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水俣病マイク遮断問題で発言を封じられた82歳男性が伝えたかった妻の記憶と、国に願うこと 68年たっても全容解明されぬ「公害の原点」、環境省の不手際の背景に浮かぶ、患者認定の高いハードル

47NEWS / 2024年7月7日 10時30分

水俣病患者連合の松崎重光副会長(左から2人目)らに謝罪する伊藤環境相=5月8日、熊本県水俣市

 5月8日、熊本県水俣市。「深くおわび申し上げます。本当に申し訳ありませんでした」。頭を下げる伊藤信太郎環境大臣の姿があった。向かう相手は、水俣病の被害者団体の一つ「水俣病患者連合」の松崎重光副会長(82)。その1週間前、水俣市で開かれた環境省との懇談で、発言を途中で遮られた「マイク遮断問題」の当事者だ。
 懇談の場で松崎さんは、被害を訴えながらも患者認定されないまま、約1年前に79歳で亡くなった妻悦子さんとの思い出を語っていた。環境相に直接、思いの丈をぶつけられる機会は、ほとんどない。無念のまま離別した妻の最期を振り返っていたその時、不意にマイクが切られた。「1団体3分」の持ち時間を超過したことが理由だった。


 このマイク遮断問題で環境省は強い批判を浴びた。伊藤環境相は8日、松崎さんへの謝罪の場でこう宣言した。「環境省が水俣病被害者の皆さんと真摯に向き合って、解決できるようにしっかりと環境行政を全力で進める」
 水俣病は公式に確認されてから68年が経過したものの、被害の全容はいまだ明らかになっていない。被害者側は、症状を訴える人々のさらなる救済を求めている。患者認定や損害賠償を求める訴訟も続く。「公害の原点」とも呼ばれる水俣病を巡る混乱。何が解決していないのか。(共同通信=小松陸雄)

 ▽あの日、松崎さんが訴えたかったこと

 水俣病が公式確認されたのは、日本が高度経済成長の入り口に立ち、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた1956年。5月1日に熊本県水俣市の漁村で「原因不明の疾患」が発生したと水俣保健所に届け出があった。その5月1日には毎年、水俣病犠牲者の慰霊式が水俣市で執り行われている。そして慰霊式の後には例年、環境省の主催で懇談の場が用意される。
 今年の懇談は、伊藤環境相のあいさつで始まった。「皆様のお話を伺える重要な機会だ」。取り囲む被害者団体の参加者らを前に、こう呼びかけた。


熊本県水俣市で開かれた、水俣病患者らでつくる団体と伊藤環境相(右上)の懇談=5月1日

 松崎さんは簡単な自己紹介を済ませ、妻悦子さんの話を始めた。「私の家内は、去年4月に『痛いよ痛いよ』と言いながら死んでいきました」


伊藤環境相との懇談で発言する水俣病患者連合の松崎重光副会長(左)=5月1日、熊本県水俣市

 2人が出会ったのは、松崎さんが15歳のころだ。漁師の父を亡くした悦子さんは、弟や妹を養うため、朝早く漁船に乗った。着衣に魚の鱗をつけたまま遅れて登校することも。松崎さんによると、悦子さんは強気だが、気が利いて「人間が良かった」。2人は9年間の交際を経て結婚し、漁師になった。住まいは、水俣市に隣接する芦北町だった。「ご飯を一緒に食べて、一緒に起きて、ずっと一緒。良い相棒だった」
 一方で、2人には水俣病の典型的な症状があった。松崎さんは20歳ごろから、手足のしびれや頻繁なこむら返り、耳鳴りが続く。魚が好きだった悦子さんはよく「頭が痛い」と訴えていた。
 2人が漁をしていたのは、水俣病の原因企業であるチッソの工場から、水俣病の原因となるメチル水銀が排出されていた八代海(不知火海)だった。取れた魚を市場に卸し、余った魚は食卓に並んでいた。
 しかし、2人は国から患者とは認められなかった。悦子さんは認定に向けた3度の申請を全て棄却された。未認定患者を救済するために国が打ち出した1995年の政治解決による救済策に応じたが、松崎さんは悔しさをにじませる。「他の人は認定されて(悦子さんは)悔しかったと思う」


2016年、金婚式を迎えた水俣病患者連合の松崎重光副会長と妻悦子さん(本人提供)

 環境相との懇談では、悦子さんの最期を話した。「『痛いよ、どうにかしてよ』と言っても私はどうすることもできなかった」。悦子さんを病院に連れていき、医者に懇願した。「痛みを取ってやってください」。しかし、死期を悟った悦子さんはこう告げた。「畳の上で死なんば(死にたい)」。悦子さんにはモルヒネが処方されたが、程なくして息を引き取った。
 松崎さんは話を続けた。「会社(チッソ)が水銀を垂れ流さんとこういうことにはならなかったんだがねえと、私はいつも家内と話していました」。すると、司会を務めていた環境省の職員が話を遮った。「お話をおまとめください」。松崎さんの持っていたマイクの音量がオフになった。松崎さんは小さくなった声で、続けた。「何で(患者認定の申請を)棄却ばっかりするんですか。まず救おうとする考え方は持ちませんか」


熊本県水俣市で開かれた、水俣病患者らでつくる団体と伊藤環境相の懇談=5月1日

 別の参加者が「聞いてやれえなあ大臣」などと続々と訴えると、マイクの音量が戻った。発言を途中で遮られる形となった松崎さんは戸惑いながらも、話を結んだ。「苦しんで苦しんで死んでいった者の気持ちも汲んでくれませんか。以上です」
 環境省の職員は懇談終了後、マイクを切った対応について問われ、苦しい釈明を繰り返した。「事務局の不手際でございました」「申し訳ございませんでした」。松崎さんのほかにもマイクを切られた参加者はいたが、伊藤環境相は皆の前で、断言した。「私はマイクを切ったことを認識しておりません」。怒号が飛び交う中、伊藤環境相は職員に付き添われながら会場を後にした。


熊本県水俣市で開かれた、水俣病患者らでつくる団体と伊藤信太郎環境相の懇談。被害者側の発言途中でマイクが切られ紛糾した=5月1日

 懇談に参加していた被害者団体の一つ、「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」の加藤タケ子事務局長(73)は、環境省の対応を嘆いた。「人の心を持って聞いていれば、あんな対応はできない。患者側の声を機械音としか聞いてない」

 ▽被害者側が求めているのは

 マイク遮断問題から1週間後。松崎さんは謝罪に訪れた伊藤環境相に対し、こう訴えかけた。「未認定の方々がいっぱいいる。その代表として私たちは活動している」。亡くなった妻の悦子さんのように、症状を訴えながらも患者と認定されない人は数多くいる。


謝罪に訪れた伊藤環境相(右)と話す水俣病患者連合の松崎重光副会長=5月8日、熊本県水俣市

 そもそもの話となるが、水俣病は中毒性の神経疾患だ。メチル水銀に汚染された魚介類を多く食べた住民の間で発生した。中枢神経を中心とする神経系に傷害を受け、手足のしびれや感覚障害、視野狭窄や運動失調などの症状が現れる。中でも「劇症型」と呼ばれる重症患者は、激しいけいれんなどを伴いながら亡くなった。根本的な治療法は今もなお、見つかっていない。


けいれんする水俣病患者の孫をあやす祖母

 国の公害健康被害補償法に基づく患者と認められれば、1600万~1800万円の一時金のほか、年金や医療費などの支給を受けることができる。
 それでは、患者として認められた人は、これまで何人いるのか。メチル水銀が流出した不知火海に面した熊本、鹿児島両県ではこれまで、2284人が患者として認定された。その一方で、延べ1万7950件の申請が棄却された(2024年5月末現在)。そして、1400人余りが今も審査の列に並ぶ。
 これまで多くの申請を棄却した患者認定基準は「厳しすぎる」との批判も多い。そこで、基準を巡る歴史を振り返る。
 環境省の前身となる環境庁が発足したのは1971年。主要な目的の一つが公害の防止だった。水俣病を巡っては、環境庁は発足の1カ月後に、有機水銀の影響が否定できない場合は患者認定するとの通知を示した。
 その後の1973年に、チッソの過失責任を認め、9億円超の賠償を命じた熊本地方裁判所の判決が確定した。この判決の影響もあって、患者認定の申請は急増した。


原告勝訴が言い渡された熊本地裁の法廷=1973(昭和48)年3月20日、熊本地裁

 しかし、環境庁は流れに逆行するような動きに出た。1977年に、患者認定には感覚障害とほかの症状の組み合わせなどを必要とする通知を新たに出したのだ。以降、患者認定は減る代わりに棄却者が急増する事態になった。


水俣病未認定患者の遺族が認定を求めた訴訟の上告審判決で勝訴し、万歳して喜ぶ原告ら=2013年4月16日、最高裁前

 患者認定にとっての追い風もあった。感覚障害の症状しか診断されなかった女性について、最高裁判所は2013年の判決で、「感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はない」と指摘し、患者認定を義務づけたのだ。
 それでも風向きは劇的には変わらず、1977年の認定基準は現在も固持されたまま。水俣病の公式確認から68年が過ぎた今もなお、患者認定を求める裁判は福岡高等裁判所などで継続中だ。
 松崎さんが所属する「水俣病患者連合」と、共に活動する「水俣病被害者獅子島の会」は今年5月1日に営まれた犠牲者慰霊式に合わせ、伊藤環境相に要望書を提出した。共に暮らした家族の中でも患者認定の判断が分かれるケースがあると指摘した上で、切なる願いをつづった。「認定未認定の差こそあれ、症状にはなんら違いがありません。医療・介護の面において、平等かつ公平に扱われることを望みます」

 ▽被害者側の求めに、国の対応は

 患者認定のハードルは高いものの、国側も未認定患者を一律に突き放してきたわけではない。国はこれまで、患者とは認められないものの一定の症状がある住民に対して、2度の救済策を実施した。
 1度目は1995年の政治解決だ。厳しい基準で認定申請を棄却された未認定患者が全国の裁判所に提訴していた。国は裁判などを終結させることを条件に、1人当たり260万円の一時金や、医療費などを支給する解決策を提示。約1万1千人が高齢化や裁判の長期化などを理由に、政府の提案に応じた。
 2度目の救済策が導入されたのは2009年。契機となったのは、これに先立つ2004年の最高裁判所の判決だった。


関西水俣病訴訟判決後、「国・熊本県の責任を認める」と書かれた垂れ幕を手にする原告団長=2004年10月15日、最高裁

 一部の被害者が1995年の政治解決に応じず、引き続き国と熊本県に損害賠償を求めていた。最高裁判所は水俣病の被害拡大を防止しなかったとして国と県の行政責任を認め、従来の患者認定基準より広く被害を認めるべきだと判断したのだ。
 この結果、患者認定を求める動きが再び急増し、国が「最終解決」とうたう水俣病特別措置法が成立。熊本、鹿児島両県で新たに計約3万6千人が210万円の一時金などを受け取った。


水俣病救済特別措置法が可決、成立した参院本会議=2009年7月8日午前

 被害者側にとっては一歩前進となった形だが、特措法からも対象外とされた人がいた。1995年の政治解決よりも救済対象は広がったものの、居住地域や年代が原則的に制限され、申請の受け付け自体が約2年で締め切られたためだ。
 この結果、水俣病の症状を訴えるも特措法で「非該当」とされた人や申請できなかった人は、全国各地の裁判所にそれぞれ提訴した。このうち、大阪地方裁判所は2023年9月の判決で、全ての原告の水俣病罹患を認定。今年3月の熊本地方裁判所の判決と、新潟水俣病を巡る4月の新潟地方裁判所の判決も、いずれも原告の一部の罹患を認めた。損害賠償請求に対する判断は分かれたものの、3つの裁判所がいずれも新たな罹患を認定したことで、いまだに救済されていない住民の存在を司法が明示した形となった。


水俣病特別措置法に基づく救済策で対象外となった人たちが国などに損害賠償を求めた訴訟の判決で、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告側の弁護士ら=2023年9月27日、大阪地裁前

 3つの裁判はいずれも控訴され、高等裁判所での審理に持ち込まれた。このうち熊本での裁判の原告たちは、平均年齢が75歳前後となっている。判決を前に亡くなった人も多い。原告側の弁護団は「死ぬのを待っているのか」と憤り、国や県に対し、早期の救済を訴えている。原告のほかにも被害住民は存在するとして、申請期限を定めない新たな救済システムの構築も求めている。

 ▽全容解明に向けた動きは

 2009年施行の水俣病特別措置法は、新たな救済策を盛り込んだだけでなく、メチル水銀が流出した不知火海の近くに住んでいた人たちに対する健康調査を、国が速やかに行うことも定めている。
 だが、国の対応は遅い。その背景として、水俣病の代表的な症状の感覚障害について、他の疾患との判別が難しいとの国の考えがある。このため、水俣病を客観的に診断するとして、脳磁計とMRIを組み合わせた診断手法の開発を進めてきた。2022年末には手法の精度が「一定の段階に到達した」と発表したものの、実施の見通しは立たない。
 水俣病はかつて、伝染する「奇病」と考えられ、差別や偏見の対象となった。加えて、チッソの企業城下町だった水俣で被害を名乗り出ると、脅迫されることもあった。「結婚できなくなる」などと被害を隠そうとした家族も多い。それだけに、47万人が住んでいたとされる不知火海の沿岸地域には、潜在的な被害者がいまだ多くいると考えられている。被害の広がりの全容は、今も見通せない状況だ。


水俣湾埋め立て地には、不知火海に向かって小さな石仏が点在している=熊本県水俣市

 環境相との懇談でマイクを切られたもう一人、「水俣病被害市民の会」の山下善寛代表(83)は、怒りを隠しきれない。「被害の広がりや深さを調べ、全ての対策の基礎になる健康調査を、国が1回もしないまま水俣病の対応をしていることが問題だ」
 懇談のあった5月1日には、山下さんの「水俣病被害市民の会」も加盟する「水俣病被害者・支援者連絡会」から伊藤環境相の手に、健康調査の実施や患者認定制度の見直しを求める共同要求書が渡された。


伊藤環境相(右)に要求書を手渡す水俣病患者=5月1日、熊本県水俣市

 7月8日と10~11日の実施となった伊藤環境相と被害者団体との再懇談を前に、団体の一つ「不知火患者会」の元島市朗事務局長(69)は「話を聞いてほしいわけじゃない」と強調。「解決に向けて前進する、双方向の意見交換ができる場にしたい」と話した。
 水俣病問題に詳しい熊本学園大の花田昌宣シニア客員教授(社会政策学)は、水俣病の被害拡大を防止しなかった国の責任が2004年の最高裁判所の判決で認められているという大前提に触れた上で、環境省に警鐘を鳴らした。「謝罪と償いをすべき国が立場をわきまえていない。環境省は被害者に耳を傾けるのが一番の仕事だ」
 水俣病の公式確認から、もうすぐ70年になろうとしている。だが、今年4月末の時点で、認定患者の約9割が亡くなるなど、被害を受けた住民に残された時間はごくわずかだ。環境省の姿勢が問われている。

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