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ベンゲル効果で外国人監督が主流に 飲酒文化をなくしプロ意識を向上 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生④】

47NEWS / 2024年7月28日 10時0分

的確な補強でアーセナルに多くのタイトルをもたらしたベンゲル監督(中央)。1997年に獲得したフランス代表のプティ(左)とオランダ代表のオーフェルマルス(右)=1997年6月(AP=共同)

 大物外国人選手の流入により時代遅れと揶揄された「キックアンドラッシュ」のスタイルから徐々に脱却していったイングランドのサッカーに、さらなる改革をもたらしたのが外国人監督だった。その代表的な存在が1996年10月にアーセナルがJリーグの名古屋から引き抜いたアーセン・ベンゲル監督。日本からやって来た知名度の低いフランス人に当初ファンやメディアは懐疑的な視線を注いだが、それまで「1―0のアーセナル」というフレーズが定着するほど手堅さを売りとしていたチームに攻撃的なスタイルを植え付けて進化させた。(共同通信=田丸英生)

 ▽「革新者」ベンゲル


昨年エミレーツ・スタジアムに建てられたベンゲル監督の銅像=ロンドン


 少年時代だった1984年からシーズンチケットを持ってチームを追い続け、現在アーセナル・サポーターズ・トラストの幹部を務めるティム・ペイトン氏(51)は「外国から監督を招くのが珍しい時代でまだ閉鎖的な考えも残っていたので、もしいいスタートを切れなかったら『この外国人はイングランドのサッカーを分かっていない』と切り捨てられていただろう」と振り返る。シーズン途中の就任となった1季目で3位に入ると、的確な補強も実って2季目の1997~98年にリーグとイングランド協会(FA)カップの2冠を達成。そこから長きにわたって名将の地位を築き始めた。

 同じロンドンに本拠地を置くライバルの一つ、チェルシーでプレーしていたグレアム・ルソー氏(55)は「彼ほどこの国のサッカー文化に影響を与えた人はあまりいない。真の革新者だった」とインパクトの大きさを語る。イングランド代表の活動があると、多くの選手がベンゲル監督の練習内容に興味を示してアーセナルの選手を質問攻めにした。その中でも練習時間を細かく管理していたエピソードが印象に残っているという。


アーセナルの本拠地エミレーツ・スタジアムに描かれたベンゲル監督と無敗優勝した2003~04年シーズンの選手たち=2024年6月、ロンドン

 「最後に行うミニゲームはどれだけ白熱しても、アーセンは必ず終了予定の時間に強制的に終わらせた。納得できない選手が『決着するまで』『あと1点』などと訴えても聞かず、試合に向けて体を休ませる重要性を説いて納得させたようだ。プロ意識の高さは非常に共感できたし、自分自身はベンゲル監督の下で一度もプレーしたことがないのに最も大きな影響を受けた指導者の一人」とまで言う。

 ▽飲酒文化にも変化

 選手の飲酒が当たり前だった1990年代半ばまで、アーセナルには練習がオフの前夜に選手同士で飲みに出かける「火曜日クラブ」と呼ばれる慣習があった。当時の本拠地ハイバリー・スタジアムの近隣パブに選手が顔を出すことは茶飯事で、チームの一体感を高める重要な集まりとされていた。


かつてアーセナルの選手も出入りしていたハイバリー近隣のパブ。時代とともにオーナーや内装が変わっても、酒好きとして有名だったマーソンやアダムスの絵が飾られている=2024年4月、ロンドン

 他のクラブでも同様の文化があり、選手の飲酒をめぐるスキャンダルがタブロイド紙で報じられることも珍しくなかった。そんな時代にベンゲル監督は食事や飲酒の制限を設けてコンディショニングの細部にこだわり、外国人選手はプレーだけでなくお酒との付き合い方でもイギリス人と違ったスタイルを持ち込んだ。

 1993年からブラックバーンでプレーしたルソー氏が1997年にチェルシーに復帰すると、イタリア代表のジャンフランコ・ゾラやロベルト・ディマテオ、フランス代表のフランク・ルブーフら多くの外国籍選手が在籍し、以前と見違えるほど国際色が豊かなクラブに生まれ変わっていた。元オランダ代表のルート・フリットや元イタリア代表のジャンルカ・ビアリが監督を務めた時代は、試合前夜であってもチーム宿舎で食事のテーブルにワインボトルが置かれることもあったという。


ともにチェルシーで監督兼選手を務めた元オランダ代表のフリット(左)と元イタリア代表のビアリ(右)=1996年6月(AP=共同)

 ▽ピッチ外でも異国文化浸透

 「イギリス人が『一杯飲んだら止まらなくなるかもしれない…』と敬遠するのに対し、イタリア人であれば『これで眠りにつきやすくなる』とスマートにグラス半分だけ飲んで部屋に戻る。国によって酒に対する考え方が違うのは不思議だった」。こうしてピッチ外でも徐々に異国文化が受け入れられるようになった。

 チェルシーは世界最高峰だったイタリア1部リーグ(セリエA)で名選手として活躍したフリット、ビアリの前にも、かつてフランス1部リーグのモナコでベンゲル監督の下でプレーしたグレン・ホドルが監督を務めていた。

 「彼らはみんなイングランド式サッカーの良い部分を理解して残しつつ、国際的な考えを持ち込んだ。それにスポーツ科学を取り入れたら見事にはまった」とルソー氏。サッカーの「母国」のプライドを守りつつ、外国の血をバランスよく融合させることが、成功への近道として現在に至るまで多くのチームの指標となった。

 ▽外国人監督が主流に

 ベンゲル監督の成功が外国人指導者への抵抗や偏見をなくすきっかけとなり、2001年にはスウェーデン出身のスベンゴラン・エリクソンがイングランド代表で初の外国出身監督となった。2004年には伏兵のポルト(ポルトガル)を欧州チャンピオンズリーグ(CL)優勝に導いたジョゼ・モウリーニョをチェルシーが監督に招聘。ポルトガル出身で当時41歳の若きカリスマは、就任1季目にチームを50年ぶりのリーグ優勝に導いて新風を吹き込んだ。

 選手と同じように監督も世界のビッグネームが集まるようになり、近年はスペイン出身のジョセプ・グアルディオラ監督がマンチェスター・シティー、ドイツ出身のユルゲン・クロップ監督がリバプールを率いて多くのタイトル獲得だけでなく戦術のトレンドも生み出すなど圧倒的な影響をもたらしている。


プレミアリーグ2連覇を達成したマンチェスター・シティーのグアルディオラ監督(中央)。現アーセナルのアルテタ監督(中央左)がコーチを務めていた=2019年5月、ブライトン(ロイター=共同)

 2023~24年シーズン終了時、20チーム中15チームが外国人監督で上位6チームの監督の国籍はスペインが3人、ドイツ、オーストラリア、アルゼンチンが1人ずつ。これまで32シーズンの歴史でイングランド出身監督が優勝した例は一度もなく、2013年にマンチェスター・ユナイテッドの監督を勇退したスコットランド出身のアレックス・ファーガソンを最後に優勝監督は外国人が独占している。プレミアリーグ創設のキーマンの一人とされる元イングランド協会コンサルタントのアレックス・フィン氏は、四半世紀を超えて様変わりしたリーグを「外国人の選手、監督、そしてオーナーによる国際的なリーグが、たまたまイングランドを舞台にして行われているだけ」と表現した。


アーセナルの旧本拠地ハイバリーの跡地にできた集合住宅の外観は、かつてのスタジアムを模している=2024年6月

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