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社会人野球最高の舞台・東京ドーム目指す「クラブチーム」 「打倒・大企業」の情熱と組織づくりとは

47NEWS / 2024年7月14日 10時0分

体育館で練習するB―net/yamagataの選手たち=3月、山形県中山町

 社会人野球の最高峰「都市対抗野球大会」が7月19日に開幕し、熱戦が展開される。最多優勝を誇るENEOS(横浜市)に、昨年優勝のトヨタ自動車(愛知県豊田市)―。言わずと知れた大企業がしのぎを削る舞台に続く道には、中小の地元企業などが支える「クラブチーム」も名を連ねていることをご存じだろうか。野球で頂点を目指すだけでなく、地域貢献にも重きを置き、行政との連携が功を奏した事例も。野球に情熱をかける二つのクラブチームの奮闘を取材した。(共同通信=内藤界)

 ▽お手製の練習場


体育館で練習する選手たち。スペースが限られるため、投球練習と守備練習を体育館内でクロスさせて行う=3月、山形県中山町

 3月中旬の平日。日が落ちた頃、山形市に隣接する山形県中山町の体育館に続々と車が集まってきた。昨年発足したクラブチーム「B―net/yamagata」の選手たちだ。


 「4月の試合までにグラウンドを使えるか分からないけど、きょうも頑張りましょう」。主将の稲毛真人さん(31)が集まった選手らに声をかけ、練習が始まった。体育館に隣接するグラウンドは雪が解け始めたが、まだ使える状態になく、冬場は屋内での練習が中心だ。バスケットボールコート2個分のスペースにブルペンやバッティングケージを設けたお手製の室内練習場で汗を流した。


体育館内に作ったブルペンでウオーミングアップする稲毛さん(左)ら=3月、山形県中山町

 ▽休部からの再起

 クラブ発足のきっかけは、山形市に本店を置く地方銀行「きらやか銀行」硬式野球部の休部だった。野球部は1952年の旧山形相互銀行時代に創設され、山形県唯一の企業チームとして活動。都市対抗にも3度出場した。本戦の舞台となる東京ドームの応援席には多くの人が駆け付け、2016年には強豪のパナソニック(大阪府門真市)を破り大会初白星を挙げた。


都市対抗野球でパナソニックを破ったきらやか銀行=2016年、東京ドーム

 しかし活動の基盤となる銀行の経営は苦しく、野球部は22年度をもって活動を無期限休止に。銀行側は「業務に注力するための苦渋の決断」と説明したが、部員らの間には事実上の廃部との受け止めが広がった。
 休部からまもなく、野球を続けたい選手の思いに応え、当時のスタッフらを中心にクラブチームが結成された。野球のつながりで地元・山形を盛り上げたいとの思いから「B―net/yamagata」と名付けた。きらやかでコーチを、B―netでは監督を務める舟田友哉さん(40)は「満員の東京ドームをもう一度見たいんです」と決意を語る。

 ▽スポンサー続々

 企業の後ろ盾を失ったことで、それまで会社が負担していた道具代や遠征費などを自分たちで賄わなければならなくなった。窮地に立ったチームに対し、山形県寒河江市で自動車販売店「プライムオート」を家族で営む渡辺達哉さん(41)が支援を申し出た。


チームを支援する「プライムオート」の渡辺さん(右)と石川さん=3月、山形県寒河江市

 渡辺さんは、きらやか時代からコーチを務める石川剛さん(42)と高校の同級生。「プロ野球チームがない山形にとって、きらやかは県を代表するチーム。再び頑張ってもらうために、何か役に立ちたかったんです」と振り返る。
 支援の見返りはユニホームへの社名掲示や、チームのホームページへの掲載。こうしたスポンサーが1年間で35社まで増えた。「ユニホームに名前が載っても、実際の還元は少ないはず。それでも『応援したい』という気持ちだけで支えてもらっているので、ありがたいです」と石川さん。チームの資金繰りにも少しずつ余裕が出てきた。

 ▽「山形のチーム」

 活動2年目に入り、選手総勢20人ほどだったチームが30人を超えた。当初はきらやか出身の選手が中心だったが、この春に山形大を卒業した新人らも含め、きらやかに所属していなかった選手が約6割を占めるまでになった。
 舟田さんは「いい意味できらやか色を徐々に薄め、『山形のチーム』として知名度を上げたい」と話す。山形には長年、社会人レベルの硬式野球チームが少なく、高校や大学を卒業後に野球を諦める人も多かった。舟田さんは「東京ドームを目指しながら、山形で野球を続けたい選手の受け皿になれれば」と先を見据える。
 活動初年の23年度は公式戦9勝4敗と勝ち星が上回った。ただ、きらやか時代にしのぎを削った東北の企業チーム「TDK」(秋田県にかほ市)や「七十七銀行」(仙台市)にはいずれも完敗で、都市対抗野球大会の舞台となる東京ドームにはたどり着けなかった。
 企業チームは練習そのものが仕事。一方、クラブチームは職場も一人一人異なり、平日の練習に全員がそろうのは難しい。そんなハンデも乗り越えようと、舟田さんは意欲を燃やす。「各自が自主練習に取り組み、人が集まる週末に監督の指揮で息を合わせる。そんなオーケストラみたいなチームを目指したい」と力強く言い切った。


選手に声をかける舟田監督=3月、山形県中山町

 ▽恵まれた環境

 和歌山県有田市。タチウオの名産地として知られる漁師町を4月に訪れると、土砂降りの雨だった。JR箕島駅から漁船が停泊する港の横を抜けると、築30年ほどとは思えないほど整備が行き届いた球場が姿を現す。有田市を拠点に活動するクラブチーム「マツゲン箕島」の練習拠点だ。


漁師町の和歌山県有田市=2019年

 「正直、ある程度の企業チームさんには負けない練習環境ですよ」。雨のグラウンドでウオーミングアップする選手たちを、監督の西川忠宏さん(63)が頼もしそうに見つめていた。

 ▽NPO法人に


選手に声をかける西川監督=4月、和歌山県有田市

 マツゲン箕島は、1996年に箕島高校野球部の卒業生を中心に立ち上げた「箕島球友会」が前身。2019年からは、和歌山を中心にスーパーマーケット事業を展開する「松源」(和歌山市)をチーム名に冠した。同社は長年チームのサポートを続け、現在は選手全員の雇用も担っている。
 創部10年目の06年には都市対抗に並ぶ冬の全国大会「日本選手権」に初出場するなど、着実にチーム力を向上させてきた。翌年にも同大会に出場し期待も高まる中で、集まる支援金の額も年々膨らんでいた。
 「額が大きいと、責任も大きくなる。ちゃんとクリーンに管理していることを示して、信用されるクラブにならないといけない」。そう考えた西川さんは法人化を決定。08年にNPO法人「和歌山箕島球友会」を設立した。和歌山のスポーツ振興や青少年の健全な育成を活動目的に掲げ、法人傘下に球団を置く。法律で義務付けられる事業報告書を作成し、収益や経費を明らかにした。「支援する企業からの目が変わりましたよ」と西川さんは手応えを語る。

 ▽年間1千万円寄付

 NPO法人化で生まれた最大のメリットは、ふるさと納税制度を活用した支援の拡充だ。
 総務省によると、地域活性化などを目的に、ふるさと納税の寄付先としてNPO法人を選ぶ自治体は少なくない。箕島球友会は、拠点を置く有田市内の支援先として15年度から採用され、多いときで年間1千万円を超える寄付が寄せられた。22年度は約930万円。全国には資金繰りに苦しむクラブチームも多い中で「十分うまくいっています」と西川さん。


球場内のチーム専用トレーニング室で調整する選手。さまざまな機器がそろう=4月、和歌山県有田市

 支援を受けるだけではない。同じ15年度からは、地元の活性化に貢献しようと、市のパートナー制度に参加した。月に1度ほど公園の草刈りや施設清掃などに従事している。市の担当者は「どうしても市の職員だけでは手が足りないこともある。若者が年々減る中で、若くて力仕事ができる球友会さんの存在は助かります」と歓迎する。地域を支え、地域に支えられる好循環が生まれているようだ。


雨のため球場の屋内スペースで守備練習するマツゲン箕島の選手たち=4月、和歌山県有田市

 西川さんは「これだけ支えてもらっている以上、そろそろ結果を出したいですね」と頭をかく。19年の日本選手権出場以降、近年は企業レベルの全国大会に出場できていない。「環境と野球への熱量は他のチームに負けませんよ」。地元の応援を背に、今日も練習に打ち込んでいる。


球場内を移動する選手=4月、和歌山県有田市

   ×   ×
 B―net/yamagataとマツゲン箕島は、6月までに行われたそれぞれの地区予選で惜しくも敗れ、7月19日に開幕する東京ドームでの本戦出場はならなかった。開幕試合には、昨年優勝のトヨタ自動車が登場。アマチュア野球最高峰の戦いは間もなくクライマックスだ。
 大企業チームにはない苦労や課題を抱え、乗り越えようと奮闘する全国のクラブチーム。夢の頂点を目指す戦いは、もう始まっている。

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