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豊富な資金で選手を呼び込みチーム強化、リーグを変えた外国人投資家 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生⑥】

47NEWS / 2024年8月4日 10時0分

プレミアリーグの試合前にファンが集まるチェルシーの本拠地「スタンフォード・ブリッジ」=ロンドン、2024年4月15日

 プレミアリーグの商業的成功は海外からの投資マネーを呼び、クラブを所有していた伝統的なイギリス人オーナーに交代を促した。世界的な大富豪、オイルマネーをバックにした中東の投資会社、サッカーを「金の卵を産むガチョウ」と見た米国人実業家が各クラブを品定めし、買い漁った。そうしたクラブは成功を金で買おうと有力選手の獲得に大金を積み、移籍金の高騰とさらなる商業化が一気に進んだ。

 その象徴がチェルシーだ。今でこそビッグクラブのイメージが強いものの1980年代には2部降格も味わい、1部リーグでも上位進出がやっと。同じロンドンを拠点とするトットナムやアーセナルと比べると存在感は薄かったが、2003年のオーナー交代を機に欧州を代表する強豪への道を駆け上った。


(共同通信=宮毛篤史)

 ▽「2000万ポンドの試合」

 チェルシーはプレミアリーグ開幕翌年の1993年に元イングランド代表のグレン・ホドルを選手兼監督として招き、1995年には元オランダ代表のルート・フリットも加わった。イタリア代表のジャンフランコ・ゾラといった海外のスター選手も招へいし、チームの多国籍化で他クラブを先行した。


「魔法使い」と称され、チェルシーで活躍したイタリア代表ゾラ=1998年5月

 イングランド協会(FA)カップや欧州カップウイナーズ・カップを制覇するなど一定の成功を収めたが、リーグ優勝には届かなかった。その半面、背伸びした投資や選手の高額年俸が重しとなり8000万ポンド(当時のレートで約150億円)もの負債を抱え、ファンの間では身売り話で持ちきりだった。そうした中、2003年5月にクラブの将来を左右する分岐点となる試合を迎えた。
 2002~03年シーズンのプレミアリーグ最終節、本拠地スタンフォード・ブリッジは異様な熱気に包まれていた。リバプールと勝ち点64で並んで迎えた直接対決で勝つか引き分ければ、4位をキープできる。翌シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)出場権が与えられ、2000万ポンドを獲得できるためだ。
 財政難にあえぐクラブにとっては、文字通り「生きるか死ぬか」の大勝負だった。イギリスメディアは「2000万ポンドのノックアウト試合」と騒ぎ立て、ファンらは「倒産まで残り90分間だ」と冗談を言い合った。

 ▽逆転でCL出場権獲得、そして買収へ

 選手たちは前日の夜、ロンドン中心部の高層ホテル「ロイヤル・ランカスター」に宿泊し、ベトナム戦争に従軍したアメリカの退役兵の講話を聞いた。退役兵は小隊の仲間が己の身を犠牲にして他の仲間を逃がしたというエピソードを話し、ピッチで「チームメイトのために死ぬ」ように促した。元イングランド代表のグレアム・ルソーは試合直前、トレバー・バーチ最高経営責任者(CEO)から声をかけられたのを覚えている。「お前が違いを生むんだ。お前がいいプレーをすれば、みんながいいプレーをする」
 試合はリバプールに先制点を許したものの、チェルシーが終盤に2点を入れて逆転勝利し、CLの切符を手にした。ただ、話はそれだけに収まらなかった。CL出場権の確保がロシアの大富豪ロマン・アブラモビッチ氏の目に留まり、クラブは7月に1億4000万ポンドで買収されることになった。

 ▽無名の存在、「一体誰それ?」


アブラモビッチ氏(左)と握手するチェルシーのケン・ベーツ会長=2003年7月(AP=共同)

 アブラモビッチ氏はロシアの新興財閥「オリガルヒ」の一人で、オイルマネーで財をなしたユダヤ系ロシア人の実業家だ。今でこそ名が知られるが、当時36歳で無名に近くファンの受け止めは一様だった。「アブラモビッチ?一体、誰それ?」。
 1976年からチェルシーを追い続けるグレアム・アンダーソンさん(57)は「当時はインターネットが今ほど発達していなくて得られる情報が限られた。新聞やテレビがどのような人物か報じるのを待つしかなかった」と、当時を振り返る。
 オーナー交代でクラブの経営は180度変わった。アブラモビッチ氏はポケットマネーで負債を肩代わりし、無利子で運営資金を融資した。1億5000万ユーロ(当時のレートで約200億円)を投じ、アルゼンチン代表FWエルナン・クレスポやフランス代表MFクロード・マケレレといったスター選手を初年度から集め、チーム力の強化を図った。

 ▽「スペシャルワン」、名将モウリーニョ

 歓喜の瞬間はすぐ訪れた。2003~04年シーズンにリーグ2位と躍進し、欧州CLでもクラブ史上最高のベスト4まで勝ち進んだ。好成績にもかかわらず、クラウディオ・ラニエリ監督をあっさり更迭。代わりに招へいしたのは、ポルトガルのポルトをCL優勝に導いたばかりだった当時41歳の若き名将、ジョゼ・モウリーニョだった。
 モウリーニョは就任会見で言い放った。「私を傲慢だと思わないでほしい。話していることは事実なのだからね。私は欧州の覇者になった。自分自身をスペシャルワン(特別な男)だと思っている」


41歳でチェルシーの監督に就任し、チームを強化したモウリーニョ氏(ロイター=共同)

 有言実行―。注目を集めたカリスマ的な指揮官の下、チームは38試合で15失点という記録的な堅守を誇り50年ぶりのリーグ優勝を達成し、マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルの2強時代に終止符を打った。


 強豪の仲間入りを果たしたチェルシーは現在までプレミアリーグ優勝5回、欧州CL優勝2回を誇る。「金で成功を買った」と後ろ指をさされもしたが、ファンは気にしていない。アンダーソンさんは「ロマンが来て監督や選手に資金を投下し、私たちファンの夢が全てかなった」と誇らしげに語る。
 ピッチ上の成功は世界的なスポンサー企業を呼び、ビジネスにも好影響を及ぼした。サムスン電子や横浜ゴムと大型契約を結び、ユニホームのメーカーはアンブロから米大手ナイキに衣替えした。2016年には15年間で総額9億ポンドとも言われる大型契約をナイキと結び、アブラモビッチ氏が買収する前に1億3400万ユーロだったクラブの売上高は4倍以上に膨れ上がった。


チェルシーの本拠地スタンフォード・ブリッジでチケット完売を知らせる看板=2021年11月、ロンドン

 ▽身の丈を超える投資で経営破綻

 チェルシーの成功にならおうと他のクラブも大金を投じて有名選手を獲得し、移籍金や年俸の高騰に拍車が掛かった。人気選手の獲得はクラブやリーグの魅力や競争力強化につながる一方、身の丈を上回る過剰投資にのめり込み、財政危機に陥るクラブも現れた。その代表が、かつて元日本代表GK川口能活も所属したポーツマスの経営破綻だ。
 ポーツマスは、アブラモビッチ氏がチェルシーのオーナーとなった2003~04年シーズンからハリー・レドナップ監督のリーダーシップでプレミアリーグに昇格。最上位リーグ復帰は1987~88年シーズン以来の快挙だった。


サッカーのFAカップで優勝し、カップを掲げて喜ぶポーツマスのカヌ=2008年5月、ロンドン(ロイター=共同)

 昇格後はイングランド代表のソル・キャンベル、ナイジェリア代表のヌワンコ・カヌら実績豊富な選手を獲得し、2008年には69年ぶりのFA杯制覇を果たした。しかし、その裏で収入を上回る規模の人件費を支出するなど財務は傷んでいた。選手売却でも穴埋めできず、相次ぐオーナーの交代による経営の混乱も響き、2010年に破綻。プレミアリーグ発足後、初の汚点となった。
 危機感を抱いた英政府は2011年、サッカービジネスの課題をまとめた報告書を公表し懸念を示した。「裕福なオーナーがより良いパフォーマンスを追求するために移籍金や選手の賃金に自分の資金を上乗せして提供すると、他のクラブにさらに費用を出すよう相当な圧力をかけることになる」。
 リーグは各クラブに財政規律を促す新たなルールの導入を進めるようになるが、一部の大物代理人が暗躍し、移籍金は高騰を続けた。規制を逃れようとするビッグクラブとのせめぎ合いが本格化していく。

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