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【追悼】星野富弘さんが手足の自由失って生み出した「花の詩画展」 口に筆くわえ創作活動、国境超えて「生きる力」に

47NEWS / 2024年5月30日 11時0分

星野富弘さん(富弘美術館提供)

 クラブ活動の指導中の事故で手足の自由を失いながら、口に筆をくわえて絵画や詩の創作活動を続けてきた群馬県出身の星野富弘(ほしの・とみひろ)さんの作品50点を紹介する「花の詩画展」が5月10日から19日まで、東京都江東区の高齢者福祉施設「故郷の家・東京」で開かれた。星野さんが4月28日に呼吸不全のため78歳で亡くなった突然の訃報を受けて「追悼展」と位置付け、記帳台も設けられた展示会には多くの関係者やファンが足を運んだ。
 今回の開催は施設に入居する韓国出身の高良順(コ・ヤンスン)さんが30年以上前から抱いてきた夢が実現したものでもあった。星野さんの出身地、群馬県みどり市にある「富弘美術館」は開館から今年で33年目を迎え、入館者は700万人を突破。命の輝きや人生への思いを表現した作品展はこれまで全国各地約250カ所だけでなく、ニューヨークやサンフランシスコなど海外でも開かれており、国境を超えて「生きる力」につながる作品が今も共感を呼んでいる。(共同通信=田村崇仁)

 ▽体育教師の20代で頸髄損傷、残した作品は数百点

 「友人として彼の死を受け入れるにはまだまだ時間がかかる。それでもこの追悼展は一人の人間が78年生きた証みたいなもの。本人をしのぶ気持ちも含めて作品は生き残っていくし、その一歩を踏み出せる」。追悼展の開会に駆け付けた「富弘美術館」の館長で星野さんと幼なじみの聖生清重(せいりゅう・きよしげ)さんは5月10日、しんみりと思いを語った。
 群馬大卒業後、中学校の体育教師になった星野さんはまだ20代だった1970年、指導中に前方宙返りの模範演技を見せようとして起きた不慮の事故で頸髄を損傷し、首から下の身体機能を失った。入院中、見舞いにもらう手紙への返事を書きたくて、口で筆をくわえて文字や絵を書き始めたのをきっかけに創作活動をスタート。一字でも、一本の線でも描けるようになると、スポーツで新記録を出したような喜びがあったという。こうして四季の草花の水彩画に詩を添える「詩画」と呼ばれる作品を生み出し、次第に個展が話題となるようになった。


「花の詩画展」で紹介された星野富弘さんの創作活動の様子=5月10日、東京都江東区

 聖生さんによると、やんちゃで人を笑わせるのが大好きな少年だった星野さんは青春時代、器械体操やロッククライミングに熱中。筋骨隆々の鍛え上げた体から手足が動かなくなり、絶望の深淵に立たされた。それでも人生の過酷な現実を受け入れ、1点仕上げるのに半月から1カ月かかるという作品の数々は数百点に上る。朗らかな人柄でユーモアも忘れず「持てるもの全てを出し切って天国へ旅立った」と友人である故人を悼んだ。


追悼展で講演した「富弘美術館」の館長、聖生清重さん=5月10日、東京都江東区

 ▽やさしさの原点、追悼展に「母の日」でケーキのプレゼントも

 今回の「花の詩画展」はパンフレットに「やさしさとの出会い」と題されて「苺」という次の作品が大きく紹介された。
 「苺という文字の中に 母という字を入れた 遠い昔の人よ あなたにも 優しいお母さんが いたのでしょうね 時代は変わりましたが 今の子供達も 苺が大好きです お母さんが大好きですよ」


追悼展となった「花の詩画展」のパンフレット=5月10日、東京都江東区

 詩画展開催の実行委員長を務めた多胡元喜(たご・もとよし)さんは「星野作品はいつでもやさしさに出会える、というのがキャッチフレーズでもある。この作品も母への思いが伝わるもの。人と人との関わり方がいろいろ問われる分断の時代で、星野作品は人生の悲しみや苦しみを乗り越えて慰めを与え、生きる力になる。家族の絆や人としてのやさしさが多くの人に共感を呼ぶのでしょう」と解説する。

 展示会開催中の5月12日は「母の日」でもあり、生前の星野さんと交流があった山崎製パンの飯島延浩(いいじま・のぶひろ)社長から追悼展にイチゴのショートケーキ300個がプレゼントされたという。


「花の詩画展」開催の実行委員長を務めた多胡元喜さん=5月10日、東京都江東区

 星野さんが入院中、献身的に看護してくれた母への感謝をつづった作品「ぺんぺん草」は人気も高く代表作の一つだ。
 「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の 実を見ていたら そんな日が本当に 来るような気がした」


追悼展で展示された「ぺんぺん草」の作品=5月10日、東京都江東区

 ▽星野作品の魅力と生きる力の人生訓

 「花の詩画展」開催の実現には高齢者福祉施設「故郷の家・東京」に入居する高良順さんが30年以上前に「富弘美術館」で作品を鑑賞後、草花が咲く「鈴の鳴る道」と呼ばれるコースを車いすで散策していた星野さんと偶然出会って言葉を交わした体験が原点にあった。作品を通した心のつながりが、自身にとっても生きる勇気になり、周囲の尽力もあって開催につながったという。
 草花をモチーフにした星野さんの作品は、人生の悲しみや苦しみも描かれ、さまざまなことを教えられることも魅力の一つ。作品「生きているから」はそんな代表作といえる。
 「痛みを感じるのは 生きているから 悩みがあるのは 生きているから 傷つくのは 生きているから 私は今 かなり生きているぞ」


星野富弘さんを追悼する「花の詩画展」で置かれた記帳台=5月10日、東京都江東区

 そして人気作という「たんぽぽ」はシンプルな生き方を教えてくれる。
 「いつだったかきみたちが 空をとんでゆくのを見たよ 風に吹かれて ただひとつのものを持って 旅する姿がうれしくてならなかったよ 人間だってどうしても 必要なものはただひとつ 私も余分なものを捨てれば 空がとべるような気がしたよ」
 「花の詩画展」を開く会の会長を務めた社会福祉法人「こころの家族」理事長の田内基(たうち・もとい)さんは、そんな星野さんの数々の作品の中でも「サフラン」から日本と韓国で過ごした自分の人生を想い、胸が熱くなるのだという。風雨に耐え、ようやく一年に一度だけ薄紫色の美しい花を咲かせるサフランと自分を重ね合わせたような詩画である。
 「冬があり 夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく」
 2006年には名誉県民に選ばれた星野さん。想像を絶する苦悩の日々を乗り越え「私が私になってゆく」という言葉からは、障害を負っても新たな道を切り開き、後世の人々にも生きる喜びや希望を与えてくれる人生訓が伝わってくる。

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