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「スーパーボランティア」が見た能登半島の今 地震発生から半年、受け入れたくても受け入れられない被災地の事情とは

47NEWS / 2024年7月8日 10時0分

チェーンソーで納屋の板を切り取る藤野龍夫さん=6月5日、石川県珠洲市

 能登半島地震発生翌日の1月2日夕方、ミニバンで愛知県小牧市の自宅を出た。現地を通る際、緊急車両の邪魔にならない時間帯を狙った。渋滞にも遭遇せず、日付が変わるころには石川県珠洲市に入った。車には水や食料、工具。道中は倒れた家や土砂崩れの箇所を見つけると、道路の端に寄せた。垂れ下がった電線にはタオルを結んだ。後続の車両が通りやすくするための工夫だ。
 自ら宿泊拠点を構え、重機や特殊車両を使って活動する「技術系ボランティア」の藤野龍夫さん(72)。東日本大震災を皮切りに、数え切れないほどの災害現場に駆け付けてきた「スーパーボランティア」だ。能登でも休みなく被災地の依頼に対応している。「したいことをさせてもらっているだけ」と話す藤野さんに、自治体や被災した人たちが寄せる信頼は厚い。


倒壊した建物の木材を運ぶボランティア=6月4日、石川県珠洲市

 地震から7月で半年。珠洲市にはつぶれた住宅や盛り上がったマンホールが手付かずのまま残っている。復旧・復興が進まない理由の一つに挙げられるのがボランティアの不足だ。実情を知ろうと藤野さんの活動に同行すると、受け入れたくても受け入れられない被災地側の事情が浮かんできた。(共同通信=古結健太朗)

※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。

 ▽大きく揺れた直後から
 ゴーという地鳴りで目が覚めた。6日3日午前6時半ごろ、石川県珠洲市。災害復旧支援ボランティア団体「チームふじさん」が拠点とする木造民家が、大きく揺れた。震度5強の地震だった。
 「この家が崩れたら死ぬ」。この拠点に泊まらせてもらい、ボランティアの活動を取材していた私(記者)は飛び起き、スマートフォンを握りしめ、寝間着のまま外に出た。チームのメンバーや周辺住民と話していると、後ろから声をかけられた。「被害があるかもしれないから見に行く。ついて来るか」。団体代表の藤野さんだった。既に青いヘルメットをかぶり、手にはトランシーバー。迷わず「行きます」と答えて、急いで着替えると軽トラックの助手席に乗り込んだ。
 2時間ほどかけて、市内で1人暮らしをする高齢者宅を回った。道路の両脇にはつぶれた家があったが、藤野さんによると、この日の地震で新たに倒壊した建物は見受けられなかった。何か月もこの地域で活動していた藤野さんには分かるようだった。けが人も見つからず、行く先々で声をかけられた。「来てくれてありがとう」。自治体職員でもない藤野さんはなぜ、即座に安否確認に動いたのか。車内で尋ねると、こんな答えが返ってきた。「下敷きになった人がいれば、僕らが助けたり消防に連絡したりもできるから」


「チームふじさん」のメンバーを指導する藤野さん=石川県珠洲市

 ▽「神様、仏様」
 藤野さんが初めてボランティアに参加したのは2012年。東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県南相馬市だった。
 能登半島では昨年5月にも震度6強の地震があった。今回はこのときに知り合った人を通じて空き家を紹介され、1月4日から滞在している。支援物資の運搬、倒壊家屋からの車や貴重品の取り出し、屋根の応急修理、エアコンや水道の修理など、主に珠洲市のボランティアセンターに寄せられた依頼に対応している。


水道を修理する藤野さん(右)=6月3日、石川県珠洲市

 6月5日午前は、元日の地震で崩れた納屋から耕運機とコメの保冷庫を取り出す依頼を請け負った。チェーンソーで壁の骨組みを切り取り、油圧ジャッキやショベルカーを使って屋根を持ち上げ、3時間ほどで活動を終えた。仮設住宅で暮らす依頼者は手を合わせ、頭を下げてこう話した。「これで畑ができる。神様、仏様」


耕運機を取り出した藤野さん(左から2人目)と感謝する依頼者(左端)=6月5日、石川県珠洲市

 こうした技術系ボランティアの団体は、発生直後から珠洲市や輪島市、七尾市など、能登半島の各地で複数が活動している。石川県災害対策ボランティア本部の担当者は言う。「行政の手が行き届かない点もカバーしていただき、ありがたい」

 ▽ボランティア活動は順調?他の災害より見劣りする数字
 藤野さんの活躍ぶりを見る限り、能登の被災地でのボランティア活動は順調に思える。ところが、他の災害に比べて見劣りする数字がある。社会福祉協議会などを通じて参加する「一般ボランティア」の活動人数だ。
 全国社会福祉協議会によると、石川県内各地の災害ボランティアセンターを通じて能登半島地震で活動した人は、5月26日までに延べ約9万人。2011年3月の東日本大震災では7月までに岩手、宮城、福島の3県合計で延べ約68万人、2016年4月の熊本地震は8月までに熊本県内で延べ約11万人だったが、いずれの地震に比べても少ない数にとどまっている。
 石川県の馳浩知事が発生間もない1月5日、X(旧ツイッター)にこんなメッセージを投稿した。「能登への不要不急の移動は控えて」。これがボランティアの足を止める要因になった、という声は根強い。他方で、馳知事の投稿前に現地で活動していた藤野さんは、むしろ原因はそれ以外にあると分析する。「能登半島地震は、いろいろな問題が重なって今の状況になっている」

 ▽「行ってくださいとは言えなかった」


主要アクセスルート

 能登半島でのボランティア活動の課題として藤野さんが挙げたのが「地理的特徴」だ。特に被害が大きかった珠洲市や輪島市など「奥能登」と呼ばれる地域は半島の先端にあり、陸路のアクセスは南からの一方向に限られる。金沢市から向かう場合、主なルートは二つ。自動車専用道の「能越自動車道・のと里山海道」と、国道249号線だ。石川県道路整備課によると、元日の地震発生以降、この2ルートを含めて県内で最大87カ所が通行止めとなり、奥能登全体が一時孤立状態となった。
 道路が復旧した後も、片側通行などに伴う渋滞が続いた。金沢市から本来2時間半程度でたどり着ける珠洲市まで、6時間以上かかる状況だった。県の災害対策ボランティア本部の担当者は本音を漏らした。「そんな中でボランティアの皆さんに『行ってください』とは言えなかった」
 6月上旬時点では、金沢市から珠洲市まで、地震前とほぼ同じ所要時間で行けるようになっている。

 ▽マッチングを阻む「在宅率」と「気質」


石川県珠洲市のボランティアセンター=6月2日

 自治体の社会福祉協議会を通じて活動する一般ボランティアは、住民から寄せられる依頼に応じて活動する。藤野さんによると、能登半島地震ではこの「マッチング」に課題が生じ、思うように動けない状況を生み出していた。
 珠洲市社会福祉協議会の神徳宏紀さんを悩ませる「住民の在宅率の低さ」もその一つだ。住宅内の片付けを依頼する場合、住民の立ち会いが必要になる。金沢市のように避難先が遠方の場合、立ち会い可能な日程は土日などに限られる。他方でボランティアは平日に活動する人もいる。依頼が届いても、ボランティアを派遣できない状況が続いているという。
 神徳さんは、能登半島の人たちの「気質」も影響しているとみている。都市部から離れた環境で自立した生活を送ってきた人たちの多くは、ボランティアへの依頼に抵抗があるというのだ。「個別に訪問して詳しく聞くと『実はこういうことをしてほしい』と打ち明ける住民も多い。依頼用の電話番号を渡しただけではかかってこない」。県外から入ったボランティアからも「能登の人は遠慮深い」との声を聞くという。チラシを配ってボランティアへの依頼を呼びかけているが、最近は減少傾向だ。
 珠洲市社会福祉協議会を通じてボランティア活動をする人は、6月上旬時点で1日100~150人ほど。神徳さんは言う。「ボランティアは足りてはいる。これ以上人が来ても、行ってもらえる場所がない。細く長い支援が必要だ」

 ▽「したくてもできない」を生んだ事前登録制


ブロック塀を片付けるボランティア=6月5日、石川県珠洲市

 制度上の問題で「ボランティアをしたくてもできない」という現象も起きた。
 石川県によると現在、能登半島地震の被災地でボランティア活動をする場合、方法は主に三つある。(1)県の特設サイトから事前登録し、バスなどで向かう(2)被災した市町村の社会福祉協議会が運営するボランティアセンターに事前予約し、現地に向かう(3)NPO法人などの活動に参加する―。課題が指摘されたのは(1)だ。
 13年ほど前からボランティア活動を始め、珠洲市のボランティアセンターを通じて活動した熊本市の宮成央さんは、県の特設サイトで事前登録し、週に一度公開される募集に5回申し込んだ。ところがいずれも定員オーバーで、6回目まで待たなければならなかった。「これまで行ったところは当日受け付けで、何人でも受け入れるのが通常だった。もどかしさは感じるが、ルールに従うのがいいかなと思った」と振り返る。
 県は事前登録制を採用した理由をこう説明する。「発生から半月ほどは、市町村の社会福祉協議会でニーズのマッチングといった受け入れ体制が整わなかったため」。現在は、必要とする人数を県がとりまとめて派遣バスを運行している。まとまった数の団体ボランティアを受け入れている市や町もある。

 ▽ボランティアセンターの運営「今回を機に」変革を


多くの建物が倒壊した石川県珠洲市=6月4日


ショベルカーで崩れた家を道の端に寄せる藤野さん

 「スーパーボランティア」として数々の現場に立ち会ってきた藤野さん。災害時のボランティア受け入れについて、体制の変革が必要だと提案する。「社会福祉協議会に任せるのではなく、市や町が管理するべきだ」。社会福祉協議会は本来、介護事業や障害者福祉の支援に当たっており、それらの業務は災害発生時も続く。能登半島地震でもそうだったように、南海トラフ巨大地震のような災害では、社会福祉協議会の職員も被災者になる。藤野さんは訴えた。「国が『災害庁』を設置するなど、日頃から多くの人でボランティアセンターを運営できる仕組みを作り、備えておく必要がある。今回を機に変わってほしい」

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