自分で決めれば逃げ道も後悔もない、節目ごとに巡り合うタイミングの良さ・福留孝介さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(41)
47NEWS / 2024年7月16日 10時0分
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第41回は福留孝介さん。大阪・PL学園高時代にドラフト会議で7球団から指名を受けた逸材は社会人野球に進み、五輪でも奮闘。中日から大リーグへと活躍の場を移し、日本球界復帰後は45歳までプレーしました。輝かしい球歴に不可欠な、意欲の源を明かしてくれました。(共同通信=栗林英一郎)
▽井の中の蛙にはなりたくなかった
僕が育った鹿児島県大崎町やその辺りは、小学生の部活動っていうのはソフトボールで、野球がなかったんですよ。小学3年の時に始めるとなって、一応足が速い方だったので、監督に言われて左打ちに変えました。ソフトボールって、やっぱり右と左では一塁までの到達の時間がだいぶ違うので。それまで右打ちで真剣にやってたわけじゃないから、そんなに気にすることはなかったかな。最初の頃はセーフティーバントとか、意外とそういう小技とかをしていた記憶があります。
小学校を卒業する頃に鹿屋ビッグベアーズ(中学生の硬式野球チーム)を知りました。高校へ行けば硬式なんで、早く慣れたいというのもあって中学校の部活に入らず、そっちの方に行ったんです。練習場へはバスで通いました。夏休みなんかは朝から家を自転車で出て1時間ぐらいですかね。そんなに練習が厳しいと思ったことはないです。監督は選手を大きく育てるっていうイメージですね。確かに作戦面で細かいこともありますけど、それよりもしっかりバットを振ってとか、そっちの方が強かったと思いますよ。全国大会で優勝しましたが、結構運もありますし、いいチームメートが多かったです。
PL学園への進学のお話をいただき、自分の選択肢の中に入れることができました。九州にいると「井の中の蛙」じゃないですか。ずっと周りの知っている人たちと同じレベルでというんじゃなく、全く知らないところで全く知らないものに挑戦してみたいっていうのはあったんです。もちろん甲子園によく出ているのも、PLから数多くの選手がプロになっているのも知っていました。やっぱり中学を卒業する頃にはプロ野球選手になりたいと思い、なるべく都心に近い方が人の目に留まる可能性は大きいかなっていうのは僕の中であったんです。
インタビューに答える福留孝介さん=2022年10月撮影
▽社会人野球に進んだ絶妙なタイミング
1年生から試合に出られたのは本当にタイミングの良さ。2、3年生が夏の大会前に遠征へ出ている時、残った1、2年生で近くの高校とPLのグラウンドで練習試合をしたんです。その時に僕がホームランを2本、3打席目にフェンス直撃かなんかを打ったのかな。それが中村順司監督の耳に入った。遠征後に1軍メンバーの練習に僕が合流しはじめた頃、サードを守っていた先輩が体調を崩され、大会に間に合うかどうかとなって、内野手の僕がそこに入ったんですよ。そういう意味では自分の力というより、運良くというのはありましたね。
(1995年の夏の甲子園大会では、北海道工の下手投げ左腕が膝元へ投じた変化球を右越えに満塁本塁打)もう一回あの打ち方をしろって言われても多分できないぐらい、うまく打ったと思いますよ。技術的な確信があったかといったら、まだ高校生で、そこまでの確信はないでしょうね。
1995年8月、全国高校選手権の北海道工戦で満塁ホーマーを放つPL学園時代の福留孝介さん(左)=甲子園
ドラフト会議では指名が抽選になると言われ、あの頃は意中の球団を公表することがご法度だったので一切言わなかったですけど、どの球団なのかは学校の先生や周りの皆さんは知ってたんで。
今はCS、BSといろんな放送があって、どこでも見られますけど、昔ってセ・リーグの試合しかやっていない。自分がプロに入った時に、実家のおやじおふくろ、おばあさんたちもテレビで見られる試合だという印象が、僕にはすごくあった。なのでセ・リーグに行きたいっていう思いが強かったですね。
ドラフト会議の中継は校長室で見させていただいた。近鉄に決まった時は校長室の電話を借りて「日本生命に行くよ」って親に言いました。
中学生の時もPL進学は最終的に自分で決めたんです。夜中の12時過ぎに担当の方に電話をかけて「テストを受けさせていただきます」って。自分で決めることによって逃げ道もないし後悔もない。
僕が社会人に進んだタイミングが良かったなと思うのは、ドラフトの次の年にアトランタ五輪があったんですよ。その日本代表にも選んでいただいた。そういう違う楽しさを、すぐに見つけることができました。普通に考えれば五輪なんて簡単に出られるものでもないですし、人生で一度あるかないか。それもまた一つ、自分の気持ちを(プロ入りから)切り替えるっていう意味で、すごくいいタイミングでした。
▽純粋なものが観客の注目を集める大リーグ
(99年、中日でのプロ1年目は132試合出場で打率2割8分4厘、16本塁打)出来過ぎじゃないですか。まさかそこまでと思ってなかった。内野であれだけのエラー(遊撃手ではリーグワーストの13失策)をしている中で星野仙一監督が我慢して使ってくださったんで、もう感謝しかないですね。2、3年目(ともに打率は2割5分台)はどうしても自分のイメージと結果が合わなかった。3年目のオフに監督や打撃コーチが交代し、この時に自分自身も何かを変えない限り、このまま終わってしまうなっていうのもありました。
2002年9月のヤクルト戦で本塁打を放つ福留孝介さん。このシーズンは打率3割4分3厘で初の首位打者を獲得した=ナゴヤドーム
2002年に新しい打撃コーチに佐々木恭介さん(近鉄監督時代は高校生の福留さんの交渉権を抽選で引き当てる)が来られて「俺の言うことを信じろ」って。今まで自分がやってきたことをゼロにして、言われたことを1から100まで全部聞いてみようと思いました。自分が変わろうと思ったタイミングと、周りの環境が変わったタイミングが一緒だったっていうのはありますね。唯一変えなかったのは左打ちでバットを振るってことだけ。それ以外のタイミングの取り方、バットの位置、手足の使い方、もういろいろ変えました。その年に首位打者を取って、プロでやっていけるかもと思いましたよ。
07年に肘の手術をアメリカで受けたんですね。時間があったんで大リーグの試合を球場で見た時に何かすごく新鮮だったんです。鳴り物があるわけでもなく本当に静かで、バットの音、投手のリリースする瞬間の音も聞こえた。こういう世界も面白いなって。けががなければ日本に残っていた可能性はありました。
2010年9月のパイレーツ戦で適時二塁打を放つカブス時代の福留孝介さん=リグリー・フィールド
野球とベースボールは、やっぱり別物です。人それぞれ感じ方はあると思いますけど、日本では全体的なバランス、向こうは遠くに飛ばすとか速い球を投げるとか本当に純粋なものが、お客さんの注目を集める。郷に入れば郷に従えじゃないですか。そういう野球を楽しんでみようかなと思ってました。大リーグは大ざっぱに見えますが、効率性じゃないですけど守備のシフトだとか、いろんなことを日本よりも先駆けてやっている。アメリカって意外とトレーナーの権力が強い。日本ではまずないですが、トレーナーが駄目って言ったら、監督が何を言っても駄目なんですよ。選手を守るために、そういうシステムがちゃんとしています。
▽小さい時から後悔することがほとんどなかった
日本へ戻る時に阪神を選んだのは良い選択だと、もちろん思っています。いろいろお話をいただいてましたけど、決め手が(甲子園球場の)天然芝だったんで。アメリカで5年間、人工芝の上でやることはほとんどなく、ここから人工芝って体への負担が大きいかなっていうのが、いの一番にありました。
2016年6月の広島戦で福留孝介さんは日米通算2千安打を達成し、ボードを手にする=マツダ
45歳まで現役を続けましたが、秘訣は何にもないんです。よく言われるんですけど、全然ないんですよね、本当に。ただランニングは人一倍、気を使ってました。人間って逆立ちして24時間歩けないじゃないですか。足は24時間歩けるでしょ。手と足どっちが強いのってなったら、間違いなく足。足が元気であれば何かいろんなことができると思ったんで、走ることはやめませんでしたね。シンプルな考えですけど。PLの頃からランニングは多かったですね。そういう癖もあるんだと思います。
考え方が前向き?どうですかね。小さい時から結構前だけ見ていく、むしろ、あの時ああすれば良かったなって思うことは僕は少ないですよ。少ないというか、ほとんどなかったですね。何か違うことをするのが楽しかったんですよね。次のことに、自分の知らないことに挑戦する。それができるってことが楽しかった。
2022年9月の引退セレモニーで、PL学園高の先輩でもある立浪和義監督と抱き合う福留孝介さん=バンテリンドーム
× × ×
福留 孝介氏(ふくどめ・こうすけ)大阪・PL学園高の1995年ドラフト会議で7球団から1位指名を受け、交渉権を得た近鉄入りを拒否して社会人の日本生命へ。99年に中日へ入団して首位打者を2度獲得。2008年から米大リーグでプレー。13年に阪神で日本復帰。名球会入り条件の日米通算2千安打は16年6月に達成。21年に中日に戻り、2シーズン後に引退した。日本代表では五輪とワールド・ベースボール・クラシックに2度ずつ出場。77年4月26日生まれの47歳。鹿児島県出身。
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