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「精神科病院から退院するのが怖かった」長期入院していた男性患者の背中を押したのは、外からの訪問者だった

47NEWS / 2024年4月28日 10時30分

精神科病院に入院していた男性(手前)と、当時面会した「大阪精神医療人権センター」の訪問ボランティア大西香代子さん=3月、大阪府茨木市

 精神科病院に入院している患者の中には、家族と疎遠になっていて、面会者もいないという人が珍しくない。閉鎖的な環境になりがちで、不本意な身体拘束を受けることもある。「退院したくても退院させてもらえない」「病院生活の不満やグチを聞いてくれる相手がいない」。そんな状況が長く続くと、自分の希望や意思を口にする力も失われていく。

 そこで、外部から福祉職や市民らが病院を訪ね、入院患者と面会するという国の事業が4月から始まった。ほとんど知られていない事業だが、精神科病院に外部の目が入るという意味では画期的といえる。患者への虐待や人権侵害がたびたび問題になる精神科病院に変化をもたらすだろうか。(共同通信=市川亨)

 ▽病院内のチラシが転機に
 「この人たちが来てくれなかったら、俺は退院できなかったと思う」。大阪府茨木市のアパート。1人暮らしする湯浅貴さん(63)=仮名=は3月、看護師の大西香代子さん(72)と久しぶりに顔を合わせると、そう話した。

 湯浅さんは20代前半のときに統合失調症を発症。以来、入退院を繰り返し、通算10年以上、入院生活を送った。

 ベッドに体を固定される身体拘束や、外側から施錠された部屋に入れられる隔離も経験した。長期間、病棟から一歩も出られなかったという。

 転機をもたらしたのは、病院内で見かけたある張り紙だった。認定NPO法人「大阪精神医療人権センター」(大阪市)の相談受け付けチラシ。連絡先に電話すると、センターで面会ボランティアをしている大西さんらが会いに来てくれた。

 湯浅さんは大西さんに複雑な気持ちを吐き出した。「退院したい。でも、ずっと病院にいるから、退院するのが怖い気持ちもある」

 大西さんは湯浅さんの不安な気持ちを受け止めつつ、「退院したい」という希望をかなえるにはどうしたらいいか、湯浅さんと話し合った。弁護士が成年後見人に付き、退院しても経済的にやっていけるよう親族との関係を調整。その結果、湯浅さんは2020年に退院することができた。

 今はヘルパーや看護師が定期的にアパートを訪問し、生活上の支援を受けながら暮らす。「病院は刑務所みたいで、自由がなかった。今は友達に会ったり、買い物に行ったりできる」。そう笑顔を見せた。


大阪精神医療人権センターが、精神科病院に入院している患者や関係機関に配布しているリーフレット

 ▽25万人が入院、世界の中で異常な日本
 大阪精神医療人権センターは40年近く前から、精神科病院への訪問や入院患者との面会に取り組んでいる。患者の希望や改善すべき点を病院側に伝え、精神医療の向上につなげてきた。

 この活動をモデルに、今年4月から国が始めたのが「入院者訪問支援事業」だ。

 厚生労働省によると、精神科に入院している人は昨年6月時点で全国に約25万6千人。半数以上が強制入院で、入院期間が10年以上に及ぶ人も約4万3千人いる。世界の中では異常な状況で、国連からは改善を勧告されている。昨年、東京都八王子市の「滝山病院」で明らかになったような深刻な虐待も後を絶たない。

 そこで、外部の目を入れることで患者の権利を守ったり、病院の風通しを良くしたりしようと、この訪問支援事業が導入された。2022年に成立した改正精神保健福祉法に盛り込まれ、今年4月に施行。国が費用の半分を負担し、都道府県や政令市、東京23区などが実施する。

 患者から希望が寄せられたら、訪問支援員が2人一組で面会に行く。支援員になるには研修を受ける必要があるが、資格は問われないので、一般の市民でも務めることができる。


 ▽雑談する相手がいない
 国の事業が施行される前から、いち早く取り組んでいるのが和歌山県と岡山市だ。どちらも昨年から実施している。

 「話をして、共感してもらえたことがうれしかったみたいです」。和歌山県で訪問支援員を務める堀本久美子さん(45)は昨年12月、和歌山市内の病院で男性入院患者と面会した。

 「病院の夕飯がお肉だと気分が上がるけど、魚だとヘコむ」。男性の話はたわいのない内容だった。だが、逆に言えば、そうした雑談をする相手もいないということを意味している。男性はその後も支援員の訪問を受け、今後の生活への不安な気持ちを相談しているという。

 堀本さん自身、統合失調症で入院経験があり、現在は「ピア(「同等」の意)サポーター」として活動する。「入院していると、自分の希望を言うのは勇気と時間が要る。話を聞いてくれる人がいたら、安心すると思う」。堀本さんは自身の経験を踏まえ、そう話す。


訪問支援事業のリーフレットを手にする和歌山県の支援員、堀本久美子さん=3月、和歌山市

 精神科病院への入院は、患者の意思による「任意入院」と、行政の決定や家族らの同意による「強制入院」の二つに大きく分かれる。国の訪問支援事業はこのうち、身寄りがないなどの理由で市区町村長の同意により強制入院(医療保護入院)させられた患者を主な対象にしている。面会に来る人がほぼいないからだ。

 これに対し、岡山市は全ての入院患者を対象にしていて、昨年10月から今年3月までの訪問は23回を数える。訪問支援員の研修には定員を超える参加希望があり、医療・福祉職や精神障害者の家族など58人が登録している。

 ▽意義と課題の両方がある
 ただ、事業の実施は自治体の義務ではなく、厚労省によると、本年度中に訪問を始める予定の自治体は19にとどまる。患者への周知もまだ不十分で、誰もがどの地域でも利用できる状況にはほど遠い。

 訪問支援員ができることにも制約がある。相談に乗ったり、患者の希望に応じて情報を提供したりすることはできるが、支援員が直接、退院に向けた調整や困り事の解決をすることは想定されていない。「話をしても結局、何もしてもらえない」と患者が思う可能性もある。

 事業の導入に関わった国立精神・神経医療研究センターの藤井千代さんは、この点についてこう説明する。

 「患者さんはケアを受ける側の弱い立場であり、遠慮などさまざまな理由で本音を言えない、ということが少なくない。第三者だからこそ話せることもある。思いを受け止め、本人が自らの力を取り戻せるよう寄り添うことに、この事業の意義がある」

 一方、精神医療に詳しい池原毅和弁護士は事業の意義を認めつつ、こうくぎを刺した。「日本の精神医療には、強制入院や安易な身体拘束といった深刻な人権侵害が多く残っている。そうした構造的な問題に取り組んでいく必要があることも忘れてはならない」


取材に応じる池原毅和弁護士=4月、東京都内

 ▽取材後記
 10年前、ある精神科病院に取材で3日間、体験入院させてもらったことがある。誤解を恐れずに言えば、多くの入院患者は「ちょっと変わった人」という程度だった。「3分の2の人はここにいる必要はないんじゃないか」。そう感じた。きっと今も、日本の精神科病院の状況はそう変わっていない。

 その意味で、第三者が病院を訪れるこの事業の意味は決して小さくない。病院側が警戒感を抱く中、関係者が調整に心を砕いて導入にこぎ着けた。「小さく産んで大きく育てる」。そんなふうになってほしい。

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