地震でビル下敷き、妻と長女を亡くした居酒屋店主が、かつて家族で暮らした川崎で再開する「わじまんま」 思い出の腕時計と共に「いつか輪島へ戻る」
47NEWS / 2024年6月10日 10時30分
「復興するその日まで、ここで店を続けたい」。2024年1月1日に起きた能登半島地震で、石川県輪島市の居酒屋「わじまんま」の店主楠健二さん(56)は、倒壊したビルの下敷きになった妻由香利さん(48)と長女珠蘭さん(19)を失った。地震後は、かつて家族で暮らしていた川崎市で生活する。悲しみが癒えることはないが、いつかまた輪島で店を開くことを夢に、この場所で6月10日、店を再開した。6年前、移り住んだ輪島で開業したのと同じ日だ。(共同通信=乾真規)
▽衝撃、気絶、後悔
由香利さん(左)と珠蘭さんの遺影
地震が起きたとき、家族は店の上にある三階の自宅でだんらんしていた。1回目の揺れに驚き、外へ避難するため着替えていたとき、2度目の強い揺れが襲った。楠さんは背中に強い衝撃を感じ、そのまま気絶した。
飼い犬の鳴き声で目を覚まし、見渡すと店は隣のビルの下敷きになっていた。何が起きたのか初め理解できなかったが、われに返って家族を探し、近くにいた次男(21)と次女(18)をがれきの下から引っ張り出した。大きなけがもなく歩くことができた。
由香利さんと珠蘭さんががれきに挟まれていた。「痛い」「パパ水ちょうだい」。目の前で珠蘭さんが叫ぶ中、何度も水をあげた。珠蘭さんは2日目の夜になって地元消防団に救出され、「娘だけは助かった」と安心したが、出てきたときには亡くなっていた。由香利さんは圧迫死、珠蘭さんは低体温症だった。
「少なくとも長女はまだ生きていたんだよ」。自分にもっとできたことがあるのでは。今でも悔やんでいる。
石川県輪島市のビル倒壊現場で手を合わせる楠さん=2024年5月25日
▽倒壊現場で見つけた腕時計は、妻からの誕生日プレゼント
「今でも昨日が1月1日のよう」。心の整理がつかなかった楠さんは1月下旬~2月にかけて、倒壊現場で思い出の品を捜し始めた。昨年の誕生日に由香利さんからプレゼントされた腕時計と家族の思い出の写真が詰まったスマートフォンをどうしても見つけたかった。
石川県輪島市で倒壊したビルを眺める楠さん=2024年5月26日
初めは一人、がれきの山を前に途方に暮れたが、途中から災害ボランティア団体「コミサポひろしま」のメンバーも加わった。がれきの山のそばには輪島塗のおわんに盛られたカビの生えたお雑煮がそのままで、見るたび心苦しかった。
「あっ、あった!」。2月7日、大粒の雨が降る中で楠さんが時計を掲げると、周囲から歓声が上がった。銀色のベルトと青い文字盤は無傷だった。「1人でめげることもあったけど、多くの人が協力してくれて捜さなきゃという気持ちが湧いた」
地震が起きる前の昨年4月4日、楠さんの誕生日。近くの居酒屋で由香利さんが、よく時間に遅れる楠さんに、「ちゃんとしてね」との言葉とともにサプライズで渡してくれたものだった。「怒られるのは毎日だったけれど、それも楽しかった。いなくなって余計に寂しい」。また、涙があふれた。
ビル倒壊現場から思い出の時計を見つけた楠健二さん=2024年2月7日.jpg
捜索を続け、2月9日には珠蘭さんのスマートフォンも見つかった。ずっと時間が止まったような感覚で過ごしていたが「遺品を見つけたことで、やっと前向きになれた」という。
▽川崎の街並み
開店準備をする楠さん=2024年6月9日
その後、輪島に移住する2018年まで家族で暮らしていた川崎に戻り、「残された子どものため」と店の再開に向け動き出した。新しい店は京急川崎駅近くのビルの地下1階。魚などの食材は能登から配送で取り寄せ、能登半島の地酒「白菊」や「能登ちょんがりぶし」などをそろえる。店内には輪島から持ち帰った、能登の祭りで使う灯籠「キリコ」が飾られ、「関東に住む輪島出身の人の憩いの場になれば」と思いを巡らせる。
店のメニュー。裏には楠さんと由香利さんのイラストが描かれている
再び時が回り始めたが、心の整理はつかないまま。夜布団に入ると、いつも横にいたはずの妻がいないことを実感し、今も眠れない日が続く。
川崎の街並みは思い出が多く、歩くたび胸が苦しい。「なぜ自分でなくて、この2人が死んだのか」。見つけたスマートフォンの写真は怖くてまだ見ることができない。
「この店には2人の面影がないから、気持ちが落ち着く」。自宅には仏壇や思い出の品がある。逃れるように早朝から夜遅くまで店にこもり、開店準備にいそしんだ。
▽居酒屋が好きな2人「夫婦だから成り立ってきた」
夫婦の出会いは約30年前。由香利さんは当時楠さんが勤めていた居酒屋のアルバイト従業員だった。「自分のだらしないところをいつも正してくれるんだよ」。自然に付き合うようになり、程なくして結婚。2男2女に恵まれた。
長男(27)の出産を機に仕事を辞めた由香利さんだったが、夫婦そろって居酒屋が好きで、働きたい気持ちは募った。10年ほど前に川崎で店をオープン。夫婦で店に立ち、常連客に囲まれた。客と酒を飲みながら下らない話をするのが好きだった。
移住を提案したのは、輪島に近い石川県七尾市出身の由香利さんだった。次男は脳に障害があり、将来、3人で都会を離れてのんびり暮らすためだった。毎年、家族で輪島のキャンプ場で過ごすのが一家の恒例行事だったが、まさか住むことになるとは思わなかった。
初めは地域になじめず、涙する日もあったが、明るい2人の人柄が少しずつ受け入れられ、地元民にも愛される店になった。
2022年、楠さんに腎臓がんが見つかった。入院時、「もう会えないかも」と落ち込んだが、由香利さんは「大丈夫」と励ましてくれた。手術は無事成功。宴会続きで多忙な店を切り盛りしてくれた。常に自分のことは後回しで、人のことを考えて動いていた。
「夫婦だから成り立ってきた。今は一人だから不安しかないよ」。亡くなったばかりの頃、次男は「ママのご飯じゃないと食べない」と母親の死を理解できていない様子だったという。
川崎市の自宅で仏壇の遺影を前に手を合わせる楠さん=2024年5月17日
▽祝うはずだった二十歳の誕生日
3番目に生まれたのが珠蘭さん。初めての女の子で、目に入れても痛くないほどかわいかった。居酒屋の仕事で帰りが日をまたいでも起きて待っていて、家に入ると飛びついてよじ登ってきた。
家族が輪島へ移住する時、珠蘭さんだけは川崎に残り、祖母と暮らした。迷ったが、自分で決断したことだった。「つらい選択をさせてしまったけど、寂しいそぶりは見せなかった」。休みのたびに川崎から輪島へ飛行機で遊びに来た。
次男の世話をするため、看護師を目指していた。両親がいつか高齢で世話をできなくなったときを案じ、「施設に入れるなら、私がそこで働くから」と話していた。正月明けに実習が始まる予定だった。倒壊したビルのがれきからも使い古された看護学校の資料がたくさん見つかった。
昨年秋に写真館で成人式の前撮りをした時、感謝の手紙を渡された。「今まで育ててくれてありがとう」。夫婦で涙を流した。地震が起きた4日後の1月5日は珠蘭さんの誕生日。家族で二十歳を祝うはずだった。
▽遺志
次女からもらったスニーカーを履き、店のシャツを手にする楠さん=2024年5月26日、石川県輪島市
次女(18)は春から神奈川県内にある、珠蘭さんと同じ看護学校に通い始めた。仲の良い姉妹で、いつも2人で遊びに出かけていた。「パパが死んだら、私が面倒を見るから心配しないで」。将来は次男の世話をするつもりで、姉の遺志を継ぎ、日々勉強に励んでいる。
5月中旬、昔夫婦おそろいで履いていた赤と白のスニーカーを人生初のアルバイト代でプレゼントしてくれた。 「これ、次女が買ってくれたんだよ」。楠さんはもらった数日後、輪島市内で友人らと久々に食事をした際、うれしくて周りに見せて回った。トイレから帰ってきたときに間違えてスリッパを履いて戻ってきたことに気づき、みんなで大笑いした。
新たな店には「復興中」と書かれた札を掛け、客を迎える
川崎での店再開は、6年前に輪島で店をオープンしたのと同じ日に決めた。店名は変わらず「わじまんま」。午後5時半の開店後には、並んでいた客が次々と入店し、カウンターが埋まった。
悲しみは癒えないが「妻と一緒に店を開いた輪島へまた戻りたい」と前を向く。今もそばでは、思い出の腕時計が時を刻み続けている。
再開した店の厨房に立つ楠さん=6月10日午後
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