広島で被爆した韓国人男性、「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられる 13年間も拘束…数奇な運命たどった今願う名誉回復【朝鮮半島と在日「スパイ」(上)】
47NEWS / 2024年9月3日 10時0分
ある韓国人男性は、広島への原爆投下で母、弟、妹を失った。1960年代に韓国へ帰国して農業を営んでいたが、「北朝鮮のスパイ」として捕まり、約13年間拘束、投獄された。今年4月、韓国政府の人権侵害調査機関は、軍事政権だった当時の韓国の捜査当局が不法に男性を拘禁し、拷問によって虚偽の自白を強要したとの調査結果をまとめた。そして、政府に謝罪や再審開始を勧告した。
数奇な運命をたどった男性は今、名誉回復を願う。政府機関の調査が始まった昨夏と、調査結果が出た後の今夏、男性に取材し、日本・韓国・北朝鮮が絡み合う人生をたどった。(共同通信ソウル支局 富樫顕大)
▽「朝鮮の豚」
その男性は、韓国本土から南に約100キロにある済州島出身の金良珍(キムヤンジン)さん(94)。朝鮮半島は1910年から日本の植民地になった。貧しかった多くの島民が、済州島と大阪を結ぶ連絡船「君が代丸」に乗って日本へ渡ったといわれる。金さんは5歳の頃、出稼ぎの父について日本へ行き、大阪などを経て、広島で小学校に通った。
「朝鮮の、山奥で、確かに聞こえる豚の声。ブー、ブー、ブー」。勉強ができない朝鮮半島出身の子どもは、他の子どもたちからこのようにばかにされた。「自分も日本人になったような気持ちで(一緒に)やった。今になると本当に恥ずかしい」と金さんは顔をこわばらせた。
小学5年生の頃から、病気の父に代わって働くため、学校には行かず工場へ通った。「おふくろは工場に一緒に行ったけど、日本語もできない。私1人が家庭を支える感じだった」
▽原爆手帳、2012年に交付
広島への原爆投下直後に開設された救護所=1945年8月8日(陸軍船舶司令部写真班撮影、広島原爆被災撮影者の会提供)
「弟、妹がいなければ(生きる理由を失って)自殺していた」。その弟、妹は原爆投下の日、小学校に登校したまま行方が分からず、遺体も見つからなかった。母はつぶれた自宅の下敷きになって即死した。自身は首の上に家の梁が落ちてきて動けなかったところを、隣組の組長が救い出してくれたという。
皮膚がただれた人たちが「痛い」と言いながらのろのろ歩いていた様子は、「幽霊のよう」で「地獄図」だった。他人を助ける余裕もないまま公園へ逃げた。
広島と長崎では、朝鮮半島出身者計約4万人が死亡したとの推計があるが、正確な調査はない。植民地期に「日本人」とされたものの、帰国者は日本政府の援護の対象外になった。日本政府は2003年に在外被爆者への手当支給を始め、金さんは2012年に原爆手帳の交付を受けた。
▽詩人、金時鐘さんらと
韓国南東部・陜川で開かれた原爆犠牲者を追悼する慰霊式=8月6日(金民熙撮影=共同)
原爆投下後、親戚のいる大阪へ移り、1945年8月15日、それまで「現人神」とされた昭和天皇が敗戦を告げるラジオの「玉音放送」を聞いた。「何を言っているかよく分からない。これが神か。こんなものを神として奉って戦争を起こしたか」と衝撃を受けたという。
日本の敗戦は朝鮮半島の「解放」だったが、朝鮮半島は米国が支持する韓国と、ソ連が支持する北朝鮮に分断され、1950年から朝鮮戦争が始まった。親戚の誘いから、北朝鮮を支持する在日朝鮮人組織の集会に参加するようになった。「原爆を投下した米国が憎くて」という気持ちもあったという。
1950年代、靴工場で働きながら、同じ済州島出身の在日コリアンの詩人、金時鐘(キムシジョン)さん(95)、作家の梁石日(ヤンソギル)さん=今年6月に死去=らのサークル「大阪朝鮮詩人集団」に参加した。新婚夫婦が住む隣室から夜に聞こえる声、音が気になる苦悩をつづった詩などを同人誌に掲載した。
▽北朝鮮へ渡った兄のことで脅されて
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の青年組織のメンバーだったが、1950年代後半、組織を批判すると「反動だ」と罵倒され、組織から遠ざかった。
パチンコばかりの生活から脱却しようと韓国への帰国を考えた時、朝鮮総連の関係者が接触してきて「革命家として韓国へ行け」と言われた。日本から北朝鮮へ渡っていた兄のことを持ち出し「おまえ次第で兄がどうなるか分からない」と脅され、思想教育を受けさせられたという。「韓国で(北朝鮮に関わることを)何もしなければいい」と考え、1964年に故郷の済州島に帰り、農業を営んでいた。
▽眠らせない拷問
「真実・和解のための過去事整理委員会」の聞き取りで話をする金良珍さん=2023年7月6日、韓国・済州島(共同)
だが1972年、韓国当局から突然、日本で北朝鮮関係者から指令を受けた「スパイ」だとして連行される。金良珍さんよりも先に大阪から韓国へ帰国していた知人がスパイ容疑で連行され、その尋問過程で金さんの名前が関係者として挙がったためとみられている。
金さんは昨年7月、政府の人権侵害調査機関「真実・和解のための過去事整理委員会」の聞き取りに、次のように説明した。
「(容疑内容を)『知らない』と否認すると、拷問が始まった。捜査官は顔を殴ったりすねを蹴ったりし始めた。耐えられなかったのは、眠らせてもらえなかったことだ。捜査官が望むように私が話さないから、捜査官が交代しながら、1週間ほど、私を眠らせないようにし続けた。自暴自棄になり、ただ『やりました』と答えた」
国家保安法違反罪などで懲役15年が確定。1985年に仮釈放されるまで、拘束は約13年間続いた。
▽「スパイはしていない」
聞き取りを終えた金良珍さん(左)と、長男の暻範(ギョンボム)さん。暻範さんは「父の名誉回復だけでなく、家族としても重荷から解放されたい」と涙で言葉を詰まらせた=2023年7月6日、韓国・済州島(共同)
金さんは2022年、委員会に事件の調査を申請した。今年4月、委員会は「申請者(金さん)は捜査機関から不法連行、不法拘束され、陳述の強要と過酷行為を受けて処罰された」と結論付けた。
金さんは、委員会の聞き取りや取材に「スパイはしていない」と繰り返し訴えた。日本で思想教育を受けさせられたとは話しており、捜査当局のストーリーが「一から十まで全てを捏造というわけではない」とは述べるが「一部を拡大解釈したのだから、捏造だ」と強調する。
委員会は再審開始も勧告した。委員会の調査結果を基に再審で無罪となれば「名誉が回復する。それで何か変わるわけではないが、満足感は得られると思う。やれるところまでやりたい」と語った。
金良珍さん(左)と妻の金雪瀅(キムソルヒョン)さん=2024年7月3日、韓国・済州島(共同)
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