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マトリのS(スパイ)となった大物密売人の末路とは 実名インタビュー「命がけで協力したのに裏切られた」

47NEWS / 2024年7月5日 10時0分

取材に応じる渡辺吉康元受刑者=2024年5月16日、東京都港区

「S(スパイ)になってくれないか?」。麻薬取締官(マトリ)からそう誘われ、密売グループの捜査に協力した末に、薬物所持で警察に逮捕された大物密売人の男がいる。約6年半、名古屋刑務所で服役していたが昨年末、仮出所した。
 男は法廷で、Sとして違法薬物の取引を通じ捜査協力をしていた状況について説明したが、担当の取締官は「男が違法な取引に関わっていたとは聞いていない」と突き放した。男は仮出所後の今も、「危険を冒して命がけで協力してきたのに、裏切られた。トカゲのしっぽ切りだ」と憤りを隠さない。今回、実名でインタビューに応じ、知られざるSの実態と、身を滅ぼすまでの一部始終を語った。(共同通信=武田惇志)

 ▽「誰かいねえか」


名古屋刑務所収監中の渡辺元受刑者から届いた手紙

 男は渡辺吉康元受刑者(62)。メキシコに本拠がある麻薬組織のメンバーとして“カルロス”という通り名で知られ、捜査関係者の間では大物密売人としてマークされていた。薬物関係の前科は数多く、これまでに刑務所で暮らした期間は計約27年に及ぶという。


名古屋刑務所のプレート=愛知県みよし市

 東京都内の待ち合わせ場所に現れた渡辺元受刑者は、無地の白Tシャツにジーンズというシンプルないでたち。目を引いたのは左腕にはめられた金縁の腕時計ぐらいだった。
 渡辺元受刑者によると、Sとなったきっかけは、コカイン密輸事件で懲役6年の刑を受けて大阪刑務所に服役していた2008年ごろ、ある刑事事件で警察に協力したことだったという。
 情報提供を求められた際、たまたま旧知の刑事だったこともあり、知っている情報を供述した。それにより、捜査当局からは協力的な人物だと見られるようになったと、渡辺元受刑者は説明する。
 13年秋に出所すると、近畿厚生局麻薬取締部の関係者から連絡があったという。翌14年7月10日、大阪市中央区の合同庁舎内にある麻薬取締部を訪問。テーブルのある別室に通されたが、そこで出迎えたのがベテランのX麻薬取締官だった。渡辺元受刑者は言う。
 「そのときに『誰かいねえか』って聞かれたんで、『じゃあ一つだけくれてやるわ』って、Yという密売人の名前を伝えたんですよ」。渡辺元受刑者はそのとき、Yと金銭トラブルの状態にあったため、情報をつかんでいる密売人として、その名を挙げたのだという。
 「すると『おまえ、Yを知ってるのか!』と食いつかれて。それで密売所を全部教えたんです」。取締官からはYの顔写真を示されたため、「この男です」と署名して押印。さらに、地図も渡されたので詳しい拠点場所を指し示して署名・押印した。これらの経緯は調書としてまとめられている。
 X取締官は、渡辺元受刑者を車に乗せて密売拠点を案内させることもした。その密売人Yは後に、麻薬取締部によって逮捕された。

 ▽蜜月


近畿厚生局麻薬取締部の入る合同庁舎=大阪市中央区

 密売人逮捕に協力した渡辺元受刑者は、X取締官から「Sになってくれないか」と持ちかけられた。
 「『じゃあ俺に何をくれるの?俺はただ働きなのか?』って話になったわけですよ。そうすると、『仕入れたもの(違法薬物)に関しては売っていいから』と言われた。それで、『お、面白い話だな。これはまんざらうそじゃないな』って思ったんですよ」
 渡辺元受刑者によると、X取締官と交わした取り決めが、「2回目の取引までは泳がせる」ということだった。
 「つまり、(渡辺元受刑者と、捜査対象となった密売人が違法薬物を売買する)3回目の現場で捕まえるんです。1回目、2回目は泳がせてね。『じゃあ、1回目と2回目はどうすんの?』って聞くと、『こっちに持ってこられても、事件として挙げなくちゃなんないから(買ったものは)売っていい』とね。こういう密約があったんですよ」と渡辺受刑者は言う。それは、捜査対象からSであると怪しまれないためにも必要な方法だと、力説されたのだという。
 渡辺元受刑者によると、Sとして計10組の密売グループの捜査に関係。X取締官に対して「今から名古屋取引です」とメールで伝えるなど、逐次報告しながら、取引を通じて密売場所やアジト、倉庫などの情報を収集した。
 また、捜査対象者に接触し、その間に張り込んでいる取締官が対象者の顔写真を撮影するということもあった。ある外国人密売人の顔写真撮影に協力した際は、X取締官からは「バッチリ撮れました。ありがとうございます」というメールを受け取っている。
 双方の密会場所に選ばれたのは、閉店間際の喫茶店やファストフード店。喫茶店では、渡辺元受刑者が手に入れた薬物を渡したこともあった。
 焼き肉屋に2回行き、酒を酌み交わしたこともある。領収証は取締官側が受け取り、「麻薬取締活動費」として決裁を上げたと、後にX取締官は証人尋問で明かしている。
 X取締官は、渡辺元受刑者に会うと捜査日誌に「協力者渡辺吉康と接触」と記載した。初対面の14年7月から翌15年4月まで、31回の面会があった。
 「協力者」とあるのは、近畿厚生局麻薬取締部ではSについて、情報の確度が高く薬物の密売には関わっていない「協力者」と、情報提供期間が浅く密売に関係する疑いがある「情報提供者」の2種類に分類されていたためだ。
 それについて、公判で渡辺元受刑者の主任弁護人を務めた市川耕士弁護士(現在は高知弁護士会)はこう説明する。
 「密売に関わっている人物との頻繁な接触を記録に残したらまずいから、渡辺元受刑者を『協力者』と定義したのではないでしょうか。そういう位置付けにしておかないと、彼を検挙しないといけなくなるわけですからね」

 ▽「持ちつ持たれつ」


取材に応じる渡辺吉康元受刑者=2024年5月16日、東京都港区

 双方の“協力態勢”は半年ほど順調だったが、渡辺元受刑者が中東系の密売人グループと、大阪市内のホテルで取引に及んだ15年4月、恐れていた事態に直面する。
 「おまえと関係があった密売人が次々に逮捕されているらしいな。これ、どういう風に説明できる?おまえ、Sなんじゃないか?これが事実だとしたら、おまえ……」。渡辺元受刑者は、ホテルの中層階の一室で、密売人グループのリーダーからそう詰め寄られた。グループの中に、ナイフを持っている人間の姿も見えた。
 「そのときは思わず、『俺はロス・セタス(メキシコの麻薬組織)の人間だ。電話番号教えてやるから、電話かけてみろ』と答えたんです。それでひとまず疑いは晴れたんだけど、答え方次第では殺される可能性があったと思う」
 実はこの日、麻薬取締部とは別に、大阪府警の捜査員たちも近くで張り込んでいた。ターゲットは渡辺元受刑者。府警は独自のルートから、渡辺元受刑者の密売網を特定し、15年1月ごろから内偵捜査を始めていたのだ。「どんな薬物も扱っていた」「注文すれば1キロでも持ってこられると言っていた」「大阪で一番の大物密売人」などと、府警は別事件の容疑者らから情報を得ていた。
 府警は内偵捜査により、渡辺元受刑者の自宅、周辺人物、立ち回り先に加え、薬物を保管していたトランクルームを特定。そしてホテルでの取引から4日後の4月21日深夜、トランクルームに現れた渡辺元受刑者に令状を示して捜索し、保管されていた覚せい剤やコカインを発見して現行犯逮捕した。
 7月から大阪地裁で始まった公判では、渡辺元受刑者は「保管していた薬物は、Sとしての捜査協力の過程で入手したものだ」と主張し、Sとして麻薬取締官に協力していたと暴露した。
 しかし証人尋問に呼ばれたX取締官は、「当時、渡辺元受刑者が薬物に関わっているという情報は得ていなかった」「違法薬物の取引をするとは聞いていなかった」「(薬物所持が判明していたら)捜査対象にしていたはずだ」と突き放した。さらに、裁判長から「渡辺元受刑者は何のためにあなたたちに情報提供していたと思いますか?」と問われると「我々に協力したいという気持ちでやってくれてたと思ってます」と、渡辺元受刑者が自ら善意で捜査協力をしていたに過ぎないと訴えた。渡辺元受刑者は、信頼していた取締官の突き放すような言葉を聞き、強いショックを受けたという。
 他方で弁護側は、逮捕までに約200通のメールと約11時間の通話、31回の面会があった事実を示し、「取引に関与していたことを知らないわけがない。違法なおとり捜査だった」と反論した。

 17年4月に判決があり、大阪地裁は「X取締官の証言は、多数の面会や電話でのやりとりを合理的に説明しておらず、信用性は著しく低い。渡辺元受刑者が違法薬物の取引に及ぶことを十分分かっていた」と指摘。ただ、渡辺元受刑者も営利目的で取引に及んでいたとして、双方は「持ちつ持たれつ」の関係にあったと断じ、懲役8年6月の実刑を言い渡した。 


渡辺吉康元受刑者を巡る経過

 ▽Sになるとは

 渡辺元受刑者は名古屋刑務所で服役した。X取締官については、法廷で偽証したなどとして大阪地検に刑事告発したが、不起訴になった。
 Sとして活動したことで、勾留中に「おまえ、やってくれたな」「許さねえぞ」という文言が書かれた手紙を受け取ることもあった。拘置所や刑務所側も、報復の可能性を考えて情報が漏れないように極力、気を使っていたという。
「こんなことやんなきゃよかったなって。この世界、チンコロ(密告)が一番ダメなことだから。もし俺がつぶされた側の組織の人間なら、許さないですよ。だから拘置所では何をするにも全部個別で、面会に応じるときも職員4人が束になって囲んできて、周囲の収容者からシャットアウトされた。『こんなことするのはオウム事件の麻原彰晃並みですよ』と刑務官から言われたけど、刑務所でも同様の厳重さだった」


Sになったことを後悔していると綴る渡辺元受刑者の手紙

 23年12月に仮出所するまでの6年半、ずっと独房暮らしだった。その間に唯一の肉親である母親も亡くなり、天涯孤独となった。出所後は、万一の報復を恐れて最寄りの警察署に巡回を依頼したという。
 「服役中はずっと孤独だったから、何度も事件のことを考え続けた。俺が密売でもうけたのは間違いなくて、それで罰を受けたわけだけど、果たしてSを使った側はどうなのか?おとがめなしというのはおかしいんじゃないですかね。俺は危ない橋も渡ったが、あんなふうにトカゲのしっぽ切りをされるとはね。だからせめて、Sになるというのはどういうことなのか、伝えておきたいと思ったんです」


名古屋刑務所=愛知県みよし市

 渡辺元受刑者の体験について、薬物事件に詳しい一般社団法人「刑事司法未来」の石塚伸一代表理事はこう解説する。
 「Sの実態が公になることはほとんどなく、貴重な証言です。こうした話は氷山の一角ではないでしょうか。一度Sにされてしまうと、捜査員に薬物売買や薬物使用の秘密を握られた状態となります。なので、自分の意思で売買をやめにくくなったり、依存症者であれば回復支援の団体につながりにくくなったりしてしまう。倫理的に問題がある捜査手法ではないかと思います」
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