だ。開始から16年目。現在、全国で7千人以上の隊員が活動している。
 隊員は、どんな人たちで、何をしているのだろうか。町に溶け込む隊員、任期後も住み続ける元隊員、政治家に転身した人…。7人が話した現場のリアルとは。(共同通信=野島奈古)


高知県越知町で、「お母さん」と呼ぶ地元女性たちと山椒の種を使った枕を作る清水香さん(右)=2024年1月

 ▽田舎に憧れ脱サラ
 山椒の香りは、リラックスや血行を促進する効果があるという。清水香さんは、「お母さん」と呼ぶ3人の地元女性と「のうがえい枕」を作る。「のうがえい」は土佐弁で「具合が良い」を意味する。
 清水さんは、高知県主催の移住相談会で越知町を知った。田舎暮らしへの憧れもあり、脱サラして埼玉県から2021年に着任。祭りの準備や草刈り、何でも手伝い、町民に溶け込んできた。


山椒の種と枕を手にする高知県越知町の地域おこし協力隊員清水香さん=2024年1月

 ▽任期後も残りたい
 地元で有名なラーメンを土産品にしようと商品化に挑んだこともあったが、コストや再現の難しさから断念。「のうがえい枕」のアイデアは「お母さん」たちに教えてもらった。
 高知県は山椒の生産量が全国2位。越知町の農業法人が、年間60トンの種を廃棄していることを知った。「無料の物から価値を生み出したい」と、製品化した。
 枕は、ふるさと納税の返礼品にもなった。役場の担当者は「住民と一緒に地域の物を使い活動してくれ、助かる」と歓迎している。
 清水さんは、4月の任期終了後も定住すると決めている。「新しいことをするのは楽しい。山々の風景にも癒やされる」。枕や山椒肉まんの販売のほか、飲食店でのアルバイトなどで生計を立てる計画だ。
 「お母さんたちに出会っていなければ、町に残っていなかったかも。不安は大きいが、まずはやってみる」


 ▽自治体の裁量
 地域おこし協力隊は、1~3年の任期で、農林水産業や観光振興に従事する。活動内容や待遇は自治体の裁量で決まり、会計年度任用職員として採用される場合と、個人事業主として委託関係を結ぶ大きく二つの採用形態がある。募集情報は、自治体ホームページや一般社団法人「移住・交流推進機構(JOIN)」に掲載されている。


総務省によると、2023年度の隊員数は過去最多の7200人。

 ▽給料や住居、働き方は?
 総務省は自治体に、隊員1人当たり480万円を上限に特別交付税を交付する。ここから活動費や給与を支払う。住居は、自治体が所有する宿舎や、家賃補助が出る場合も。働き方も週5日、4日と地域で異なる。
 総務省によると、2022年度末までに任期を終えた11123人のうち、6割超が近隣の市町村に住み続けており、都市から地方への流れを生むだけでなく、定着・定住にも一定の成果が出ているといえる。総務省の担当者は「地域での暮らしに関心があり、地域に貢献したい人と親和性があると思う」と話す。


高知県いの町の商店街で隊員の傍ら、副業としてコーヒー店を営む浮木大智さん=2023年12月、高知県いの町

 ▽個性生かして、自分なりに
 隊員になろうと思ったきっかけや経歴、人柄は様々だ。4人の活動を紹介する。

 ・高知県いの町の隊員・浮木大智さん(28)
 京都府の「小川珈琲」で営業をした後、結婚を機に妻の地元、高知へ移住した。宝探しや飲み歩きイベントを企画し、町を盛り上げてきた。任期1年目の途中から起業を考え始め、今は副業として商店街でコーヒー店を営む。好きになった地域に貢献できているのがやりがいだ。
 「『よう来たね、頑張って』と地元の人たちが声をかけてくれる。ありがたい」

 ・山口県和木町の元隊員・村井優さん(29)
 東京都内のイベント会社に勤めていたが、スキルアップできる環境を求め、コロナ禍の2020年に着任した。「地域の人に関わってもらう」をコンセプトに、マルシェを開催。任期後、知人のイベント会社を引き継ぎ、定住している。
 「よそ者を受け入れてくれた恩返しをしたい。町がこれから良くなるためにも活動を続けていきたい」

 ・北海道弟子屈町の隊員・川上椋輔さん(28)
 北海道文化放送のアナウンサーを経て、セカンドステージとして隊員の道を選択した。町役場から委託を受ける個人事業主として、町のユーチューブ公式チャンネルの動画制作などを担う。
 「都会では世代を越えた人から『ありがとう』と言われることはそんなにないと思う。こっちだと身近にある。地元のパワーに圧倒されることもある」

 ・高知県いの町の元隊員・小野義矩さん(39)
 いの町で第1号の隊員として、神奈川から家族で移住した。スポーツバイク店の店長経験を生かし、サイクリングイベントなどを企画。現在はクラフトコーラの販売や、スポーツイベント主催のほか、よさこいチームを立ち上げ、にぎわいづくりに取り組む。
 「地域にとってプラスになることに挑戦することは、わくわくする」


高知県日高村と同県いの町を結ぶ住民の生活道として大切にされてきた名越屋沈下橋=2024年3月、高知県いの町

 ▽起業した元隊員
 18人もの地域おこし協力隊が活動している自治体がある。高知県日高村だ。ここで、隊員たちが任期後も定住して起業・就業できるようサポートしている女性もまた、元隊員だ。
 
 東京の広告会社で働いていた小野加央里さん(42)は、仕事の合間を縫って全国各地でボランティア活動をする中で、日高村のNPO法人「日高わのわ会」と出合った。
 高齢者や地元企業への配食サービス、障害者就労支援など、多様な活動を展開するNPOだ。「利他の精神」で取り組む姿勢に感銘し、東京から毎月のように通った。
 ただ困ったのは、村に宿泊場所がないことだった。協力隊員として役場と一緒に宿をつくろうと、移住を決意。わのわ会で広報を担当しながら、2019年に宿をつくった。


任期後に設立した一般社団法人「nosson」のメンバーと会話する小野加央里さん=2024年1月、高知県日高村

 ▽村とつなぐサービス
 小野さんは任期後の2020年、別の元隊員と一緒に一般社団法人「nosson」を設立した。
 「いきつけいなか」と銘打ち、田舎暮らしや協力隊に興味がある人に、日高村との関わりをつくるサービスを提供している。オンラインイベントを開いたり、村での求人を紹介したり。行政との仲立ちも担う。
 「移住は結婚と似ている。まずは地域を知って長所も短所も知るのが良い」
 村役場も、隊員が定着するよう工夫している。着任に当たって3年後のビジョンを描いてもらい、多くの隊員は地域の事業者に出向してスキルを磨き人脈を築く。
 村の担当者は「話し合いながら、自分で考えてもらい、ミスマッチを防ぐ」と話す。


清水さんが住む高知県越知町、18人の隊員が活動する日高村、重さんが町議を務める徳島県那賀町

 ▽定着への課題
 それでも、隊員たちが村に定着するための課題は残る。任期後、どうやって生計を立てていくかという課題だ。小野さんは指摘する。
 「隊員には『その事業、実現できるのか』と専門的な指摘や助言をくれる身近な『上司』がいない。起業や就業がうまくいかず、地域を去るケースは少なくない」
 そこで小野さんは、地域外からマーケティングやアイデアづくりのプロたちを講師として招き、隊員らを支援するプログラムを組んだ。
 村の担当者も「外から人やノウハウを入れて地域に還元してくれた」と歓迎。参加者からも「誰に喜んでもらえたら仕事として続けていけるか、分かってきた」と好評だった。
 小野さんは力を込める。「移住者と地域、自治体で、地域をどう良くしていくか描くことが求められる」


徳島県那賀町木頭地区での地域おこし協力隊員を経て、町議に転身した重陵加さん=2024年1月、徳島県那賀町

 ▽議員に転身
 最後に、徳島県那賀町木頭地区での地域おこし協力隊員を経て、町議に転身した重陵加(しげ・りょうか)さん(42)にインタビューした。
 学生の頃から農山村の衰退に危機を感じ、自分にできることを考え続けてきました。
 大学院を出て、京都でそばを使った飲食店を開業しました。結婚や出産を機に、思うように活動ができず悩んでいた時、学生時代からの那賀町の知人に「木頭で子育てしてみたら。隊員の仕事もある」と声をかけてもらいました。
 農山村の課題に取り組めると思い、2020年、協力隊員として、家族で移住しました。


木頭ユズ(農水省提供)

 特産の「木頭ユズ」が、過疎と高齢化で収穫されないまま腐った状態で放置されている現状を目の当たりにしました。小中学生と一緒に解決策を考え、消えゆく限界集落を維持しようと取り組んできました。

 そんな中、2023年の町長選で、4人が立候補し、12年ぶりに選挙戦となることが分かりました。候補者の考えを聞こうと、私が公開討論会を計画しました。
 ただ町役場は「控えてほしい」の一点張り。納得できませんでしたが、仕方なく、隊員を辞めて開くことにしました。
 寝る間も惜しんで開催に向けて準備しました。そのせいもあり、討論会の前日、過労で意識を失ってしまいました。
 救急車は30分たっても来ません。搬送先は、1時間半以上離れた隣の市にある病院でした。へき地医療の深刻さを実感しました。
 現役の町議に「選挙に出てみないか」と誘われたのもこの頃です。協力隊ではできない制度や仕組みの改革に取り組みたいと、迷いなく立候補を決めました。
 とても短い準備期間でしたが、「山の暮らしをつないでいかないといけない」と必死に訴え、2023年4月に当選できました。
 今は、合併してできた那賀町が、消えずに未来に続いていくよう、活動を続けています。
 真剣に地域と向き合う地域おこし協力隊は、本当の意味で地域を変えていけると今も思っています。議員になるのも、選択肢の一つです。

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