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言うこと聞かないと「気合」。県史も認める佐渡金山の朝鮮人強制労働、その痕跡を歩く 世界遺産登録へ「負の歴史」をどう説明するか

47NEWS / 2024年7月21日 10時0分

佐渡金山のシンボル的存在で、江戸時代の露天掘り跡「道遊の割戸」=2023年3月、新潟県佐渡市

  「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋(あっせん)』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」
 新潟県が1988年に発行した「新潟県史 通史編8 近代三」の文章だ。戦時中、佐渡金山などへの朝鮮人の強制動員・強制労働があったと記している。佐渡島を歩くと、あちこちに朝鮮人徴用工が働いた痕跡があった。証言も残っている。
 日本政府は「佐渡島(さど)の金山」の世界文化遺産登録を目指しているが、こうした強制労働の歴史があり、登録は簡単に実現してこなかった。(共同通信新潟支局)


 ▽世界最高水準


 佐渡島の金山は「相川鶴子(あいかわつるし)金銀山」と「西三川(にしみかわ)砂金山」で構成される鉱山遺跡だ。金の生産は400年以上前に始まり、17世紀には質、量ともに世界最高水準を誇った。採取から精錬までの手工業の遺構が残るのは珍しいとされる。


 日本政府は2022年2月、世界文化遺産への推薦書を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出した。しかしユネスコは、説明に不備があるとして推薦書を諮問機関イコモスに送らなかった。


 政府は2023年に推薦書を再提出。イコモスは今年6月、「登録」に次ぐ2段階目の「情報照会」を勧告。「世界遺産登録を考慮するに値する価値がある」とした上で、江戸時代だけでなく「鉱業採掘が行われていた全ての時期を通じた、全体の歴史を現場レベルで説明・展示する」よう求めた。明示していないが、朝鮮人の強制労働問題を指すとみられる。

 ▽露骨な差別意識

 冒頭の新潟県史に戻る。県史によると、1942年発表時点で、新潟県内で働く朝鮮人は三菱鉱業佐渡鉱山が最多の802人いた。
 家賃を徴収せず、日本語を教えるなどの「配慮」もあったとする一方で、労働条件を巡るストライキや、民族差別賃金を不満とする逃亡もあったと記す。
 県史は、三菱側が「露骨な『劣等民族観』を隠そうともしなかった」とトラブルの理由を断じている。
 旧相川町(現佐渡市)による1995年発行「佐渡相川の歴史 通史編 近・現代」も、同様の歴史を記録している。
 「1945年3月が募集の最終回で『総勢1200人』が佐渡鉱山へ来たとされる」。朝鮮人徴用工は複数の宿舎に収容され、日本人労働者より坑内作業を担わされる傾向が強かったと数字で示した。

 ▽社宅、炊事場…残る痕跡


かつて鉱山労働者の住居などが並んだ佐渡島北西部・旧相川町の京町通り=2024年6月

 記者は6月、佐渡島に渡った。地元で歴史を掘り起こし、語り継いできた小杉邦男さん(86)に案内してもらった。
 島北西部の旧相川町には、かつて鉱山関係者の住居や商店が並んだ「京町通り」がある。今は当時のにぎわいはなく、静かな路地だ。
 通り沿いに、つるが巻き付く門がある。門越しに旧相川拘置支所の建物が見える。朝鮮人用の社宅「第1相愛寮」があった場所だ。
 「土地自体そんなに広くないけど、当時は400人くらい住んでいたみたい」。小杉さんが解説した。


朝鮮人用社宅「第一相愛寮」跡地に残る拘置所の建物を案内する小杉邦男さん=2024年6月

 200メートルほど先の空き地には、草むらからコンクリートの土台がのぞいていた。共同炊事場の跡地だ。
 「朝鮮人労働者は皆、ここで食事したそうです」


朝鮮人が食事をしていたという共同炊事場の跡地を案内する小杉さん

 ▽世界遺産の範囲内

 日本政府は、江戸時代までの遺構が世界遺産の価値があるとしている。このためイコモスは、明治時代以降の遺構が多く残る相川町内の北沢地区を構成範囲から除外すべきだと勧告した。日本政府は受け入れる方針だ。
 しかし、炊事場と第1相愛寮があった場所は、まだ構成範囲内にある。他に第3、第4相愛寮跡地なども含まれる。現地に案内板などは存在しない。
 除外される北沢地区には、第2相愛寮跡地近くに、同じく朝鮮人が住んだ社宅跡地がある。付近は、広大な草原となっていた。


 「ここは元々グラウンド。みんなで運動会をやったそうです。寮からも近いしね」
 第2相愛寮跡地付近からは、北沢地区の「北沢浮遊選鉱場跡」と「50mシックナー」が見下ろせる。浮遊選鉱場は、採掘した岩の中から金や銀を抽出する施設。シックナーは、泥状の鉱石と水とを分離する施設だ。「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるスケールの大きい人気スポットだが、構成範囲から外れることになる。


構成範囲から除外するよう勧告された北沢地区にある「北沢浮遊選鉱場跡」と「50mシックナー」=2024年6月

 ▽捜し当てた元徴用工14人


朝鮮人労働者にたばこを配給した記録「煙草配給台帳」(写し)の表紙には「三菱第一相愛寮」とあった


「煙草配給台帳」には、朝鮮人労働者の名前と生年月日が記されている

 小杉さんら市民団体「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会」は、1990年代から歴史を掘り起こす活動を続けてきた。1995年7月には、韓国で佐渡の元徴用工を捜し当てた。
 きっかけは、京町通り沿いのたばこ屋兼郵便局で見つかった「煙草配給台帳」だ。相愛寮の朝鮮人にたばこを配給した記録で、名前と生年月日が並ぶ。これを基に、14人を特定できたが、既に死去した人もいた。
 1995年12月には、そのうち当時72歳の盧秉九(ノ・ビョング)さんと、当時73歳の尹鐘洸(ユン・チョングァン)さん、そして遺族の金平純(キム・ピョンスン)さんを佐渡に招き、証言集会を開いた。

 ▽言うことを聞かないと「気合」



1995年韓国で、捜し当てた元徴用工たちに話を聞く小杉邦男さん(一番左)ら=小杉さん提供

 元徴用工の2人は、日本人と待遇が違うと感じたことや、削岩など肉体的にきつい仕事を割り当てられたことを語った。
 韓国からの3人と小杉さんらは、当時の相川町長と面会。町長は過去を振り返り、迷惑をかけたとして「おわびしたい」と謝罪したという。
 小杉さんも関わり、別の市民団体が今年6月に発刊した「佐渡鉱山・朝鮮人強制労働資料集」には、盧さんと尹さんを含む多くの元徴用工の証言がまとめられている。
 盧秉九さんの証言。
 「1941年9月、18歳の時に役所から佐渡鉱山に行くよう命じられた。断れば軍隊に行かされるというので応じた」
 「毎日、朝と夜に皇民化教育と技術指導を受けた。朝、坑夫が全員集められ、天皇陛下を拝む。言うことを聞かないと『気合』を入れられた。殴るのが特徴だ」
 「同僚はダイナマイトの爆風でカンテラの火が消え、深い坑口に落ちて亡くなった」
 尹鐘洸さんの証言。
 「仕事は削岩した岩を集めたり、トロッコを運転したりで、ひどいほこりの中で作業させられた。年を取るにつれて、咳やたんが多くなっている」

 ▽朝鮮人労働者でにぎわう記憶

 佐渡には、朝鮮人労働者を記憶している人もいた。
 旧相川町で生まれ育った斎藤紀代子さん(84)は、戦時中に父が営んだそば屋が、朝鮮人労働者でにぎわっていたという。


戦時中に父が営んでいたそば屋があった場所に立つ斎藤紀代子さん=2024年6月

 「言葉が分からず怖かったが、頭をなでられたことや、何杯もそばを食べていたのを覚えている」
 鉱山労働者が集まる年に1度の行事では「朝鮮人労働者も出し物を披露していた」と話す。鉱山で事務職をしていた知人からは「仕事終わりの共同浴場の順番は、朝鮮人は最後にさせられていた」と聞いたと振り返った。

 ▽「歴史を独断と偏見で捉えるな」

 イコモスの勧告は「鉱業採掘が行われた全ての時期を通じた、全体の歴史を現場レベルで説明・展示すること」だ。説明展示は国際社会に通じる必要があるとの記述もある。小杉邦男さんは、これをチャンスと捉える。
 「世界遺産は歴史がベース。独断と偏見で歴史を捉えては駄目だ。過ちがあったら、二度と繰り返さないように認識しなければ。負の歴史を清算するべきだ」
 「世界遺産登録には賛成だけど、将来のために歴史を正しく認識し、整理しておかなきゃいけない」

 ▽存否さえ答えない「半島労務者名簿」


佐渡鉱業所を引き継いだ三菱マテリアルの子会社「ゴールデン佐渡」が運営する旧相川町にある観光施設「史跡佐渡金山」では、江戸期の採掘作業の様子を再現展示している=2024年7月、新潟県佐渡市

 三菱鉱業佐渡鉱山では、誰が働かされていたのか。「煙草配給台帳」以外に、労働者名簿はないのか。
 戦後補償問題に取り組む市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」(神戸市)の近代史研究者竹内康人さん(67)=浜松市=によると、三菱鉱業佐渡鉱山を引き継いだ三菱マテリアルの子会社「ゴールデン佐渡」が保有する「半島労務者名簿」がある。新潟県立文書館は、これをマイクロフィルムに撮影したものを所蔵しているという。
 竹内さんが2023年4月に文書館に照会したところ、存在を認めた上で「非公開」との回答があった。そこで竹内さんが5月、佐渡鉱山関連資料を文書館に情報開示請求すると、今度は名簿の存在自体が「非開示」とされた。


新潟県立文書館が入る県立図書館=新潟市

 ネットワークは今年6月、県に対し、「半島労務者名簿」を公開しないのは不当だとして、公開を求める要請書を送った。要請書は「名簿の存在は既に明らかで、隠すのは無理。名簿は佐渡鉱山の歴史を知るために欠かせない史料だ」としている。
 なぜ隠すのか。文書館の担当者に取材すると「原蔵者(ゴールデン佐渡)から問い合わせがあったら応答しないでほしいと言われている」との回答だった。名簿の存否さえ明らかにしなかった。

 ▽徴用工問題


観光施設「史跡佐渡金山」で再現された江戸期の採掘作業の休憩の様子=2024年7月、新潟県佐渡市

 日本政府は1990年代初頭、韓国政府の要請を受け、動員した軍人軍属や徴用工、挺身隊員など労働者の朝鮮人名簿を提供している。ネットワークは、佐渡の名簿も公開し、韓国側に提供すべきだと日本政府に要請書を送った。
 徴用工を巡る問題は外交問題ともなってきた。元徴用工らは1990年頃から、損害賠償を求めて日韓で訴訟を起こしてきた。日本政府は1965年の日韓請求権協定で解決済みだとの立場。2018年からは、労働を強制された徴用工には当たらないとして「旧朝鮮半島出身労働者」と呼び始めた。
 韓国最高裁は2018年、三菱重工など日本企業に賠償を命じた。これも日本政府は「断じて受け入れられない」との立場だ。韓国の尹錫悦政権は2023年3月、賠償金支払いを韓国の財団に肩代わりさせる解決策を発表している。

 ▽史実と向き合う

 問題にどう向き合うべきか。新潟国際情報大の吉沢文寿教授(朝鮮現代史)に話を聞いた。


取材に応じる新潟国際情報大の吉沢文寿教授

 「日中戦争が長期化して、国内で多くの男性が軍に動員される中で、国内の労働力が不足しました。1938年に施行された国家総動員法に基づいて労務動員計画が立てられ、労働力不足を補う形で朝鮮人が連れてこられた。自由意思というより、戦争を遂行するという国の要請で集められていた。これが徴用工です」
 「新潟県や佐渡市が率先して、地域の歴史を残し、継承すべきです。日本政府は史実を認め、歴史と向き合うことが必要です」
 「ユネスコには世界平和の精神があります。平和を構築するには、負の経験を超える必要があり、隠ぺいからは何も生まれない。朝鮮人の労働実態や生活が分かるような環境整備が必要です」

 ▽負の歴史をどう説明するか


佐渡市で現地調査するイコモスの調査員たち(文化庁・新潟県・佐渡市提供、撮影時期不明)

 韓国政府は、世界遺産登録に反対はしないが「強制労働の事実を含む全体の歴史を反映すべきだ」との立場だ。
 林芳正官房長官は「韓国とは誠実に議論している」、花角英世新潟県知事は「韓国との関係は、国が丁寧に議論していると理解している。見守りたい」と述べている。
 登録可否を正式に決めるのは、7月21~31日にインドで開かれるユネスコ世界遺産委員会。ここで、日本政府が“負の歴史”を紹介する計画をどう説明するのかが焦点となりそうだ。(取材・執筆=渡辺敦、神部咲希、井上慧、角南圭祐)

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