「娘に愛国教育は受けさせたくない」アメリカへ不法越境した中国人が語った本音 闇業者に頼り、長旅の果てに…国境警備当局による拘束は10倍以上に激増
47NEWS / 2024年4月27日 10時30分
中国・山東省出身の張は1月下旬、30代の夫と10歳ぐらいの長女と一緒に、メキシコからアメリカ西部カリフォルニア州に入った。両国を隔てる「国境の壁」の切れ目を通り抜けての越境。「頭に浮かんだのは、『自由』の二文字だった」。その直後、張はどこかすっきりとした表情で語った。
アメリカへ不法に渡る中国人が激増している。実態を探ろうと訪れた現場で私が出会った張夫妻にとって、長女の存在が祖国を去る決断をした理由だった。あっせん業者に多額の渡航費用を支払い、さまざまな危険を冒してまで、なぜアメリカを目指すのか。不法越境の現場で語られた「本音」とは―。(敬称略、年齢は取材当時 共同通信ロサンゼルス支局 井上浩志)
▽荒野に突如現れた車
カリフォルニア州ハクンバホットスプリングスとメキシコの国境地帯。私が到着したのは昼過ぎだった。案内してくれたサム・シュルツ(69)によると、移民希望者が国境を越えてやってくるのは朝がほとんどだという。到着後にしばらくとどまる場合もあるそうだが、この日は誰もいなかった。私はこの日はもう機会がないと思い、翌日のことを考え始めた。果たして明日、取材できるだろうか―。
それから10分もたっていなかったと思う。「移民が来た!」。もう1人の案内人の女性が突然、声を上げた。状況をつかめないまま「どうして分かるのか」と尋ねると「音よ」。何かがうなるような音が少しずつ大きくなり、壁の向こうの荒野に数台のスポーツタイプ多目的車(SUV)が次々と現れた。
運転手は目出し帽をかぶるなどして顔を隠している。不法入国をあっせんして手数料を取る闇業者「コヨーテ」だ。60キロ以上離れたメキシコの国境都市、ティファナから来たとみられる。
「国境の壁」のメキシコ側に到着した車。黒いフードを深くかぶる男は、闇業者「コヨーテ」だ=1月、米ハクンバホットスプリングス(共同)
▽有刺鉄線をくぐり抜け
車から降りたのは計120人ほど。車の台数に比してかなり多い人数で、車内ではすし詰めになっていたはずだ。足早に壁の切れ目に駆け寄り、有刺鉄線をくぐり抜けて次々とアメリカ側に入ってきた。歓声を上げ、抱き合う人もいる。スマートフォンで通話していたのは、家族や知人に到着したことを伝えるためだろう。
彼らは国境警備隊に促されて壁沿いに1キロほど歩き、開けた場所に着いた。そこにはシュルツら地元の有志が設置したテントが10張り以上あった。仮設トイレもある。シュルツらは、乗ってきたピックアップトラックに積んであった水や食料を彼らに渡していく。
「国境の壁」の切れ目から米国に入る不法移民=1月23日、カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)
不法移民はその後、壁に沿って2列に並ばされていたが、「普段はもっと雑然としている」とシュルツ。記者である私の存在を意識して、国境警備隊員らが対応を変えたらしい。
その後隊員らはいなくなったが、移民は依然、整列している。私はシュルツの言葉を思い出し、彼らが私のせいで立ったままでいるような気がして、申し訳なくなった。そこで1人に「並ばなくていいらしい」と告げると、その人物を含む一団がテントの方へ駆け寄っていった。その様子を見て、他の人たちも周囲に散らばった。
サム・シュルツさん(左から2人目)らから水を受け取る不法移民=1月23日、米カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)
▽中国人の拘束は年2万4千人
しばらくして戻ってきた国境警備隊は、ワゴン車などに移民を乗せて別の場所に運ぶピストン輸送を始めた。移民は到着した施設で亡命申請手続きなどを経て解放され、それぞれの目的地に向かうとみられる。この日の到着者はいずれも翌日にはいなくなっていたが、施設の空き状況次第では数日間残ることもあるという。
アジア系の割合は、思っていた以上に多かった。シュルツによると、昨年9月ごろからこの地域で不法移民が増え始め、12月下旬には1日に約450人がたどり着いた。平均で約3割が中国人だという。
米国境警備隊員らの前で並ぶ中国からの不法移民ら=1月23日、カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)
10月を期首とするアメリカの会計年度で、2023年度にメキシコ国境でアメリカ当局に拘束された中国人は2万4314人。データがある2007年度以降で最多だった2016年度を、10倍以上更新した。その後も増え続け、昨年12月だけで6千人近くに上った。中国人移民希望者を顧客とする中国系アメリカ人弁護士、黄笑生によると、多くは自由や職を求めて米国を目指す。
▽11カ国の旅路の果てに
私が出会った張一家は祖国を離れた後、タイやトルコなどを経由した。入国にビザが不要な南米エクアドルに到着し、その後は主に陸路で北上。計11カ国、50日超の長旅だった。中国系動画アプリTikTok(ティックトック)を見て、初めて具体的な渡航方法を知った。3人で30万元(約620万円)かかったという。
道中では、コロンビアとパナマにまたがり、アメリカを目指す多くの人が命を落としているジャングル地帯「ダリエン地峡」も通った。危険を覚悟でアメリカを目指したのは「経済的な苦境に加え、長女の教育と健康のため」。中国の習近平指導部は思想統制の一環で愛国教育を実施しているが、張は「娘は学校で共産党や政府への忠誠心を育てるスローガンを復唱させられるが、そんなものは学んでほしくない」と強調した。
▽長女の夢
汚染された中国の水や空気が長女の身体に与える影響も心配だったという。決断に拍車をかけたのが、中国の新型コロナウイルス対策「ゼロコロナ政策」だった。感染拡大を封じ込めるため、ロックダウン(都市封鎖)や集中隔離などの強制措置が実施され、経済は停滞。自営業者だった一家は「多大な影響」を受けた。ゼロコロナ政策は2022年末ごろ、事実上崩壊。張一家はその後、北京に移ったが、事態は好転しなかったという。
祖国は既に捨てた。親族や友人にはもう会えないが、張は「きっと決断を理解してくれる」と語った。一家はアメリカのどこに居を構えるか決めていない。だが長女の夢は明確だった。「ハーバード大に入学して、研究者になりたい」
「国境の壁」に沿って歩く不法移民=1月23日、米カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)
× × ×
〈取材を終えて〉
私は中国語を話せない。英語ができない張一家と私の橋渡し役を担ってくれたのは、台湾への留学経験がある支局助手のジャマール・ボンズ(28)だ。一家は、中国語を繰り出す長身の黒人男性に初めは驚いていたが、すぐに親しみに変わったようだった。取材中、張の方からボンズに話しかけたことがあった。笑顔だったので「中国語が上手だね」と言っているのだろうと思い確かめると、やはりそうだった。
こうしたやりとりを見ていたからか、私も取材後、少女に自分の言葉で何かを伝えたくなった。知っている数少ない中国語のフレーズから選んだのは、「加油(ジャヨウ)」。頑張って、という意味だ。
取材をした日から約3カ月がたった。あの時、照れくさそうな笑顔でグータッチをしてくれた少女は今、どこでどんな生活を送っているだろうか。
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