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パリから2年後のW杯に。攻守の要だった3人はどう育った? 「1ミリ」細谷真大、国防レオブライアン、三戸ちゃん、それぞれの少年時代

47NEWS / 2024年8月28日 10時30分

三戸舜介(右)と細谷真大

 パリ五輪で23歳以下の男子サッカー日本代表は、1次リーグを3連勝で首位突破したものの、優勝したスペインに準々決勝で敗れ幕を閉じた。だが、もう次のステージに向けた挑戦は始まっている。
 2年後の2026年には米国とカナダ、メキシコの北中米3カ国が共催するワールドカップ(W杯)が開催される。 
 五輪で活躍し、今後の活躍が期待される選手をピックアップした。彼らがどんな道をたどってサッカー選手になったのか。それを知れば、これからのサッカー観戦が楽しくなるかも。(共同通信=河村紀子)

▽「1ミリ」で話題に


シュートを放つ細谷(中央)。この後、ゴールは取り消された

 まず注目したいのは、フォワード(FW)の細谷真大(22)。パリ五輪で1次リーグのイスラエル戦でチームを勝利に導くゴールを決めた。それよりも話題になったのは準々決勝のスペイン戦での「幻のゴール」。相手を背負いながら、振り向きざまに放ったシュートはゴールネットを揺らした。


 鮮やかなシュートに、目の肥えたスペインメディアも記者席でぼうぜんとしていた。しかし、判定はオフサイド。味方が細谷にパスを出した瞬間、右足のかかと付近がわずかに出ていた。SNS上では、22年カタールW杯の三笘薫(27)がライン際で見せたプレーになぞらえ、「細谷の1ミリ」と話題になった。

▽いきなり自転車乗りこなす

 そんな細谷は茨城県牛久市出身。父武光さん(50)が地元の「神谷サッカースポーツ少年団」でコーチをしていたこともあり、自然とボールに触れ始めた。小1になると、地元の少年団、Jリーグ柏レイソルの提携クラブの2チームで練習を重ねた。 
 幼少期から身体能力は高かった。小学校入学前に補助輪なしの自転車を練習せず乗りこなした。小6の時には市内の大会に出場し、100メートル走の記録を塗り替えた。
 少年団では上級生の試合に出場し、自分よりも体格の良い相手を吹っ飛ばした。武光さんは「当時から体が強く、倒れなかった」と振り返る。当たり負けしない今のプレースタイルに繋がる。
 練習のない日は武光さんや兄弟とボールを蹴り、細かい技術を磨いた。細谷は「父のおかげで、ここまで来られた」と感謝を口にする。

▽舞台、大きければ大きいほど


スペイン戦でドリブルで攻め込む細谷(左)

 五輪代表チームでは決勝点など大事な場面での活躍が目立った。武光さんは「昔から胃がきりきりするような状況の方が強い。舞台が大きくなればなるほど結果を出してきた。プレッシャーを力に変えられるんじゃないかな」と笑う。
 小学生の頃から将来の夢に「日本代表」と書いてきた。スペイン戦後「フル代表でしか(悔しさは)晴らせない」と語った。さらに上のステージでの活躍を誓う。

▽小学校時代は「二刀流」


イスラエルのシュートを阻む小久保

 次に紹介したいのは、守護神の小久保玲央ブライアン(23)。パリ五輪の1次リーグでは、相手のシュートをことごとくセーブした。1次リーグの3試合は無失点。SNSでは守りの堅さから「国防レオブライアン」とも呼ばれた。
 もともとはFWの選手。身体能力の高さや才能を見込まれ、小6の時はゴールキーパー(GK)との「二刀流」でプレー。中学生でGKに本格的に転向し、「大岩ジャパン」の正守護神にまで上り詰めた。
 「細かったが、ずばぬけて背が高かった」。小久保が小1から6年間所属した柏エフォートFC(千葉県柏市)代表の小鷹康人さん(60)は当時の印象をそう語る。FWとしての小久保はどんな選手だったのか。

▽PK戦で好セーブも


小久保玲央ブライアン

 「まさに弾丸。跳躍力、瞬発力は2学年上と同じくらいだった」。手足が長く、反射神経も良かったという。小4の頃からPK戦のGKを務めると、試合を決めるセービングを見せた。Jリーグ柏レイソルの下部組織の目に留まり、レイソルのスクールでGKの技術を学ぶようになった。
 当時の性格は「ただのやんちゃ坊主」(小鷹さん)で手を焼いたが、天性の明るさがあった。ある日、すね当てやストッキングなどを用意せず、短い丈の靴下で練習に来た小久保に、小鷹さんが雷を落とした。「帰ってくれ」。
 ふてくされて帰る姿に「もう来ないかもしれない」と感じたのもつかの間、小久保は「履き替えてきました。入れてください!」と笑顔で練習場に走ってきた。「自宅と練習場が近く、ものの5分くらいの間だった。本当に憎めない、面白い子だよ」と笑う。
 GKとして相手の攻撃を防ぐことを「楽しんでいると思う」と小鷹さん。明るい性格で、チーム活動中に音楽をかける「DJ役」を担うなど、ムードメーカーでもあった。今夏、ポルトガル1部リーグのベンフィカから、ベルギー1部のシントトロイデンに移籍。五輪代表の主将だった藤田譲瑠チマ(22)や2得点を挙げた山本理仁(22)と再びともに戦う。

▽愛される「三戸ちゃん」


パラグアイ戦で先制ゴールを決め、ポーズをとる三戸(左)

 ピッチの中でひときわ小さいが、素早く動き、ゴールを決める。1次リーグのパラグアイ戦で2ゴールを挙げたミッドフィルダー(MF)の三戸舜介(21)。小柄ゆえに周囲との体格差に悩んだ時期もあった。父修以知さん(48)の励ましで「負けない」と奮起。ファン、サポーターから「三戸ちゃん」と愛される存在になった。
 「運動神経は良かったと思う」と修以知さん。保育園の運動会で逆上がりをすると、15回連続で回って保護者らを驚かせた。小3で地元・山口県宇部市の原サッカースポーツ少年団に入団。監督の中松豊さん(60)は「センスが良く、教えたらすぐにできるようになった」と話す。
 中松さんは「パスを選択するな」と指導し、ドリブルの技術を磨いた。チームの中心選手になり、小6で主将を任された。同郷の女子選手が在籍していたことを知ったのをきっかけに、小学校を卒業するとJFAアカデミー福島に進んだ。

▽「今の間に負けないように」

 修以知さんによると、小学校卒業時の身長は140センチ以下。中学生になるとフィジカルの差から試合に出られない時期があった。落ち込み、電話をかけてきた息子に問いかけた。
 「おまえが170センチになった時、他の選手に負けるか?」「負けん!」ときっぱり答えた三戸に「今の間に負けないように頑張れば、大きくなった時に負けないな」と伝えた。


イスラエル戦で三戸(右)に指示を出す大岩監督

 身長は164センチまでしか伸びなかったが、Jリーグアルビレックスでプロに。人気女性アナウンサーの愛称を意識してか「三戸ちゃん」の相性が定着し、ファンに親しまれた。23年末に海外移籍を発表。三戸はその身長に「プロに入ってからも悩んだことがあった」と率直に明かす。一方で、「小ささを生かしたプレーが海外で通用している部分もある」と胸を張る。
 パリ五輪を戦った代表チームは2022年にもスペインと対戦。その時三戸は「世界を感じた」と振り返る。時を経て再戦した五輪では「自分も成長したと思ったが、また差を感じられた」と悔しさをにじませ、「次につなげていきたい」と前を向いた。

▽1人でも多く「サムライブルー」に

 準々決勝のスペイン戦後、チームを率いた大岩剛監督(52)は「サムライブルー(フル代表)に1人でも多く入ることが望み」と語り、「チャンスがあればスペインに勝ってもらいたい」と選手たちの将来を嘱望した。
 五輪までのおよそ2年半、喜びも悔しさも経験した選手たち。これから先の活躍を楽しみにしたい。

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