負けてヘラヘラ笑う若手は叱り飛ばした。成績が悪いのに年俸が上がってびっくり・山崎裕之さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(40)
47NEWS / 2024年6月19日 10時30分
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第40回は山崎裕之さん。ロッテで4番も務めたマルチな好打者ぶりを発揮し、埼玉移転で新たなスタートを切った西武では常勝軍団の土台作りに貢献しました。いぶし銀の輝きを放った二塁手は現役時代の話の中身にも渋さがにじみました。(共同通信=栗林英一郎)
▽かなわなかった甲子園大会での兄弟バッテリー
私の子どもの頃は少年野球チームとかが全くなかった。小学校から帰ったらランドセルを放り投げ、実家(JR上尾駅近くの和菓子店「伊勢屋」)の裏にあった造り酒屋の若い衆と一緒に野球をやりました。そこの大将が本当に野球好きで、若い衆が空いた時間に庭で野球をやっていても全くとがめられなかった。それが小学3、4年ぐらいじゃないですかね。
中学生になって野球部に入り、1年の春からレギュラーになりました。確かライトだったと思う。その後はピッチャーが多かった。藤田元司さんの投球フォームをまねた記憶がありますね。ジャイアンツでばりばり活躍されている姿を見て憧れた。野球部長が怖い先生でね。上尾高校で監督をやっていた野本喜一郎さん(西鉄などでプロ経験のある埼玉の名将)も時々、中学に見に来てくれた。
二つ上の兄が上尾高に進学したので、私もそこへすっと入りました。高校では、まずショート。それでピッチャーもやっていたんですけど、1学年上のピッチャーが北海道出身で夏が弱く、1年夏の大会は自分がほとんど放りました。兄がキャッチャーで、西関東大会の決勝で山梨代表の甲府工に負けました。勝っていたら兄弟そろって甲子園でやれたけれど、ピッチャーを続けてつぶれていたかもしれない。
インタビューに答える山崎裕之さん=2022年2月撮影
プロ野球の選手になりたいなというのは、中学まではあくまでも願望。高校に入るとスカウトの方が来られて現実味を帯びてきました。最後の自由競争でした(山崎さんの高校卒業は1965年の春。同年秋に第1回ドラフト会議が開かれた)。スカウトは球場にみえたり、あるいは家へ寄って父親が話を聞いたり。3年夏の大会が終わってからですかね。
オリオンズに入団してからも、契約金(当時は破格の5千万円ともいわれる)をたくさんもらって入ってきた新人だということで、やはり視線も厳しいものを感じました。かなりの負担になりましたね。いろいろ騒がれたとは思います。出場試合は1年目が半分ぐらいで、2年目はけがで30試合足らず。3年目が100ちょっとで、4年目になって何とかこの世界で飯を食えるようになれるかなと。「自信がついた」まではいかないですけどね。
▽逆シングルで捕ってのジャンピングスローに喜び
プロ2年目のシーズンに臨む19歳の山崎裕之さん=1966年1月撮影
5年目の69年にショートからセカンドに回って、野球の面白さがだんだん分かってきた。二塁手というポジションは非常に面白いなと思いました。ショートの場合は送球の面で一段と「間」がないですよね。これはちょっと悪口になっちゃうんだけど、送球が若干それたりなんかしても、一塁手の榎本喜八さんが体を伸ばして捕ってくれない人でね。両手で捕りにいくためにベースから離れてしまうっていうのがあった。セカンドは捕球してからの送球も、ランナーがいなければ余裕がある。二塁キャンバス寄りの打球なんかは見せ場。逆シングルで捕ってジャンピングスローで刺すのに喜びみたいなのを感じるようになりました。参考になったのは高木守道さんでしたね。内野のキーマンになって、サインやなんかで外野に伝達するところを、かなり任されていました。
ちょうど金田正一さんが監督になった73年から東京スタジアム(かつて荒川区南千住にあったロッテの本拠地)が使えなくなったんですね。ホームグラウンドがないわけですから、宮城に準フランチャイズを置いて、いろんな球場で試合をしました。下手をすると1カ月に2回ぐらいしか家に帰れない。私の子どもが、かなり小さい頃で「パパ、今度いつ来るの」って言われた。今じゃ笑い話ですけど。金田さんは所帯持ちには、例えば九州や大阪から仙台へ移動の時に「東京へ1泊してきていいよ。試合当日に入ってくれば」と配慮をしてくれました。
1976年6月、神宮球場での近鉄戦で本塁打を放つ山崎裕之さん。ロッテは73年から77年まで特定の本拠地球場を持たず、各地を転々としていた
各球場の土が硬いとか軟らかいとか、常に気を付けていました。荒れていれば自分のポジションだけでもトンボをかけた。情けなかったのは、仙台の試合が雨で流れた時、高校の室内練習場を借りたこと。いろいろありましたが、あまり文句を言っていた選手はいないですよ。その環境に準ずるしかないっていうことで。金田監督になって、とにかくトレーニングも練習もきつかった。その代わり、監督の気遣いというか食事の面なんかでもガラッと変わりました。トレーナーもキャンプの時は3人ぐらいいた。練習はさせるけども体のケアもしっかり、というところがあったと思います。
▽現場の査定基準を選手に全部伝えていた広岡監督
ロッテの時に優勝を2度経験し、ある程度の年齢になって79年に移転で西武となったばかりのライオンズに行ったんだけれども、チームとしては全くの寄せ集め。若い選手も負ける悔しさのない選手が多かった。そこを痛烈に感じました。敗れた試合のロッカーで、洗濯物を誰が籠の中へ持っていくか、ヘラヘラしながらじゃんけんなんかしたりして。もう腹が立って怒ったんですよ。「おまえら負けて悔しくないんか」って。それから煙たがられました。
1983年9月のロッテ戦で2千安打を達成し、ファンに応える山崎裕之さん=西武
ベンチが望む結果を出せる選手が良い選手だいう自分なりの理解がありました。私は打撃で大した成績は残ってないんです。パワーヒッターじゃないし、そうかといって打率を上げる選手でもない。中途半端な選手だったんだけれども、練習ではいろいろ場面を想定しながら打つようにしていた。例えばエンドランのサインが出たと思って右方向へ転がすとか、ショートの守備位置が二塁寄りなら三遊間に引っかけたりとか。西武の晩年の頃だけれども、フリーバッティングの最後の球は同点でツーアウト満塁、フルカウントというのを頭に置きました。ボール球を振ったら駄目ですよね。ストライクとボールを見極めてボールになればサヨナラ。そういういろんな想定をしました。
ゲーム展開で右方向へ進塁打を打たなきゃいけないとか、そういうのは100%、その気持ちにならないと意外と失敗したりするんです。広岡達朗監督時代の西武では、あの田淵幸一でさえ、ここという時にはチーム打撃をしましたね。それをみんながベンチで「ナイスバッティング」って迎える。やっぱりチームとして一つの塊になりますよ。団体競技はそういうところが非常に大事。
広岡さんは、例えば送りバントをきっちり決めたらプラス1点だとか2点だとか、そういう現場の査定を選手に全部分からせていましたね。フロントの方の査定はどうか分からないけども、現場はそういう査定をするということを。僕は8人の監督に関わってますけども、そこまで言ったのは初めてで、これはもう衝撃的でしたね。だから選手は指示に気持ちを100%向けられたと思います。言われた方からすると気持ちの切り替えができますよね。
私の成績が良くなかったシーズンがあったんですよ。「ちょっとダウンされるかな」っていうつもりで契約更改に行ったら、会社の評価、査定がライオンズの中で一番貢献しているということで年俸を上げてくれたんですよ。それにはびっくりしました。
2020年8月、ロッテ球団設立70周年記念イベントに出席した山崎裕之さん(右から2番目)=ZOZOマリンスタジアム
× × ×
山崎 裕之氏(やまざき・ひろゆき)埼玉・上尾高では投手兼遊撃手として1963年に選抜大会出場。65年に東京(現ロッテ)に入団し、70年のパ・リーグ優勝、74年の日本シリーズ制覇に貢献。79年に移籍した西武で82年から2年連続日本一に輝く。名球会入り条件の2千安打は83年9月に到達。84年限りで引退した。二塁手でベストナイン5度、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)3度。通算2081安打。46年12月22日生まれの77歳。埼玉県出身。
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