「五輪の父」クーベルタン男爵はなぜ母国フランスでの評価がいまひとつなのか? 一族の子孫らが語った意外な理由、継承すべき理念とは
47NEWS / 2024年9月11日 10時30分
日本選手が金メダル20個と活躍したパリ五輪は、大観衆の熱狂とともに幕を閉じた。今回の大会は「近代五輪の父」と呼ばれるフランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863~1937年)の生地に1世紀ぶりに戻っての開催だった。男爵は、紀元前にギリシャで催されていた古代五輪の復興を提唱し、1896年の第1回アテネ五輪の開催を主導。大会シンボルの五輪マークや近代五種も考案した。
パリ中心部のセーヌ川で行われた今大会の開会式では、近代五輪創始者の男爵に敬意を込め、映像で功績を振り返る場面もあったが、母国での評価は意外にも高くない。なぜ地元で人気度が低いのか―。一族の子孫らを訪ねてその理由を聞いてみた。(共同通信=田村崇仁)
ピエール・ド・クーベルタン男爵(ゲッティ=共同)
▽ノルマンディーの城館
クーベルタン男爵はスポーツを通じた世界平和の実現という崇高な理念を掲げ、近代五輪を創設した。名門貴族の出身で歴史上の偉人でもある。
日本スポーツ界では、日本オリンピック委員会(JOC)や日本スポーツ協会、多くの競技団体が事務局を置く東京都新宿区の「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」の前に銅像が建てられるほど有名だ。
男爵が幼少期を過ごしたフランス北西部ノルマンディー地方ミルビルに一族の子孫が住んでいると、理念を継承する国際団体から聞いた。パリから電車で約2時間。緑豊かな環境に囲まれ、重厚な石造りで歴史的な趣がある城館を訪れると、当主のジャック・ド・ナバセルさん(78)が取材に応じてくれた。
クーベルタン男爵が幼少期を過ごしたフランス北西部ノルマンディー地方ミルビルの城館=2023年9月(共同)
「残念ながらフランスの政府もメディアもあまり熱意がない。クーベルタンは日本や中国、スイスでは大歓迎されているのに、フランスではそれが実現できない」。ナバセルさんは少し寂しそうに語った。「当時からフランス当局とクーベルタンはあまりうまくいっていなかった。彼のスポーツに関する先進的な考え方が受け入れられなかったのです。常に批判するフランス文化の問題ともいえる」
フランス北西部の城館で取材に応じたジャック・ド・ナバセル氏=2023年9月、ミルビル(共同)
▽スポーツを通じた教育改革を志す
エネルギッシュで好奇心旺盛だった男爵は幼少期に普仏戦争(1870~71年)で母国の敗戦を目の当たりにし、沈滞する国の状況を打ち破るためイギリスで学んだスポーツを通じた教育改革を志した。それが平和のための近代五輪を創設する礎となる。
城館の広大な敷地にある池でボートをこぎ、乗馬やフェンシング、ボクシングなど多種多様なスポーツにも取り組んだという。
パリ五輪開幕20日前に迫った7月5日に聖火リレーが城館にも立ち寄り、歓声を浴びる場面があったものの、地元メディアの関心は熱を帯びなかった。
クーベルタン男爵が幼少期を過ごした城館と、一族の子孫のジャック・ド・ナバセル氏=2023年9月、ミルビル(共同)
▽女性「差別主義」のレッテルを否定
スポーツの大衆化が進み、五輪が隆盛を築いた現代でも母国で冷ややかな視線を浴びる要因の一つには、女性の五輪参加に反対したとされる考え方もあるようだ。近代五輪で初めて女性に門戸が開かれ、テニスとゴルフに女子種目が認められたのは1900年の第2回パリ大会だった。
当時、クーベルタン男爵は女性のスポーツ参加を巡って「見せ物にするべきではない」との立場で消極的だったとされ「女性にふさわしい役割は勝者にオリーブの冠を授けることだ」と述べたとも伝えられる。
現代の国際オリンピック委員会(IOC)は、五輪憲章で反差別を掲げ、さらにジェンダー平等を打ち出す。歴史的な経緯から男爵は「差別主義」とみられることがあるが、IOCは今年5月に専門家や子孫を招いた記者会見を開き、こうしたレッテルを否定するなどイメージ回復に躍起となった。
1世紀前と現代の社会的な価値観は当然ながら異なり、同じ尺度で論じるのは難しい面もある。男爵の子孫でイギリスの大手銀行に長年勤務した経験もある、ナバセルさんは「当時の時代背景として医者や教育者が女性の体のためにスポーツをすることはよくないという考え方があった」と指摘。「クーベルタンは女性がスポーツをすること自体に反対はしていなかったが、激しい競争となるレベルのスポーツや試合には好意的でなかった」と説明した。
▽女性参加の先駆者アリス・ミリアに脚光
3度目となるパリ五輪は120年以上の時を経て、史上初めて男女同数の出場枠が実現した。大会に合わせてクーベルタン男爵の遺産を振り返る特別展や記念コンサートも開催されたが、フランス国内でむしろ脚光を浴びたのは女性のスポーツ参加への道を切り開いた先駆者アリス・ミリアだった。
ミリアは、クーベルタン男爵の考えに異を唱えて陸上などへの女性参加も求めてIOCに直訴し、1920年代にパリで「女性五輪」を独自に開催した人物としても知られる。彼女の伝記漫画が発行され、スポーツ関連施設の場所に名前が冠されるなど功績を見直す動きが広がった。フランス・オリンピック委員会の入り口にはクーベルタン像と並んでミリアの像が設置されている。五輪開会式では歴史を変えたフランス女性10人の1人として紹介された。
アリス・ミリア(アリス・ミリア財団提供・共同)
一方、地元スポーツ紙レキップのベテラン記者によると、女性参加に対するクーベルタンの保守的な姿勢は時代背景があるにせよ、ジェンダー平等をテーマに掲げた新時代のパリ五輪でその実績にスポットライトを当てにくい困難な状況を生んでいたのだという。
▽男爵は1世紀前に男女平等を主張
「フランスの学校でクーベルタンはあまり教えられていない。そこが大きな間違いだ」。近代五輪創始者の理念を受け継ぐ活動を続けるフランスのピエール・ド・クーベルタン委員会で会長を務めるアンドレ・ルクレルクさん(77)は2023年9月にパリで取材した際に課題を指摘した。
取材に応じたフランスのピエール・ド・クーベルタン委員会で会長を務めるアンドレ・ルクレルク氏=2023年9月、パリ(共同)
確かにパリ五輪期間中、大会ボランティアや組織委員会スタッフと雑談すると「クーベルタンは有名でない」「教科書で学んだこともない」といった反応が多かった。アスリートでも知らない人が少なくないという。
フランス・バレーボール連盟会長を長く歴任し、日本とも交流が深いルクレルクさんは「フランス国内よりも海外での方がクーベルタンは有名だ」と断言し、その上でもっと実像を理解してほしいとも訴える。
「(クーベルタンは)実は1世紀前から、彼は社会において男女平等でなければならないと主張している。フランスで女性が自分の銀行口座さえ持てなかった時代に、彼の考え方は先進的だった。現代の女性進出の流れもきっと喜ぶだろう」と語る。
一方で「当時、女性が体を見せて肉体美で争うようなスポーツに出ることには賛成していなかった。服装には厳しく、つまりロングドレス姿でプレーできるような『女性にふさわしい』と認める競技のみ賛同する考えだった」と解説した。
クーベルタンの銅像と写真に収まるフランスのクーベルタン委員会会長のアンドレ・ルクレルク氏=2023年9月、パリ(共同)
▽平和の教育的価値、学校で教える課題も
「平和の祭典」を掲げる五輪の崇高な理念がかすみ、世界で分断が進む時代。男爵の訴えた原点である平和や連帯という教育的価値は、現代にも通じる理念といえる。
「彼の理想はスポーツで若者の心を育み、平和な世界を実現するというシンプルなものだった」と子孫のナバセルさんは強調する。「五輪というのは一つの作品でしかない。古代五輪復興の動機として彼は人間の変革を掲げ、世界中の人々が集まり、戦争が二度とない世界を求めた。そして政治が大会に干渉することを決して望まなかった。戦争の時代はよりこうした理念が重要になり、継承すべき未来への指針となるだろう」と願いを込めた。
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