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「自分は何者」そこまで考える必要ない?虐待、いじめ、リスカ傷痕も大切な一部 「死んではダメ」手差し伸べた恩人のため「もう一度働きたい」

47NEWS / 2024年7月9日 10時0分

ダイハツ本社前で抗議活動をするYさん=2024年4月26日

 「障害者虐待は反対! 雇い止めはやめて!」。大阪府池田市のダイハツ本社前に声が響く。訴えの主は、2024年2月までこの会社で嘱託職員として働いていたYさん(30)だ。うつ病などがあり、23年3月に障害者枠で採用された。しかしミスをするたび上司から「障害を言い訳にするな」となじられ、継続を望んでいた雇用は1年で終わった。
 母からの虐待、学校でのいじめ・・・。戸籍上の性別は男性だが、性別への違和感も持ち続けてきた。これまでの人生で「自分は何者なのか」と悩み、「そこまで考える必要ないんちゃう?」という言葉に苦しんできた。復職を求める背景には、どん底にいたとき「死んではダメ」と手を差し伸べてくれた就労移行支援事務所のスタッフの存在がある。恩に報いるために願う。「もう一度働きたい」(共同通信=岡田学時)

 ▽顔も知らない父、母からは過酷な虐待

 Yさんは1994年に大阪で婚外子として生まれた。母は覚醒剤中毒で、父は会ったこともなく、顔も知らない。祖父母に養子として育てられた。
 4歳の時、祖父母宅で同居していた、覚醒剤で錯乱した状態の母から虐待を受け始める。腕をつかんで振り回され、クローゼットに閉じ込められた。祖父母から「この不良が」といつも怒鳴られていた母。「鬱憤を晴らすために自分に当たったのでは」とYさんは話す。
 仲たがいする祖父母と母の両方に嫌われまいと真面目に学校に通った。「得意な勉強で褒められることだけが存在意義でした」と自嘲する。
 しかし9歳のころ、学校に母が乗り込んで来て、同級生に「うちの子をいじめてるやろ」と言いがかりをつけた。このことがきっかけで、周囲からいじめられるようになった。
 母からはさらに、性的虐待も受けるようになった。耐えきれず自傷行為を繰り返すと、祖父から「おまえも母親と同じや」と怒鳴られた。長い間自分を虐げてきた母親と同じように見られたことが、悔しくてたまらなかった。
 中学生になっても、同級生からのいじめは続いた。


高校時代にクラスのメンバーと写るYさん(中央、提供写真)

 ▽在日、そしてトランスジェンダーとして


友人からもらった韓国の衣装、パジチョゴリを着るYさん(提供写真)

 在日コリアン3世のYさんは日本国籍だ。同じく日本国籍を持つ祖父は、Yさんによくこぼしていた。それは、自身が言われてきたという次のような言葉だった。「おまえは日本人じゃないから、日本人より成績が高くないと行きたいところいけないぞ」
 中学の同級生には「おまえは肌の色が白すぎる。日本人やない」と言われ、「民族と国籍が一致しない自分は何者なのか」と毎日思い悩んだ。
 高校卒業後は立命館大学の映像学部に入り、中国語や台湾語も学んで、台湾で戦時中を生き抜いた人々に話を聞いた。日本の統治政策で「日本人として生まれざるを得なかった」というお年寄りの言葉が、在日コリアンである自分を客観的にとらえるきっかけになった。卒業論文では、在日コリアンであることを隠して生活する人々の存在をまとめた。


大学時代のYさん(提供写真)

 Yさんは幼少期から自らの性別違和にも思い悩んでいた。
 「4歳ぐらいから祖母の化粧品を試しては、ばれないようにウエットティッシュで拭き取っていました。そのティッシュはすぐにトイレに流して」
 9歳のころに見た京劇では、英雄に愛された女性「虞美人」役の俳優の演技に感銘を受けた。「こんなにきれいな人を男性が演じてるんだ。性別なんて関係ないんだ」
 しかし性について抱えていたもやもやについては周囲に明かせなかった。高校生になると、本格的に化粧や女性ファッションに興味を持ったが、家で隠れて楽しんだ。
 「今のようにLGBTQといった存在が広く認識されていない時代。誰にも言えずつらかった。自分は性的マイノリティーではないと思っていた」
 性自認が女性のトランスジェンダーだと周囲に言えるようになるのは、まだ先の話だ。


 


メイクをするYさん

 ▽結婚、そして離婚

 Yさんの性自認は女性で、恋愛対象も女性だ。図書館で出会ったベトナム人女性と交際し、23歳の時、カミングアウトをしないまま結婚した。しかし妊娠が分かった後「子どもを生んだら永住権をもらえる。もうあなたは必要ない」と、突然離婚を迫られた。
 自身の父親を知らないYさんは「仮面夫婦でもいいから離婚はやめよう」と説得したが「離婚しないと娘と心中する」と拒否された。自分が親権を取れば妻はベトナムに強制送還されてしまう。泣く泣く離婚を受け入れ、親権を妻に譲った。
 離婚後、子どもの頃から続いていたうつの症状が悪化。「死んだ方がマシや」。母からの虐待がフラッシュバックするといった急な発作の症状も現れ、工場の仕事を辞めた。何ヶ月かの間、体を売って飢えをしのぎ「毎日が地獄だった」。25歳の時にあらためてPTSDとうつ病だと診断された。

 ▽採用、しかし…

 支えになったのは、27歳だった2021年に知り合った就労移行支援事務所の職員Nさんの存在だ。就労移行支援事務所は、障害者総合支援法に基づく就労支援サービスで、一般企業への就職を目指す障害を持つ人のサポートをする。精神的、肉体的、経済的に苦しい状況だったYさんに、担当となったNさんは親身に向き合ってくれた。「絶対に死んではだめ。生きないと」。初めて自分に助けの手を差し伸べてくれた人だった。
 Nさんのサポートもあり、2023年3月、Yさんはダイハツの嘱託職員に障害者枠で採用され、社内の安全設備の点検や管理を担う部署に配属された。「正社員登用を考えている」と言われ、うれしさと同時にほっとした。
 しかし上司は、Yさんの仕事のミスに「考え方がおかしい」「障害を言い訳にする癖を辞めろ」などと無遠慮な発言を繰り返したという。支援事務所からダイハツに対して言動を改めるよう繰り返し申し入れたが、変わらなかった。
 8月ごろからうつ病が悪化した。抗不安薬の副作用もあり、業務中にはさみで左手を切るけがを負ったが、上司から「ため息が出てしまう」などと言われた。フラッシュバックの症状が再び現れるようになった。上司からの発言について会社のハラスメント相談窓口にも相談したが、「今後はお互いに注意する」という対応で終わったという。
 採用時には雇用継続や正社員への登用について言及があり、Yさんも雇用継続を希望していたにもかかわらず、23年12月、契約を更新しない旨を通告された。
 つらい思いをし、不信感も抱く会社だが、「頼れる人にしっかりと頼ってほしい。心の壁を作らないで」という人間としてのアドバイスをくれたNさんへの恩返しにもなると、復職を願う。「障害をもつ人が同じような目に遭わないように、より働きやすい環境になるように、引き続き社内で頑張りたい」と話す。


ダイハツ本社前で抗議活動をするYさんら4=2024年4月26日

 ▽「同じ人間と知って」

 Yさんは離婚後の27歳の時、周囲にトランスジェンダーだとカミングアウトした。友人に「これが自分だと受け止めてほしい」と言えた時、とてもすっきりしたという。明るい髪色にたくさんのピアス。これも自分のアイデンティティーを示すため。何度もリストカットした傷痕も自分が生き残ってきた証、大切な自分の一部だ。隠すことはしない。
 母とは何年もの間会っていない。祖父母とも距離を置き、年に数回、元妻と暮らしている娘を交えて会う程度だ。
 現在のパートナーの女性はYさんについて「芸術が好きなところなど、お互いに通じ合うところがあって。自分にとって未知のものを持っていて、すごく気になるというか、一緒にいて楽しい」と話す。
 ダイハツへの抗議活動では、合同労働組合の後押しを受けて、自身に対するハラスメントや障害者差別についても認めて謝罪するよう求めている。
 活動を通して社会に伝えたいことは何か。
 「国籍、民族、ジェンダー、障害。『自分は何者なのか』と悩んできたが、周囲からの『そこまで考える必要ないんちゃう?』という言葉が苦しかった。当事者にしか分からない葛藤があり「自分は普通でない」と苦しんでいる人がたくさんいる。そういう人たちを知って、いろんな違うところがあるけれど同じ人間なんだということを知ってほしい」


ダイハツ本社前で抗議活動をする人たち=2024年4月26日

 ▽ダイハツのコメント

 上司や関係者へのヒアリングなど事実関係を確認したが、(Yさんの)訴えにあるようなパワハラ(障がい者虐待・差別)といった事実は認められませんでした。契約期間満了に伴う雇用契約終了は、勤務態度や職務遂行能力を踏まえ、総合的に判断したものです。この件について、是正勧告書・指導票等による行政指導を受けた事実もありません。

 ▽取材後記

 「ダイハツはパワハラを謝罪してください」。森友学園問題の端緒となる裁判を起こした大阪府豊中市の木村真市議から、「今度こんな抗議活動行うので来てください」とチラシをもらった。ちょうど認証不正でダイハツが揺れているとき。声を上げているYさんに一度話を聞いてみようと、2月、本社前に向かった。
 「障害者だから特別な配慮をしない」「障害を言い訳にしている」。Yさんに話を聞く限り、確かに会社で心もとない言葉を受けている印象を受けた。しかし、これだけで明らかにパワハラがあったと決めつけることはできない。Yさんへのさらなる取材と、ダイハツ側への接触を進めることにした。
 Yさんに何度も会い、やりとりを重ねる中で、ジェンダーや国籍の面で「マイノリティー」として生き、さらに親からの虐待や周囲からいじめを受けてきた経験を聞けた。容易に想像できないほど「壮絶」な人生だと思った。
 「性的マイノリティー」や「いじめ」といった一つ一つの要素に目を向けることはあったものの、これらを複合的に抱える人の存在を考えたことはなかった。Yさんの精神障害の背景には、生い立ちやアイデンティティ、家庭環境などが複雑に絡み合っており、「自分は何者なのか」と思い悩んでいた。
 ダイハツはYさんが訴えているようなパワハラはなかったとコメントした。それ以外の詳細について回答しないため、実態はどうだったのかは未だ明らかにできていない。しかし、もし上司がYさんの特性の背景にあるものを知ったり想像したりしていれば、Yさんは今もダイハツで生き生きと活躍していたかもしれないと思った。
 本人でも「何者か」と思い悩むほど多くの要素を複合的に抱え、それが原因で苦しんでいる人がいる。社会もそのような人の存在になかなか気づけない現状がある。無意識のうちに知っているワードで、「この人はこんな人」と固定観念で決めつけて見ているのではないか。いま一度想像力を働かせる努力を惜しまずに生活したいと気付かされた取材だった。

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